新宿で知らない浮浪者を観た。その姿はぼろきれの、引きずった脚と常にたわごとを呟きながら天を仰ぎ、焦点の合わない目で今にも破綻寸前の朦朧とした意識を、いや、意識すらもうなかったのかもしれない。伸ばされっぱなしの髪は足元にまで到達していて、横断歩道をはだしで歩いていた。こんな状態になっても人はまだ生きているんだな、と率直に私が思った時、信号が変わるのを待っていた人が呟いた。
「何年も髪洗ってねえな、ありゃだめだなもう」
その姿はキリストに似ていた。皮脂が表面にまでこびりつき、風に揺らぐこともないその塊は、かつて処刑されたであろう神の子を、なんだか彷彿とさせる凄まじさで、僕はなんだか途方も無い気持ちになって、すぐ隣が怖くなった。働かなかったら、動かなかったら、助けを求めなかったら、人はいつだってああなるリスクがあって、そのああの部分に、なんだか息苦しいような、逆に清々しいような、ある種の救いを感じ取ったのだ。その浮浪者は、誰にでも聴こえる音量で、誰にも理解できないことをひたすらに呟いていた。
僕は八年ほどごみ屋敷に住んでいたことがある。ごみ屋敷と言っても、まあ一か月ほど片付けに専念すれば自分でもきれいに戻せるくらいにはごみの山が溢れかえった、ごみくらいしかない家だったのだけど、でも服とか、本とか、その中でも大事なものというのはいくつかはあった。僕は家の掃除というものをその頃あまりしなくて、どうしてしなかったかというとまあ色々あるのだけど、やっぱり家が僕にとってはあまり好きな居場所ではなかったから。好きじゃないから、しなかった。お気に入りじゃないと愛せないのだ。そんなごく当たり前の仕草は僕の、あらゆる知的な活動を阻害して、僕は孤独をたっぷりと味わった。生きている意味とかも考えなくなった。人は、生きてることに疑問を持っている間は生きていられるのだ。その疑問が、人間を生きることに執着させる。本当に死にたがっている人と言うのは、その辺がどうでもよくなる。他人のことを悪い意味で観なくなる。自分だけの世界に悪い意味で閉じこもる。社会のことを知れるSNSも僕はその時に観ることはしなかったし、友達からの何件もの心配のメッセージも全て既読を付けずに放置した。こんな生活をあと何年くらい続けるんだろうな、と思った。家賃を先月か先々月くらいに払っていなかったから、たぶんそろそろ連絡来るだろうな。でも働きたくないな。どうしようかな。
働きたくなくても毎月の支払いはあって、僕にはそれを強固に支えてくれる『太い』実家なるものなんてなくて、お母さんは妹の世話で手一杯で、ただでさえ昼の仕事と夜のバイトを掛け持ちしてお金を稼いでくれているのに、僕と言ったら全然働けなかった。生きるのが嫌で、というのにも沢山の理由があって、僕は本当にどこにも居場所がなかった。どこに行っても、何をしても、社会の普通に生きる人たちは僕の態度を注意したし、僕が変わらないなら僕のことを首にした。何度仕事を首になったかもわからない。そんな風に職を転々としていると、生きるのが段々嫌になってくる。僕は首になる度に誰かがいう『残念』と言う言葉が耳に残った。
「残念なんだけどね。またどっかいいところあるよ、若いんだし」
そういう風に最後にいい思い出を残そうとするのはかえって残酷なことだと僕は知っている。その人の若さに自分以外の誰かがどこかで拾ってくれるから、という意味を込めるのは、一人では生活できない家猫をいきなり外に放りだすようなもので、「良い人に拾ってもらうんだよ」などといって子猫を捨てている人を見かけたら、普通ぞっとするだろう。ただの責任放棄だ、としか思わないだろう。だけど人間社会というものは、二十歳を過ぎたら見た目は大人の括りになり、中身がどう育っていようが一律で、同じように扱われて当然だという美意識(そんなものを美の基準に含めたくないが)に基づき、そうするということが日常的に許されている。僕は、まあたぶん僕の勤務態度とかも悪かったんだろうけど、そもそもで他人のことをそこまで気にしないし、人にどう思われようが自分の信念に沿って生きることだけが生きがいで、それを邪魔されることを何より嫌がった。お金がないと生きていけない、そんな世の中の当たり前すらも、僕には嫌だった。なんでわざわざ、お金なんて稼がなくちゃいけないのか本当にわからなかった。
だけど、実際に働かないでいると貯金はあっさりと底を尽きるし、次のアパートの支払いもできないので電話はしょっちゅう鳴りっぱなしだし、電気水道ガスは平気で止まるし、手紙はもうそれこそ派手な注意を引く目的の封筒なんかも届くようになる。けれど、僕はそれらが全部同一に見えていた。そこに人の生活があったって、新幹線に乗っていれば景色はみな均等に流れていくでしょうに、と思っていた。
お金がない時の最後の頼りはお母さんだ。僕はお金が底を尽きると、母に相談した。その度に怒られ、泣かれ、そのせいで僕も泣き、お母さんは僕を見捨てないってわかっているからこその甘えをずっと伝えて、結構な頻度で暴言を吐いたりして、それでも僕はお母さんが保険を崩してまで作ってくれた何万円かのお金を、食べたり、飲んだりするだけで、次の仕事に生かそうとは思っていなかった。たくさんの人がそれまで僕に掛けてくれた呪いのような『残念』という言葉が何度も頭の中をリフレインして、僕は未完成な人間なんだな、不良品なんだな、どこに行ってもなにをしても、きっとだめなんだろうなと退廃が僕を包み込んでいた。
気を紛らわすために、スマートフォンでできる無料のゲームをやっていた。そこでは美しい男女がかっこいいスキルを駆使して、敵を派手に倒していた。やり込めばやり込んだだけ成果が出るタイプのゲームで、僕はもちろん課金するお金なんてなかったから、無料でできる範囲の中で、最高効率で最強のキャラクターを作った。まあ最終的には運営の課金圧が強くなって僕は上位から脱落したんだけれど、でもお金があってもどうにもならなかった。ゲームの世界でさえ、一位は一千万以上課金している、ギルガメッシュとかいう謎の人物がその地位を独占していたからだ。
でもゲームをしていないと見たくない現実を観なきゃいけなくなる。僕はそれだけは嫌で、起きている間はずっとゲームに没頭した。あくる日も、そのまたあくる日も、ゲームをして、疲れたら寝て、たまに排便して、最低限食べて、飲んで。生活の中で鏡を見ることはほとんどなかった。見たら化け物が映って居そうで見れなかった。
大学は、まあ割と良いところに行っていたから同級生たちがなにをしているのか気になった。だけどみんな、普通に暮らしているというかみんな就活うまく行っていたから、無い内定で卒業したのは多分僕くらいだったし、まあ当時のあの僕を雇う企業があったらそれこそ顔を拝んでみたい気持ちはあるけれど、でもそれくらい、僕は特にとりえもなく、拠り所だった絵にも関心を持てなくなった僕は堕落していた。家事もまったくやらなかったから、風呂場は真っ黒く汚れていたし、ヘドロみたいな腐臭を放つねちょねちょとした塊が排水講の中にこびりついていても、特に気に留めなかった。どうせ死ぬのだから。この生活の限界が来たら、僕は他人でも殺して牢屋に入ろうかな、くらいに本気で思っていた。
そんな勇気ないのだけれど。
自殺する勇気も、犯罪をする勇気も、仕事をする勇気も、実家に戻る勇気もない。甘えだけはたくさんあった。できれば働きたくないし、できれば親に経済を依存したい、できれば恋人に頼って同棲とかしたいし、できれば有名になってちやほやされたい。その現実逃避が酷く重なって、僕は本当にだらしなかったと思う。なんで今生きてるのか不思議なくらい、セルフネグレクトの化身みたいなものがその時の僕だった。
毎日死にたかったし、せめて発狂すれば多少はましにみられるのかもと思ったし、でも僕にはゆるぎない意識があったし、意識は身体から出られないし。最初の一、二か月はまだ平気だった。アニメーション会社を退職した時に会ったお金で何とかなっていたから。でもその後の四か月はしんどかった。しんどいって若者はよく使うけれど、本当になすすべがなかった。差し迫る現実に僕は完全に参ってしまっていて、明らかに他の人からしたら支援が必要な人間だったのだろうけど、公的機関を頼ることもしなかった。なんというか、全てに気力がなかった。なにをしても無駄だと思った、どうせ僕は『残念』な人なのだから。
そんな生活が半年ほど続いて、僕は自殺未遂をした。包丁で、喉を刺そうと思ったのだ。でも怖くてできなかった。その時は涙が止まらなかった。お母さんとの通話も、もう何回目だかわからなかった。お母さんは本当に、切羽詰まっていたのだと思うし、僕は本当に、こんな風にお母さんだけを最後の拠り所にして、他の全てを切り捨てていたのに、そのお母さんにすら見捨てられたら、僕はもう死ぬしかないのだと思った。電話するたびに二時間以上は話したし、それでも変わらない僕を、お母さんは怒った。でも死ぬなと言った。りゅうのすけが死んだら悲しいって、お母さんははっきりと僕に伝えた。
悲しいならさ、おれの気持ちわかってよ。僕はなんどもそう伝えた。伝えても、働くことはやっぱりいやで、面接に行っても、職に就いても、この自分のまんまじゃまた、誰かに見放されて『残念』って言われて首を切られることが経験上わかっていたから。だからまあ、一回本当に死んでみようかなって思ったのだけど。
買ってから一度も掃除をしていないマットレスは、染みが付き過ぎて真っ茶色に汚れていて、ところどころ破けて中の鋭いバネが飛び出ている。僕はその上に立って、刃先が欠けてぼろぼろとしたステンレス製の包丁を自分を喉元に準備した。後は本気の力で頭を振れば、僕は少なくとも、出血多量で死ねるのかななんて、無計画な行動が失敗を招いた。
僕は死ねなかった。死ねなかったから、今こうしてこの文章を書いているのだけど、最後の時に、走馬灯のように僕の脳裏には今までに友達が掛けてくれた暖かい言葉が浮かんだ。僕の作品を「好き」と言ってくれた人だったり、「面白い」と僕の冗談を笑ってくれた人だったり。そういう人の言葉が、僕を最後にこの世界に引き留めた。
その瞬間、余りにも怖くなって、目の前の包丁を持ったまま、僕は膝を抱えた。こんな状況なのに、まだ生に執着している。自分が嫌いすぎて、自分の身体の代わりに何度もマットレスに突き刺した。ぐさぐさとマットレスは破けていき、もしこれが僕の身体だったらと思うと震えが止まらなかった。でも今日死なないと、既に二か月以上滞納した家賃は?生活費は?水道光熱費は?全部誰がどうするんだ?
やっぱり死なないと。そう思って、いつかの飲み会で貰った未開封の鏡月を開封し、ストレートで半分ほど飲み干した。味は特にしなかった。何も食べていない胃の中で、アルコールはすぐに身体中にいきわたり、僕はハイになって、これなら死ねるぞと思った。けれど実際は逆で、アルコールは無意識化の人の本来の状態を表す成分だから、僕は結局生に執着した。アルコールは僕の意識を奪って、身体中をコントロールした。僕は包丁を放り投げて、真冬の染み渡る外に繋がる窓を全開にして、乾いた空気を身体中で浴びた。
生きてるって感じがして、洗濯ものの良い香りが鼻をついた。
それから僕は色々あって、家に戻って来た。家には僕が残した全てがあった。大量のごみ袋の山に、あふれ返った玄関の手紙の数々。スイッチを押しても付かない電気に、真昼の陽の光が白いカーテンレールから零れて、部屋中を白く照らした。駄目でも、なんとかしなくちゃいけなくて、酔いはとっくに冷め切って、僕は働かなきゃ、と思った。それから家をきれいにしよう、と思った。まあそれも一過性のもので、一度完全にきれいに出来ても習慣付いていないから、またすぐに僕の家は汚くなったのだけど、でも一生懸命にその時は、求人サイトから出来そうな仕事に応募したし、ごみの袋も何日にも分けて出した。僕はちゃんと生きなければいけないと思った。死ぬことは、僕には絶対に無理なのだと知った。
それから何年もたって、僕は自分の生きる場所をまあ、本当に薄い居場所っぽいなにか程度のものなのだけれど、得た。それは薄いから、結構辛くて今だって、仕事辞めたいし、文章楽しいし現実から逃げてどこか違うところに行きたいってずっと思っているけれど、でも僕はなんとか生きることができていた。自殺未遂をした後から、本を読み始めた。本が面白いものだっていうことを、僕は中学生以来に初めて気付いた。やっぱり家のごみは溜まっちゃってて、何重ものごみの袋がところせましと敷き詰められる中で、僕は蛍光灯の眩しいくらいの明るさの中で、何度も手を観た。自分の手を。
細い手首に、すらりと伸びた指先。苦労を知らないみたいに、その手はきれいで、指輪でも付けたら似合うんじゃないかなとか薄っすら思ったけれど、でも僕は昔から自分の手が結構好きだった。爪は噛み千切ってぼろぼろだから無いんだけど、でも手の形は何となく気に入っていた。
それを蛍光灯に翳すと、手の影が、僕の視界を遮って、なんだか救いにも似た光景が見える。逆光で黒く塗られた手の形は、自分の意思一つで動いてくれるし、僕のことを殺そうともしない。
それがなんだか不思議で、僕はふと隣を見た。まだ口が閉じられていないごみの袋の中で、何か月も前に買ったスーパーのお弁当が見える。それがぼうっと眩しい光に包まれていて、半額と書かれたシールが妙に映えていた。僕は、美しいってこういう景色のことを言うんだと思う。世間の、広告なんかで貼られているような世界は、全部嘘なんだと思った。僕が見たこの景色が、他のなにもかもよりも真実を語っているように思えた。
新宿を歩いていた。多分あてもなく、なんとなくのノリで、上京したての僕は二丁目にでも出歩いていたんだと思う。そこでなんらかのラブロマンスがあったのか、それとも苦い失敗談があったのか、その辺はよくわからないけれど、僕は確かに新宿を歩いていた。横断歩道の前で、ちょうどドン・キホーテとかが見えるだだっ広い道路の道すがらで、信号が変わるまでをただ待っていた。
向こうになんだか人のざわつく声が聴こえて、僕はその声の方を見た。見ると、明らかに浮浪者のような姿をした人が信号を無視して歩き始めていた。周囲が雑踏の音なのか、それを噂する人の声なのか、僕にはよく理解できなかったけれど、その歩いている人らしきなにかは、ずっと天を見上げてうわ言を喋っていた。
歩道にいる人たちにも聞こえるくらいにはっきりと、なにも聞き取れないくらいに支離滅裂の言葉を喋っていた。その声色には怒りの色はなく、ただ悲しみとかもない、ただ無常があるだけだった。世界から完全に切り離されたその人は、ぼろきれを纏った天使のようにも見えた。
それが、救いにも似た情景として、今も僕の心に焼き付いている。「ありゃもうだめだな」と誰かが呟いたのが聴こえて、僕は歩道を渡り始めた。信号のブルーを目指しながら、視界の外れで浮浪者がまだ道路の真ん中を歩いているのが見えた。見えたけど、無視した。無視できなかったのだけど、無視しなかったとしても、できることはなかった。きっとあの浮浪者は、ビルを目指していたのだろう。最後に自身の不浄さを、あの西側に聳えるビルにぶつけたがっていたのだと思う。人は小型の爆弾で、命が尽きれば爆発する。腐敗した汁が、その辺に噴き出る。そんな風に解釈すると、僕は浮浪者が最後に救いにも似た言葉を喋り続けていたのがよくわかる。僕もそうだから。僕もこんなくだらない世界で、誰も聞いていないところで、一人でうわ言を電子の海に流している無意味な行為に酔っているから。誰も読んでないし、気にしていない。やっても無駄なだけで中身もない。そんな意味の外れた音だけの繋がりに、一生懸命になっちゃって、ばかじゃないのとは思うけれど、僕はあの浮浪者の最期を忘れない。あんな風になっても人は歩けるし、声も出せるのだ。それをごみのように扱うなんてできないし、したくないけれど……でも僕は彼を救えなかった。それだけは心に留めて、ここに弔いの墓標を立てている。