卒制で『papa』ってアニメを作った。作って、ひと段落して僕は何者でもない自分と何者かになりたい黄昏が王国と名高い堅牢な檻を作って僕はそこで自らの将来の、その微かな煌めきにも似た情景を胸に抱き、しかし同時に襲い来る言いようの無い不安、拒絶されるという杞憂、誰にも見つからずに自分の魂が消えるかもしれないというぞっとするほどの寒気が僕を、他愛もない二十三歳の僕を覆った。
僕は卒業後にいくつかの職を転々として、その中の一つがアニメーターだった。アニメーション制作会社、とそこは銘打っていたけれど、実質的にはミュージシャンのマネジメントも行う、かなりハイコンテクストな先鋭された組織だった。フォロワーが既に何万人もいるような優れたアーティストに生活資金という名の給料を支払い、そこで尖ったクリエイティビティを発揮させる。僕はその場所に偶然……いやある意味呼ばれていたのだと思うけれど、僕はそこで僕以外の何らかの意思に絆され、蹂躙され、およそ世界なんてほとんどが紙に色を付けられたハリボテだなんて思えるくらいには絶望し、明日が見えず、死ぬくらいに辛い目に遭ったのだけれど、それでも僕はあの時あの会社で得た経験が何らかの形で生きていることを願っていて、願うもなにも、そうだ。僕は役に立てていた、必要とされていた、けれど僕は『大きすぎた』。
アニメの制作というとみな、目が大きくきらきらとした頭のでかい手足の長い人間を想像すると思うのだけどそんなことはなくて、そこはモーショングラフィックスに特化した事務所で、モーショングラフィックスがなんなのかをいちいち僕は説明しないけれど、丸や三角や異様に伸びた四角形を操る平面世界のマジシャンのようなものが僕の仕事だった。
僕は元々そういったものに興味が強く、自然と引き寄せられる結果になったのだけど、僕はなんというか心が脆かった。繊細すぎた。僕の能力や、仕事に対して手を抜かない姿勢、表現への貪欲な知識欲、こういったものはみな評価してくれていたのだと思うけれど、僕に足りなかったのは信念だ。自分はここで何者かになるという、強い意志が足りず、足りないもなにも僕は僕でしかなかったのだから、いきなり「神アニメーターになって欲しい」と言われてもそりゃ困惑するし、僕は別にアニメじゃなくても自分の中の『美しい』や『面白い』の柱に即してなにかが作れるなら、それでなるべくなら僕が主導権を握れる立場にあれるなら、それは最高だっていうものだったし、でも僕の当時の才能は、『絵が上手く器用なやつ』以上のなにを語るものでもなく、それで入社したからには、「ああこいつにはアニメーターをやらせておけばいいや」と判断されるのは仕方のないことだったのかもしれない。
僕は最初の一か月は休みなしで働いた。毎日十二時間はフルで拘束されて、トイレや昼以外はずっと仕事しっぱなしだし、それでも別に良かった。給料は本当に生きていくのがやっと位の金額はもらえたけれど、でもそのお金で安心や、希望なんてものは買えず、とにかく目の前の膨大な作業に向かうことで、それ以外のことを考えないようにすることで、僕は見たくない現実から逃れようとした。けれどそれは結局現実に不安を抱いていることのなによりの証明であったし、そもそもで僕はここで正解なのか?とも思っていた。ここで、この場所で、神アニメーターになることが僕の人生だったのか?本当に深く悩み、でも悩んでいても時間も金もないので、僕は消耗していった。途中からはなんにも考えられず、社長との折り合いも付かず、僕はどこにも味方がいないような、そんな柔らかな絶望を抱くようになっていった。
プリン。ぷりぷりとした表面にゼラチンの混ざったたまごベースのクリームが冷えて固まったスイーツ、僕の魂はそれだった。一見意思があって、押しても弾力があり跳ね返ってくるように思えるけれど、その実押しすぎると崩壊するし、一度でも壊れたら二度と再現しない。世の中には色んな素材でできた人間が居り、鉄のようなびくともしない人もいれば、ダイヤのように光り輝く人もいる。けれど、僕はプリンだった。ふにゃふにゃのぷにゃぷにゃの、牛乳プリンみたいに繊細な心を持っているのが僕だった。
でもみんな僕がプリンだとは思っておらず、一応大学を卒業したそれなりに能力のある人物だと思われていたから、本当のところは僕は内面プリンな自分をほどよく理解してくれて、優しくしてくれて、居場所をくれたら。そんな甘い考えで入社してしまった僕も悪いのだけど、大人って残酷で、金でしか見ない。こいつの能力が金になるか、ならないか。それだけなものだから、僕は内面プリンな自分が面白いと自分で思えていても、結局『描く機械』で、高度な出力装置で、それを低価格で導入できるなら検討してやってもいいという、そんな買いたたかれ方をしていた。
それでも僕はその場所に居る人たちのことは尊敬できたし、みんなかっこよくて、尖っていて、センスばりばり放っている最先端の東京のクリエイティブの現場を間近で観られた物だから、それはお金に換算できない僕の刺激で、僕は会社飲み会で「入社してどう?」と先輩に聞かれたときにこう答えた。
「なんか、アニマがすごくて」
アニマ、と先輩の口が動いたのが伝わって、でも僕は昔から唐突にそういうことを言う癖があったから、それは滑稽な部分として受け入れられていた、と最初はそう思った。けれど僕には致命的に才能がなく、いやクリエイティブの才能はあったのだけど、そうではなく人間関係の、ごく当たり前に必要とされること、例えば遅刻をしないとか、上司の言うことを聞くとか、そういったことがまるで守れず、しかも僕は病み過ぎて、会社でいきなりぶっ倒れて後頭部を激しく打ったり、上司に「自分の精子飲むの好きなんですよね」と謎のカミングアウトをしたり、とにかくもうめちゃくちゃで、めちゃくちゃな僕のパラシュートはもつれて急落下していった。
どすん。パラシュートの素材って、その後リサイクルに回され、アパレル商品などに生まれ変わっているらしい。元々は上空から人が安全に着地できるようのためのものなのが、今は地上に居る人を外気から守るためのものになっているとか、なんか頑張ってるなって思うし、当時僕はあれほど頑張っていたのに、皮肉にも社会というものは頑張れば頑張るほどにうまく行かないようになっていて、頑張っている僕を見てみんな「そうじゃないのにな」と内心思っていたはずで、でも当時の僕にはなにもかもが欠けていて、正直田舎に戻って部屋に引きこもってなんにもしなければよかった人間なのに、調子付いて自分はクリエイターだ!なんて錯覚で変に東京で頑張ろうとしていた。東京で輝いている人は、全て東京で頑張る必要のなかった人たちだ。元より持って生まれた資質、資産、太い実家などを使って、悠々と暮らしている様がたまたま僕らにクリエイティブに見えるだけで、それを自分一人で資産ゼロ、援助ゼロからやろうなど無謀極まりなく、そんな大勢の若者の一人だから当然の如く『搾取』された。僕は体力も、精神力も、それこそ命すらもこの会社に捧げろと、そう言われているような幻聴が頭から離れずに戸惑っていた。
地獄だった。でもとてもハイカラな、極上の刺激体験ができる地獄だった。ある時は二週間で五分のミュージックビデオを作らなければならず、制作人数はたった三人で、その内一人は他の仕事で抜けていて、上司は海外に行っていて、結局僕一人でやっていた。物理的に間に合わないことがわかって、でも僕は上司とも折り合いがつかなくなっていたし、っていうか全てそうだ。僕はその時友達との連絡も切っていたし、なんか怖くてSNSも見られなかった。たぶん、孤独がそうさせたのだ。僕が意図的に依存先が少なくなるように、僕の中の悪魔が悪さをした。なぜそんなことをされたのか、僕は自分の中のこいつに疑問を感じて仕方ないけれど、でもこいつはこいつで、意思がない。ただ気ままに、移動した先にぶつかるということを僕の身体の中で勝手にやっているだけだ。それが僕を苦しめた。
それでも救いだったのは、出来上がった作品がいいものになった時。僕はああこの会社で頑張れば、かつて夢見ていた自分にどんどん近づいて行くと思えたし、本当にその時は思えたし、でも僕は上司と同僚とで言ったアニメーターが集まる花見でもやらかした。超尖った映像作家さんと話す機会があって、僕はカチコチに緊張して、その人がなにを話したかもほとんど聞いていないままに急に、
「パワーワードですね」
と言ってしまい、その人の口がパワーワード、と動いたのをみてああまた僕は変なことを言ってしまって、でもこれが自意識過剰のなせる業、金輪際の意味飛躍、飛沫感染、そんな伝染される僕の言葉に僕はもっと可能性を感じればよかったのに、よかったのに、分裂する自分がまとめられないでいた。僕はなにを喋っているんだ?目の前の人を混乱させて、怯えさせて、たまに泣かせる。そんなことをしてなにが楽しいんだ?と本当に自分のことが嫌いになっていった。
その場にいたアニメーション作家全員が、他との交流をしようとせずに内輪にこもって周囲に壁を作りながら小声で話していたのをみて、嫌いなタイプの美大生だなって率直に思った。
ハイになる。なるしかない、僕はハイになることで、僕としての意識を自らが黙すことで、仕事を乗り越え、弾んで、ジャンプして、でもアニメってどうしようもなく時間がかかるし、方向性を間違えたら全部おじゃんだし、自分の中の引き出し足りないし、上司は全然上手く指示出してくれないし、こっちから聞くしかないから聞いたら「好きにすれば?」みたいな返事になっちゃって、僕はもうぼわんと自分が大爆発するみたいになって、ああどうせ機械だから、僕は描く機械だから意思とか要らないんだ。みんな僕と話しているのはただプロンプトを打ってるだけで、別に僕と言う人間そのものになにか関心があって、関わりたいなにかや伝えたいことがあるなんてことはなくて、僕が僕でなくても別にいいんだ、ただ同じように出力してくれて、それでいて空気も読めて勝手に暴走しない使いやすいハイテクノロジーがあればそれでいいんだ。僕は全部勘違いしていたな、だったら僕も機械らしくやろう。意思なんて醸しちゃだめ、全員辛いんだから、誰にも相談しちゃだめ。みんな生きてるんだから、誰のことも否定しちゃだめ。僕はぷりんぷりんな脳みそを、誰にも共有しちゃだめ。だめ、だめ、だめ尽くしで自分を縛った。縛って、ふと僕は鏡を見た。そこには途轍もない表情を浮かべた青白い僕が映っていて、信じられないくらいに痩せていた。僕は会社の飲み会のトイレで用を足す途中で、この状況で血尿が出てないなら、まだ頑張りが足りないんだなと考えていた。鏡の自分が半分だけ笑ったのを見て、なんかムカついて思い切りその顔をぶん殴った。
鏡に傷はつかず、代わりに僕の手が赤く腫れた。僕はその手を隠しながら飲み会に戻った。みんな楽しそうに話している。楽しそうじゃないのは僕だけ。楽しそうにしなくちゃ、そう思って煽られた酒を全部飲んだ。飲んでも、飲んでもまだ飲み足りなかった。
気付いたら僕は泣きだしていた。なぜか泣いていて、自分が泣いていることに一番驚いたが僕自身だった。なんでこいつ泣いてんのって、周りが思う前に僕が驚いていた。とても優しい制作進行の方が、必死に僕を慰めてくれる。お手拭きを貸してくれて、ひしゃげた僕の顔を優しく拭いてくれる。僕は誰の顔も見られなくて、だって周りに迷惑を掛けちゃいけないから。掛けちゃいけないのに泣くなんて、最も恥ずかしくて愚劣な行為だから。社長が見るに見かねて、僕を注意した。
「うるせえなあ」
信じられないくらいに大きな声が出て、出したのは僕だった。飲み会は一瞬にして静まり、僕はああもうだめだと思った。バレたなら、別にもうどうでもいいやと思って、天使は自らの皮をはいで悪魔になった。思わず部屋を飛び出た。ずっと慕ってくれていた上司が駆けつけてくれて、大粒の涙を無表情で流す僕に対して、必死に呼び掛けてくれた。「大丈夫、大丈夫だよ。心配すんな、おれらがいる」そんな言葉に仄かに父性を感じられたものの、僕別にお父さんいなかったから。だからこの上司がそんな力強く僕を諭してくれても、僕はそれを信用できず、ただ叫んだ。中目黒の通りに向かって、本気の絶叫をかました。道すがらの人が僕に振り向くも、僕はもう、誰にもなんにも止められないただの化け物だった。
あと二十分後には会社に着いていないといけない。僕は行きたがらなかった。もう会社に着いている時間。僕は会社に行こうとしなかった。まだ謝れば許してもらえる時間、僕は呆然としていた。会社に本来行かなきゃいけない時間を二時間もオーバーしても、僕の携帯はならず、僕は放心状態で玄関に居た。靴も履いて、鞄も持って、あとはこのドアを開けるだけなのに、なぜかその力が出なかった。
「会社行きたくない」
僕は玄関で泣いた。誰にも聞こえていないとわかると、涙が止まらなくなった。足元には大量の公共料金や、チラシの紙が放置されていて、一度も掃除していない床は埃や、髪の毛だらけ。でも僕を助けてくれる人は誰も居なくて、だって僕は助けてくれる人たちを拒絶したから。だから僕は、誰にも助けてもらえなくて当然なのだ、と今更思案したところで、辛いものは辛く、笑いごとにできない自分の情けなさに、その存在の小ささに、今更ながら死のうかなと思った。僕が死ねば、全部解決すると思った。
でも、僕は死ねなくて、結局アニメーション会社はその後すぐに退職したけれど、辞める最後の日に、上司に謝った。これまでの僕の態度や、人格で、みなさんに迷惑を掛けたこと、そして言わなくてもいいことを伝えて上司であるあなたを傷つけたこと、僕は誠心誠意謝った。上司はそれを聞いて、なんだか魔法が解けたみたいに穏やかな表情を浮かべて、いつも使っているアーロンチェアをこちらに向けながら、その厚い瞼の奥の艶やかな瞳が僕にもわかるくらいにはっきりと、僕に伝えた。
「さかがみ君がだめだったんじゃないよ。だから、もっと成長した君に期待してる」
僕はそれをただのお世辞だと解釈した。それこそが失礼の源なのに、卑屈さという安全圏で、僕は上司の言ってくれた最後の優しい言葉まで、真剣に受け入れようとすることはできず、僕は深々と頭を下げて会社を後にした。たった半年間の短い期間だったけれど、僕はなんだか途轍もない喪失が自分の中を覆ったのを肌で感じた。
この世は物で溢れ、物が支配する王国で、僕らは物によって生かされている。平面だろうが立体だろうが、一次産業だろうがサービス業だろうが、人間が作り出した箱庭の中で慎ましく暮らしている。人間の外の世界は修羅だ。とてもじゃないけれど、生きていけるようなところじゃない。だからせめてこの枠組みの中で平和に暮らしていけるならば、誰のことも脅かしてはいけなくて、誰のことも大切にしなきゃいけない。そんな論理なのか、抽象的な理屈って世の中にあると思うけど。
僕がしたかったのは破壊だ。なにかを壊したかった。それが誰かにとって大切なものであればあるほど壊したくなった。既存の価値観の中で、ヒエラルキーがはっきりとした余熱の中で、僕だけが充満する欺瞞を見抜いていると、そう盛大に勘違いをしていて、僕はその自分という巨大な熱量が、質量の塊が、高速で都市のビルにぶつかる想像をした。きっと気分は爽快だろうとおもった。ぱぴぷぺぽだけがその後に散らばって、盛大なパレードが開かれたような荘厳な風景だろうと思ったし、僕にはそれができると、変な妄想ばかりをしていた。
抒情詩的、破壊への思索。耽る、思いは現実を時に塗り替える必然を醸して、僕らの曖昧な虚実を浮き彫りにする。夢は軽んじられ、現実だけが枚挙にいとまがない。それでも人は時に、意味深な言葉を繰り返す。ここは地獄だよ、繰り返される反駁される地獄だよ。
全部妄想で、でも僕にはこれらの事象がある意味では特別な真理を語るのだと思っている。それは嘘じゃなくて、実在する真実によってのみ語られている。それは僕が生きていること。壮絶な、と言ってもごくごく小さなどこにでもある狂人の、他愛もないストーリーだったとしても、僕はここに生きている。それは誰にも否定しようがないことで、だからこそ誰かに伝わり、僕が書いていることが意味ではなく音で繋がっているのだと、誰かに証明する手立てになる。今日も僕はごはんを食べた。大好きなお肉料理に、ちょっとしたサラダを加えて、白飯をかっこんで、旨いと呟いた。それだけでなんか成功っていうか、僕はこんな一人語りを誰も聞いていないということに、本当に晴れ晴れとした気持ちでいるのだ。