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分断するクリスタルの悲鳴が宿すクリスマスイブ

僕らは毎年パーティが大好きで、季節ごとのイベントが好きで、ハロウィンに扮装したり、お花見で団子を食べたり、夏にはプール、花火、湾岸ドライブなどのおよそ若者らしい遊びを好んでやり、いつメンで集まって、他愛もなく喋った。喋ることと言えば理解を必要としない鳴き声、例えば僕が「ぴゃあぁ」と喋ったら誰かが「ほぁあぁ」と返す。そんな論理というか独自過ぎて最早音楽理論というか、訳の分からないグループ感が僕らは大好きで、あたしはそれを切なくて、美学的な信仰心のあるものだと思った。

 

あたしたちは夢を見る若者の枠からほんの少し逸脱していたし、妙に現実的かと思えばある瞬間から身体が空中に浮くリズムを得て瞬間的に別世界にサバイブする、それは周りから見たら突然黙り込んでいるように見えたり、燻っているように見えたり、あるいは怒り出したり、泣き出したりすると言った形で現れ、僕らはそれを情緒不安定だとは見做さなかった。情緒不安定というのはあたしからすれば論理的で実直的でそこに感情の荒波が立たない人が良く使う『自分は安定している』という只ならぬ錯覚だとしか僕には思えないのだけど、あたしはそんな大人の人の乳首を摘まんで、引っ張ってやりたくなる。だって感情が全てでしょう?人間は、元から感情があって、感情から論理を構築したんだってそんな難しい話は僕が引き受けるけれど、人間には元々論理など必要がなくて、生きるためただそれだけなら感情だけでよかったはずで、嫌いなやつをぶん殴って殺す時期が数万年単位で続いていたのに、僕らはほんの少し最近できたばかりのデパートみたいなものでしょ?あたしはそれがデパートなるものが世の中に出来始めてから変わったんじゃないかと考える。だって、あらゆるものが瞬時に買えるなんて本来はおかしいから。でもそのおかしな世界であたしたちは生きているから、明日生きられるかの心配はセンチメンタルな抒情に変わって、明日生きられることよりもインスタグラムでストーリーに足跡付かないことの方がよほど怖いし、辛いし、フォロワー一人減ったら死ぬことを考えるくらいに悲しいし、僕はそんなことは言わないで欲しかったけれど、でも言う通りで、僕らはなんの気なしに生きているつもりでも足元には数々の死体の山が累積していて、それらが放つ腐敗臭を固いコンクリートで埋めてしまったから、清潔で論理的で正直な社会を構築してしまったから、ゆえに僕らは暴走する《価値観の》混在する《地表の》運命を模索する《ある種のパラレルワールドみたいな》普遍《その刹那的情景を》噛みしめるのは火か《水か》血潮か《アンニュイなほくそ笑みか》グルーブ感が大事なんだよって《あなたはそういうけれど》僕らに足りないのは《あたしたちに足りないのは》必然《偶然》。

 

だから僕らは遊んだ。あくる日も、あくる日も、大人になってからの友達は年に数回会うだけでも、幼少期に毎日遊んでいる友達くらいに仲良しなんだってどこかで読んだけれど、本当にそうで大人は時間がない。メリットがなければ付き合わない。それなのに僕みたいなだらしがなくて情緒不安定なすぐに奇妙なことを喋る五歳児みたいな野生児を、言い過ぎじゃない?とあたしは思うけど、でも本当にそうで、あたしみたいなお喋りで卑屈でやっかみが大好きで嫌いなやつはとことん嫌いなつんのめった姿勢を崩さない大女優くらいに汗かくのが嫌いな人なんて、僕こそ言い過ぎだと思うけど、でもあたしはそういうものを大切にしてくれる人がなによりも必要で、不可欠で、論理なんて必要ないって気付けた。僕はそれだけで救われた。

 

聖なる夜の聖この夜。街中がイルミネーションできらきらする、恋人が一斉に出来上がり、その身を一つに重ねる日の、あと少しでイブナイトが始まるってタイミングで僕らは新宿に集まっていた。薄汚いカラオケをオールで借りて、パーティするために必要なケーキだったり、ファミチキだったりをしこたま買いあさってレジ袋はパンパンだった。でもあたしはそのジャンキーな資質と糖質と塩分の塊が自分たちみたいで好きだった。摂取カロリーって幸せのパロメータでしょう?普段抑えられている本性を、さらけ出すとかじゃなくて最早身体が裏返るくらいに必死に、連投できる闇夜の密室で、僕たちは友達がドン・キホーテで用意してくれたパーティグッズで部屋中を彩った。絶対にミラーボールがある部屋がよかったの。そこをチャーターしてあたしたちはフルオープンカーに乗った気分でノッた。僕らは騒ぎ始めた。オールが始まるPM十一時に、深夜の二十三時に、僕らはよーいどんで誰が一番騒げるかを競った。

 

ただ普通のカラオケをするのじゃつまらないからと言って、その子はゲームを持ち出した。ルールは簡単で、ランダムに選曲した歌を順番にマイクを渡され、歌詞を間違えたり、言いよどんだりしたらショット一杯を飲む。これだけ聞くと悪魔のゲームだなって僕は思うけれど、悪魔そのものでしょ?アルコール度数結構強めだよ。でもあたしはこういう猥雑なゲームが好きで、っていうか意識なんてぶっ飛ばしてなんぼでしょ?いつだって致命傷で居たい。かすり傷ですだなんて、死んでも言わない。

 

あたしたちは自分たちが生まれた世代のメドレーを入れた。こういう時、メドレーは便利だ。例えば二千四年の曲が歌いたかったらそのメドレーを入れると、当時流行っていた曲のサビ部分だけがつながったハイカロリーな十分間が得られる。しかもフリータイムで、飲み物もアルコール頼み放題で、僕らはほどほどにしないと、が出来ない人間性なものだから、とにかく浴びるように酒を飲みたかったし、肝臓を意図的に壊したかったし、でもそれは自傷行為ではなくて、たぶんなんだけどアセンション《次元上昇》。僕らはフューチャーダイブしたかった。より取り見取りの楽園で、天使と悪魔が交際をする。

 

そんな夢を、あたしはずっとそんな夢に焦がれて東京に来て、でも現実の冷たさは、あたしみたいな矮小な人間の存在を許してくれなかった。だって悲劇だもん。呼吸するのにも等しい孤独な星々の光が、夜を明るく照らすのに、昼間が全てだって言うんだもん。夜に生きてる人間だってこの世にはたくさんいて、でもその人たちのことを社会《システム》は、虫けら同然のように扱っている。僕は持てる知識や能力を使ってそのシステムに挑もうとしたけれど難しかった。なによりもシステムは堅牢だ。その刃を通すことは叶わない。必要なのは『鍵』だ。暴力で開ける扉じゃない。大事なのは、いかにそのロジック《論理》を理解し、それをユーモアという鍵で突破するかなんだ、ということをあたしは白々しく聞いていて、でも言っていることはわかった。愛はパワーってことでしょ?たぶん、きっとそう。

 

その日集まった五、六人くらいの珍獣たちは、みな狂喜乱舞し、呂律が回らなくなった舌で本来歌えるはずの曲さえも間違えるものだから、まあ酒は減った。減るのがわかっているから余分に追加するので電話は常に取りっぱなし。店員があからさまに苛つく表情を浮かべてテーブル上のグラスを片付けるのを見てわかるように舌打ちをしたし、それが僕らがしたのか、店員がしたのかも最早夢の中で、「新宿でカラオケ店員なんてやるから悪いんだよ」とか王様気分でふんぞり返った。

 

蜜月の夜。ただし僕らが乱れているのはなんの性的関係でもない、ただの友人たちだ。旧友であったり、旧友の知人であったり。僕らは知らない人遠しでも簡単に仲良くなれることを案外知っていて、それは僕らが初めから類まれなる『嗅覚』で、『選別』しているから。違う?違わない。あたしはその推測を正しいと思って、あたしたちは同種を見つけることができる。その人間性や、盗み癖があるかどうかなんてわざわざ『判断』しなくても、見つけることができる。なぜなら真実を語る光の前で、人は嘘を付けないものだから。

 

そんなこんなでパーティは混沌と化した。アルコールを既に何杯摂取したかわからず、みな怒声なのか罵声なのか、その辺りが混じったよくわからない奇声を発しながら、「歌え」と暴れ散らかりまわした。途中、間違えたのにも関わらず飲むふりをしたやつを見つけると、「おい飲め」と言って杯を強引に縦にし、口から零れた液体がズボンを濡らすのを見て爆笑した。笑うところじゃないって僕なら冷静に思うんだけど、一糸纏わないどころか全糸纏ってるくらいの厚着をして最初集まったのに、いつも間にかみんな脱いでて、でも裸にはなっていなかった。みんなユニクロのインナーやら、GUの薄目のセーターなんかを羽織っていたけれど、それらは酒に濡れ、紅潮した肌の色はもうなんか絶頂し続けた後の女の子がもうイケないって泣き言言い始めるくらいの、人間がぼろんと剥きだされた生臭い花のめしべを直接嗅いでるくらいに物々しく、僕はそれを見て爆笑した。結局笑ってんじゃんってあたしは思った。

 

カラオケは続き、僕らは途中から趣旨を変えた。「もう得意なやつ歌っていい?」と野郎が叫んだのを見て、「いいよ!」と誰かがエールを送る。その子は思い切りマイクを握りしめて、ラルクアンシエルなのかXジャパンなのか、よくわからない歌を大熱唱した。「最高~!」と波ダッシュにビブラートが掛かるくらいにノリノリの僕らの声は、狭い部屋中で淫らに響き渡って、僕はその横でポッキーゲームを始めた。クソメス気取った淫らな女と、顎先を前に突き出しながら一つのポッキーを食べ進めた。キスしてもいいのにな、どうせ過ち起きないし。あたしはそんな風に『同性』なことを理由にその子とディープキスをした。舌を入れた瞬間、向こうも舌を入れてきて、あたしたちは初めての春を味覚で経験したらこんな感じになるんだろうなってくらいの酸味を舌の上に感じて、でも性器には一切興味がなかったから胸を触った。全然おっぱいなかった。絶壁といっていいくらいの陥没した肋骨がそこに浮き出ているだけで、別にたわわななにかがあるわけでもなかった。僕は安心した。僕は乳房が苦手なんだ、柔らかすぎるものは、食べられそうな気分になって落ち着かない。

 

本当は男子と入り乱れたかったけれど、僕の『性別』がそれを許容せず、僕は女の子と戯れることしかできない自分の愚かさで勃起しそうになった。でも幸い、見た目が好みなメンズはいないし、っていうか居たら絶対ヤッてるし。ヤらないわけないし、ちんぽなんて咥えとくだけ得するもんでしょ?あたしは最低だなこいつとか思ったけれど、純情な乙女のハートはぎんぎんに滾ったちんぽの前では無力なことを知っていて、乙女の恥じらいは恥じらうという仕草で結局男性器を受け入れているのだ。世の中のフェミニストを名乗る人たちはそれを誤解している。あなたたちが受け入れられなかったのは時代のせいではなく、結局男にしがみつくことに安寧を得てきたというだけのことでしょう?

 

嬉しさは許容値を超えて、僕らの身体は光始めた。人間が進化する瞬間、ポケモンに特定の石を重ねたあのシーンのように、でん、でん、でん、でん、と僕の脳に幻聴が響いた。デジモンシンカーと変な声も響いて、僕らはつるりと剥けた。完全大変態だ!蝶の方の意味の。脱皮とかそういうのの、もっと超常現象的なやつ。なんか偏差値下がってない?ってあたしは思ったけれど、クリスマスイブは世界中の人が馬鹿になる日だから。また開いて、胸を出して、びろんびろんのくんずほぐれつする日でしょ?こんなのハイになっていなきゃやっていられないよ。

 

あたしは天井にぶら下がっているミラーボールを見つめた。細かく切られた鏡の破片がまるで世界を分断するクリスタルのようで、その一片一片がパラレルな明日を映しているみたいで。呼吸は振動と擬態する。さめざめとした肌は急性アルコール中毒の症状を思わせる。でも意識はまだ懸命で、僕は段々薄れていく意識に、自己の内在について、深く思案し、この世がこの世であった理由を想像した。そこは真っ暗な闇の中で、初めて『有』が生まれた瞬間であり、物質が反物質に勝った瞬間であり、僕だった精子があたしだった卵子に着床した瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大量の嘔吐感で目が覚めて、僕は周りが「大丈夫?」と声を掛ける中で、薄らいでいく意識を段々取り戻した。吐瀉物の酸っぱい匂いが服中にこびりついていて、僕は新宿の路上で服を脱がされ、たぶん友達が買ってくれたであろうロングシャツを上から被り、その新品の服の匂いに安心した。ああなんかやらかしたなとは思ったけど、そこは意識の向かう先。僕らはタクシーに乗って早々に帰ることになった。

 

朝五時半過ぎ。タクシーに揺られながらも途中何度も嘔吐感が押し寄せてきて、僕は友達が買ってくれたビニール袋の中にゲロをした。それから「水飲め」と返り道が一緒の野郎に背中を摩られながら、ぐあんぐあんと揺れる視界の中で何やっているんだろう自分と思った。

 

あたしは家について、まずメイクも落とさずにっていうかしてないんだけど、してないから心のメイクを落とさずにそのまま寝た。シーツも被せていない、マットレス直置きのベッドにごろんして、それで、なんかこのまま寿命迎えてもそれはそれでウケるなとか考えて、起きるのが怖くなっていた。

 

起きた。致命的な現象は、家じゅうがゲロの匂いになっていることと、それから昨日あたしが恐らくやらかしたであろう事態に落とし前をつけるべく、まずはグループラインで謝った。ほんとうごめん!全然意識なかった。介抱してくれたよね?ありがとう(涙の絵文字)なんて打ってから、既読も見ずにもう一度寝た。寝て起きて、もう夕方なんだと思い、仕事休みにしておいてよかったなとしみじみ思った。

 

イブが空けたクリスマス、世界中の恋人たちがコンドームを脱ぎ捨て、清潔なベッドシーツで微睡みから覚める中、あたしはゲロ塗れの服とベッドの上で朝と言う名の昼を過ごした。気分は最悪で、割れるような頭痛にまだ残る嘔吐感、いつまでたっても出続ける尿に、風呂に入らずに寝たせいで散乱しているマイヘアイズバッド。全てが嫌で、バッドに入りかけたけれどそこはまあ、毎年のことだから。渋々風呂に入り、身体中の汚れを落とした。

 

それから少しだけ携帯をいじってから、買い物に行った。近所のコンビニで総菜を買って、買っている間に食欲が戻って来た。家に戻ってパスタをあっためると、その人工的な匂いになんだか感動まで覚えてきて、生きてるって思った。たぶん、ずっと死にたかったんだろうな。あたしって、別に生きてていいこととか本当はないはずなのに死にたがりなんだ、となぜか神妙にその時は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕らは世界の悲鳴を聴く。今日も明日も、信仰するなにかが裏切られたときの、人の絶望な嘆きを聴く。喝さいは轟き、演者たちは歌い声を上げる。のろしは佇み、人はそれぞれが旗持ちの、繊細な船乗りの一人であろうし、それは舞台役者だからとか、演者だからとか、そういった理屈では済まされないなんらかの輝きを放っていて、信じるしかないのだ。舞台上から飛び出る自分の血肉を。観客席から眺める一滴の心を。盛り上がりに欠けるとか、人の人生だよ?勝手なこと言わないでよって思う心はあたしで、あたしは清潔な世界よりも邪悪な、混沌の方が居心地がよく感じるし、けれどそれは安全が保障された、気の合う仲間でやるものだからいいのであって、扮装地域なんて行きたくないし、殺人なんてよそでやってよと思う。

 

けれど僕たちは今を生きていて、これからも、明日を呪うのだ。それを祝いだと感じられるハッピーな脳みその連中はどうぞそのままに生きてくださいって感じだけれども、どう考えても呪いだろう?と思う。こんなの、そんなに怒らないでよ。あたしがいるし、あたしにはみんながいる。みんながいるからあたしで、あたしがいるからみんななんだよ。これって言葉遊びじゃなくて、

 

純情。乙女のハートが映し出すマジックリアリズム。虚空になびく線は、昨日サンタさんが通った後に違いなくて、あたしは雲にも似たその線に、僅かな希望を託して今日も胡乱な夢を見る。来年も、そのまた次の年も、きっと死ぬまで、絶望的なステージに昇り続けるのだ。人生ってそういうものだろうって、僕は笑った。