ハッピーな装いで歩く跨ぐ服を着て、愉快なセンチメンタル抒情風景緻密な心模様呻いて、ぐったりとした意味深な面持ちはおもねいて、夢にまで見た全景、雨はここに。窓の外からは雪がほのかに霞んで、凍えるほどの檻の中で、心だけが生きていて、僕は嬉しかった。君は雨を見たんだ、それは生きていることを表す何よりの実感が程遠くかすむ土の香りがする唐突なパラレルワールドで、平行世界って信じるもなにもじゃない?信じるもなにも、なにもじゃない?って思う風情に乾杯する、チーク。だけど意味に頼ってしまったから僕は君を見つけるしかできなかったし、君が見つかったら僕は大したことのない存在だってすぐにばれて、卑怯だって思うよね。飛んじゃうよね、心がそれを引き離すのは運命……安っぽくて、秩序。形式ばっていて、憂い、ちょっと近づいた。答えを探すのは本質じゃなくて、心が遊ぶままに答えを出すのが苦しい、お腹の張り具合、明滅する白色蛍光灯がエジソンの遺産だなんて気持ちが悪くて、でも僕らはその明りの元で生きていられる。君はそれを嬉しく思う。
新しめの風景の中に、いつも思い描く蒲公英の画があって、蒲公英は、それ自体は当て字だし、なんというか紛れ込んだ感じもしなくもないけれど、でも風景とはそういうもので、霞むしかないのだ。行き辺りばったりの感じは今日も昼と夜が逆転した世界で明るさだけを分水する空気、模範、形。さっきより近づいた。でも答えを出すのではなくて、僕は君を思うことだけが救いで、君は僕に思われることが嬉しい。
日常で犯罪のニュースを見た時に、いつも共感するのは犯罪者側の方で、なんかわかるなって思う。こんな世知辛い世の中で、完全に潔白で過ごしてきましたって人は嘘だと思うし、でも法律は守ってきました、平穏は乱しませんでした、平和が大好きですって人は、時代が時代なら連合赤軍やってそうだし、統括棒で頭勝ち割って、零れた髄液になんらかの意義を見出しそうだし、それは怖さよりもなんだろう。人間の底知れない欲深さを感じるのだ。欲を欲として認識しなくなった人間の、鏡を見なくなった人間の恐怖。これは筆舌しがたいって、あんまり使いたくない言葉だけれど使ってしまう。僕は音楽、君はリズム。
大層面白いことに横たわって過ごした連劇は、暴走するコマンド入力方式の遊び心を急角度で落下させるし、バウンドさせるし、もの言いって絶対意味わかんないこそあどの、振り回される人の身にもなる共感、味を占めて、僕は加藤智大のことを思った。思ったって言うか、偲んだ、弔った?形式に理由はなくて、全て必然だと思う。意義も意味もない世界で、正しいのは殺人衝動と、それを実行する勇気と、断罪される必要性だけ。そう考えると、僕は彼が生まれてきた意味を深く思案する。彼は、必要が合って生まれてきたのだとする。もしもこの世に犯罪が存在しなかった場合、それは別の形で破滅を招いた可能性がある、というのもなんだかきな臭い話だけれど、被害に遭った人の気持ちに本質はなくて、僕は犯罪を犯してしまった人の孤独や、見えないしがらみになんらかの共感の意図を示してやまない。もしも彼がその行為に走る直前に僕に出会えていたら、僕は彼を救えたんだろうか。
僕は君の方を見る。君は夕日に黄昏ながらラーメンを食べている。塩の、ちょっと昆布の。僕はぎょうざを手に持っているし、君はアンニュイな表情でたらふくに麺を啜っていて、普通の午後の空気、やっぱり君はきれいだし、僕なんかが君と一緒に居てよかったんだろうかなんて、独自に思わないわけではないけれど、でも君がそのことを気にしていないことが僕にはわかって、君はラーメンを啜っているだけでいい。なんならスープを残したって構わない。
相変わらずにテレビは劈く悲鳴にもにたアパシーを助長する偶然を装った手垢のついた演出を過剰なまでに塗布して美しいを偽って醜さを形作った大層いわれのない極悪非道な抽象論といつもつれるかもわからない快楽の情景と暇な主婦が好きそうなアパレルの話しと世界なんて滅びろと思っていながらテレビのインタビューを嬉しそうに受ける若者と何者にもなれない人たちとなにかを言っていそうでなにも言っていない人たちと徹頭徹尾皮肉屋さんな瞳とときおり純朴な犬猫やその他動物と天気と抒情的風景と将棋の盤上の対話の跡と木漏れ日と明日から雪マークであることと理屈と悲惨な戦争の風景と悶える人の腹痛と違和感のある作画アニメと偏った好色の俳優と首が座らない女優と天才子役と見えない尊厳と味わい深い孤独の檻と慈しみが半分に削られた姿と顔のない人たちと音楽ときれいな音楽とそりゃまたきれいな音楽とボートの映像と琥珀を透かしたほどの朝日とそれを見る三丁目の夕日ボーイズとたまにガールズとシャイな瞳に乾杯している様子とオープンカーと水着と攻めた過剰装飾と映像美とアンニュイなボーイミーツガールときどきその他とLGBTとQ+と味覚と刺激物と脳に対する医学の知見と遠い未来の風景の想像図と宇宙の起源とデリカシーのない絆とめりこんだコンクリートと決壊する堤防と流される家たちと行方不明の子供と神妙な面持ちでそれを読み上げるニュースキャスターなんかが映っていた。僕はなんだかまいってしまって、テレビを消そうかと君に尋ねた。
「見えてるからいい」
君はそう僕に伝えた。
軽犯罪は僕も何度か犯したことがあって、それっていうのは犯すことが目的なんじゃなくて、日常と非日常の区別がつかなくなった果てにたまたま軽犯罪をした自分がいるっていうそれだけのことで、でもやっぱり好奇心とか、まあいいかという油断とか、油断を模した非道な考えとか、後は単純に、歴史が好きじゃないことに起因することなのかもしれないけれど、僕は重犯罪こそ怖くてできないけれど、軽度の、特に誰にも見つからず、怒られず、立証されにくい程度の犯罪なら好んでやった。だって暇だから。暇だから、なにかを壊したくなることは人間の欲求として当然のことで、むしろそれをしないというかできない人の感情の閾値がある地点に達すると、僕は重犯罪に走るのだと考えている。
世の中には理解できない人が大勢いる。犯罪を犯す人の心理が理解できない人は世の中に多いと思うけれど、でもあれってみんな嘘で、みんなうっすらと理解している。けれど、お口には出さないということだ。それは卑怯でもなんでもなくて、出す必要がないこと、つまり考えなくていいことだと勝手に決めつけられていること。それを人は法律だって呼んでいるのだけど、僕は法律よりも自分の欲求に割と素直だから、すれすれのことは平気でする。面と向かって「死ね」というくらい、別に造作もなくできるのだけど、でも僕のそれはみんなのそれとは少し違うみたいで、どうやら本当に響くみたいだ。だから僕はさすがに面と向かっては言わなくなった。
虫も殺せない人が、人を殺してしまうのはなぜなんだろう。犯罪心理を研究したいわけではないけれど、犯罪心理なんてものに社会的な定義付けをした途端それは破綻すると僕なら考えるけれど、犯罪って別にしてもいいものだ。しちゃだめなものではなくて、してもいいけど、これこれこういう罰を受けますよ。それでもいいならしなさいよ、という暗黙のルールがある。つまり脅しだ。報復が怖いなら従えという、ある種の脅し。脅迫のメッセージの送り主は巨大なシステムで、そのシステムの名の元で、命が肉体にしか宿せない今のところの僕らは、ひいこら言いつつも必死に年貢を納める。税金の紙を持って、それを支払う。
僕は謀反には全く興味がなくて、でもタブーとされていることがなぜタブーなのかとか、それを犯してしまうことでどういった体験を自分が得るのか、といったことには昔から興味が強く、自殺未遂をするまで真の死の恐怖は味わえなかったし、ソシャゲに大金を溶かすまでギャンブルの必要性がわからなかった。でもそれらのすれすれな行為を繰り返していくことで、僕は段々と、社会なるものの輪郭はほどよく攪拌されていることに気が付いた。区分けされているように思えても、実際の境目は細かすぎて知覚できないほどになっている。
そんなドレッシングのような秩序の世界で、善悪とはなにか、正義とはなにかを追求しようとすると困難が付きまとう。なぜならそれをする人間たちにはそこまでの信念に基づいた哲学や、示唆などはなく、あくまで『周りがそうしているから』、『流れてここにきた』という人が大半で、中身が伴っていないのに信条を掲げようとすると人は碌なことにはならなくて、そういう人は正義を掲げながら汚職に走ったり、淫猥なネットアカウントを匿名でやっていたりする。人間がそういうものだから、僕は君にそういうものにはなって欲しくないんだと言った。ソファで君は両足を組みながら、テレビを観ている。見なくていいものなのに、流れてくる情報は、流すもので、留めるものではないのに。
「引っかかりが大事なんだよね」
どういうこと?と僕が尋ねると、君は確かに動機を説明した。けれど僕にそれの意味はわからず、ただ曖昧に頷くことしかできなかったものだから、食卓にある箸を摘まんでごみ箱に捨てた。我が家では割りばししか使うことがない。
けれど箸置きは良いのを調達した。二つで四千円もする、作家さんの手製のもの。
今日もどこかで誰かの死刑が実行されていて、淀みなく過ぎているように見えるこの社会でも、裏を除けば、蓋を開ければ、そこには腐臭漂う遺体の山が沢山あり、それらの全てに元々人生があったのだとすると、なんて儚い生き物なんだろうと思う。祝福をあげるつもりでも倦怠感があればそれはチルファイというかローファイというか、そんな空気になるしそんな空気が好きなら、僕はそんな空気を君に出すしかなくて、印象だけでしか文字を読めない君。空想事が好きな君。でも文字が読めない君。本を読んでいる振りだけしている君。加藤智大の孤独に僕が寄り沿えなくても、僕は彼が孤独だったことはなんとなくじゃなくても伝わっているし、たぶん恋人じゃなくてただの友達に、手料理を作って渡してそれを拒絶されたことも、手編みのマフラーを捨てたことも、なんか生きようにも上手く生きられなかった彼の切実さが伝わって、でも僕は現実に彼が居たら容赦なく冷たくしただろうし、そこは想像だから共感できるのであって、ぼくはきれいだったり、美しいものしか愛せない。いや、たまに面白いものも好むんだけど、でも加藤智大の死の形が僕になんらかの余波を与えたことは事実で、僕は秋葉原なんて行かないけど、想像はできる。あの電気街の眩い正午に、彼が行った計画的犯行は、社会に途轍もない影響を与えたけれど、落雷を誰も責められないのと同じで、その雷が人の形をしていたところで、殺せばいいだなんて、そんな形では誰も救われないのだ。
だから、祝祭を挙げようと思った。僕は君にそのことを説明したけれど、君はなんにも気が付くことがなくて、っていうか気にも留めていなくて、僕が用意したケーキを不思議そうに眺めた。誰の誕生日でもないのに、なんでケーキを食べるのか君は理解できなかったみたいだけれど、僕は「なんでもない日を祝ったっていいんだよ」と君に伝えた。その日は加藤智大の死刑執行の日だった。
日本の死刑は絞首刑だけど、それは何人かの人が、複数のボタンを同時に押すことで決行されるらしい。これは誰が押したのかをわからなくさせることで、刑を執行する側の心理的負担を減らす役割があるらしい。そして、死刑が執行される瞬間、受刑者の足元にある板が落ちて、その人の身体は何メートルかを落下する。その勢いで首に括られたロープに負荷がかかり、受刑者の首は一発で折れ、即死するそうだ。僕はその情景を何度も頭でイメージした。すればするほど、刑の執行後よりも、執行前の光景に恐怖を抱いた。
人によっては暴れるらしく、そもそもで外部からの情報を受刑者に感じさせないために、大きな布を頭から被せられて死刑は執行されるそうなのだけど、それでも人によっては強く暴れたり、いくら強靭な人でも、そこに紅潮した恐怖の色合いは必ず出るそうだ。僕はその、死刑になるほどの罪を犯した人間でも死がやはり途轍もなく怖いことなのだというその事実が、いつか僕にも訪れるのだという儚さが、怖すぎて、震えてしまう。死はいつだって生活の隣に潜んでいて、別に大量殺人をしなくても、僕らは死のうと思えば簡単に死ねてしまう。それが怖くて悲しいことだからこそ、そうしないように平和な社会を実現しようと多くの人が奔走しているのだ。それはとても尊いことだと思うし、
ところで、絞首台のボタンはクラッカーの音らしい。これを聴いて僕は不謹慎にも面白いと感じた。ぱんぱかぱーんみたいに首の骨が折れるなら、案外そんな死の形も悪くないのかもって、いや絶対にそんなことはされたくないけれど、でも本格的過ぎるドラマがなんかちょっと笑えるのと一緒で、僕はもし、絞首台の前で死刑執行を見学できる状況があって、ボタンが押された瞬間にクラッカーの音が鳴ったら絶対に笑うと思う。当事者はたまったものではないけれど、でもなんか酷すぎるものって結構笑えてしまう。
せっかくならリボンとかで派手に演出したらいいのに。最後の晩餐とかに税金使うのではなしに、リボンとか、銀紙とか、そういうので絞首台の周りを彩って、ふわふわのメレンゲを模したウレタンとかで塑像して、かわいいステージを作り上げればいいのに。それで死刑執行の瞬間に花火が上がって、みんなで喜ぶようなそんな形にすれば、ありふれた死の形だって少しは和らぐし、される側の気持ちは……まあ祝われたくないって思うかもしれないけれど、少しはマシになるんじゃない?とか、僕は他人事だからこういうことを言えるけれど。
被害者も、加害者も、なんか冷たすぎるよなと思う。でも気楽に生きられなかったことのある僕は、たまたま自分がそこから抜け出せただけでそれが正解みたいに語るのが酷いと言うことを知っている。だから、絞首台というのは物々しい雰囲気があり、死刑は悲惨なことであり、不幸の象徴だとする今の考え方は、否定するつもりはないけれど。
でもなんだかな。それだけだと物足りないんだよな。酷くて、悲しくて、退廃的で、全く新しくもない古き死の形は、僕はあんまり好まなくて、せっかくなら派手に死にたくないって君に告げた。君は全然共感していなくて、なぜなら君なんて実在しないから。これは僕の妄想の中の人物だから。
ぱっかんと割れた火蓋は祝祭の炎にも似た鮮やかな色の類を軽快に放出して、ときめく音楽とその人が昔懐かしんだ大好きな音楽で包んでせめて報われない僕らの生に、祝福を授けてくれるのかもしれなくて、僕は絞首台の前に向かった。身体は震えて今にも悲鳴をあげそうだけれど、僕はそれだけのことをしたのだ。誰にも救われなかった僕は、最後に悲劇を作った。自らの手で、演出した。だからこれは然るべき罰で、僕はその報いを受けなければならない。
でもなんか気持ちハッピーで、ハッピーって言っていなければ自分が失われそうなくらいに怖いから、っていうかこれから失われるんだっていうのに、僕ってそういうところが鈍感で、恐怖を武者震いに変換している。まるで不慣れなスピーチを読み上げる新郎の不甲斐ないこれまでの人生のように、形だけ与えられた人間はみな不幸で、それをクラッカーで最後に祝っても貰えるのなら本望だし、それがみんなの税金で作られるならこれほど幸せなことはない。
僕は今から死ぬ。だけどこれは次のステージに進むための福音で、僕は手足に枷を嵌められて、実際の景色はただ無機質な匂いの漂うなにもない空間なんだけど、なんとか足を前に踏み出す。精いっぱいに時間を掛けようとして、わざと転んだり、よろめいたりする。その度に怒声が聴こえて、僕はああ誰にもなんにも救われないけれど、でもこれからこの人たちが薄紫のユニコーンに変わるから。だからこんな僕の悲劇もハッピーに変換できて、映画のエンドロールみたいにブラックアウトするだけの人生、最高じゃん!
言い聞かせても身体は正直で、僕はそんな身体のことをかわいいと思った。これから首を折るための装置の上に立って、袋を被せられる。それすらも儀式の一つで、別に視界が開けていようが知ったことではない。けれど、周りの人間は全て考えることを止めた人たちだから、話はもちろん通じないし、過去の自分が引き起こしたことのつけを未来の自分が払うのは、まあ資本主義の名の元においては当たり前なのかもしれないけれど。
でも怖い。怖いけど嬉しい。僕はいよいよ眼前に迫った装置の前で恐怖を隠し切れなくなった。音楽が鳴り始める。僕の大好きな歌姫が、憧れだった曲を歌っていて、それがアナログなメガホンの中からノイズまみれで流れる。大好きだった血潮、若き日の夢見た思い、踏みにじられた感触、轢き殺した衝撃。
あの時のトラックは、僕の身体だったんだと思う。僕はあの時に死んでいたのだ。たぶんだけど、そこからはなんかはみ出た魂のなせる余韻というか、余波なのだ。本体はもうどこかに行っていて、後はそれを追いかけるだけだ。だけなのに、生きることに執着させられている僕らはこのことを不幸だと思っている。それを意識的にハッピーに変える。僕の死は無駄じゃない、誰かのためなんだって、そう思うことでしか救われない。マシュマロたちが歩いている。メレンゲのソファで手を振っているのは、君?あの時の?
真っ暗だったはずの袋はいつしか透明になり、レースが細工された美しいベールに変わった。僕はそれを頭から被せられて、隣の看守は目がきらきらしていた。なんだか祝福されているみたいで、僕はこれから自分のための花火が挙がって、それに最高のメッセージが掛かれることを密かに喜んだ。生きててよかった、かけがえがなくてよかった。
僕の首に優しくロープが欠けられ、それはオレンジや白や水色が編み込まれた美しいロープで、僕はそれに身を預けた。もう恐怖はなくて、僕に見えている世界は僕だけのものだから。悲鳴も、秩序も、全部関係のないことだったから。
遠くで音が聴こえた気がする。突然身体が宙に浮いて、落ちるかと思っていたら浮いた。浮いて、僕はあらゆる景色を見た。それは世界の果ての果ての、見たことのない空の柱で、僕はそこで待っている君が、なんだか遠く昔の生まれたての僕に見えた。