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裸の痴態運命的なエトセトラ砕ける夢は悲劇の尻の中にある宇宙

エロ垢見るのが好きだった。今も好きで、昔から好きで、たまんなく好きな痴態が弾けて僕だけのエロスを醸すのが本当に好きで、ぞっこんで、そういうことをするのはいけないと大人に注意されればされるほど僕は好きで、なんでかは知らないけど注意されればやる気が湧くし、寛容されればどうでもよかった。天邪鬼とか一言で言うこともできるけど、僕の場合は『反比例』だった。世の中の大多数が比例の法則に則って動く中、僕だけ増えたら減るし、減ったら増えていた。それがいいことだったのかはわからないけれど、エロ垢は僕の癒しだった。

 

特に小麦色に焼けた肌の人が好きで、僕は現実で人を犯すときはなるべく日に焼けていない人が好きなのだけど、バーチャルの世界で覗き見る分には淫猥な小麦色を好んだ。焼けたパンとか、グラタンの表面とか、なぜかその人たちのぱつんぱつんに張った肉体は食欲と部分部分で重なる点が多かったし、僕は美味しそうと思っているのか、その辺が曖昧で、食欲と性欲を混ぜる漫画はきらいだった。ただ異性なら異性に煽情的な魅力的な人間を描いて、それに恍惚とした表情を浮かべさせて一心不乱にご飯を食べさせる。僕はこんなの、二次元キャラクターの虐待だと思ったし、それが商業で売れるというのも、例えばゆ虐みたいに世の中に大々的に出してはいけないものがあるとしても、してもだ。僕はそうやって『出していい』とされる物事に生堀り種付けする商業畑の人の気持ちがわからないでいた。売れるならなんでもいいのか?

 

とはいえ僕は売れておらず、それどころかほとんどなんの手掛かりもないまま孤独の海で自分に似た同士を探した。心では飢えていた。深海に潜む訳の分からない造形の生物に自分を重ねた。超常現象を信じた。それくらいしか僕に楽しめることはなかったし、楽しみたいともそもそもで思っていなかったのかもしれないけれど、僕はペニスがむらついたら射精のためのおかずを探した。xtube、xvideos、pornhub……

 

彼らは一様になにかを信じていた。縋っているというのか、信仰しようと無理をしているのか知らないけど、見えないなにかが見えているみたいに、同じ仕草をとった。たぶんこれはその方が売れるからという商業的美学に基づいた戦略なのだとすると僕にはその行動原理は容易く理解できるものなのだけど、でも僕の中のなにかが違うと言っていた。この人たちは盲目なんだ。たぶん、視力を失いたがっている。

 

映像の中で破裂しそうなくらいに蓄えられた脂肪、もはやだらしないの一部のような二頭筋にはもりもりとパテで持ったみたいな筋肉が添えられ、刈り上げられたもみあげに深いあごひげを蓄えて、僕がそういうのを好んで見ていたってのもあると思うけれど、バリエーションがなかった。ある一つの正解だけがある世界で、それは見えないこと。見えるのであれば、見えなくなるまで続けること。つまり何者でもなくなること。個の喪失、着ぐるみの中の内蔵。そんな風にエロ垢を解釈すると色々なことが見えてくる。

 

僕はいかにもなゲイビデオよりも素人が撮ったであろう画質の荒い不鮮明な荒々しい映像を好んだ。ほとんどが顔出しされず、というよりは顔が映っていると凝り性の僕はその顔がタイプでないと抜けなかったので、顔がなければ肉体なんてどれも大差がなく、なんとなく醸されるイケてる感じ、だけで大層美味しく食べられますってのがなんか保存食みたいで、人間って昔からこういうものに救われてきたんだろうなって、インターネットが出る前までみんなどうしてたんだ?と急に思うくらいにはエロ垢にはなにか寛容な、堂々とした躊躇いがあった。あと一歩のところで致命傷、みたいなカタルシスとまでは行かない不感症、パズルの表裏、亀頭に付着するガーゼ、一応流行りなんてあるみたいで、それこそ亀頭ガーゼとか、乳首に付ける変な機械とか、メスイキのための解剖学とか、くすぐる相手を逃げられなくするためだけに進化した足を固定する装置とか。エロコンテンツはそれだけで生物の進化を見ているような感慨があり、僕は《錯乱する》いつも感じたままの《神経質な》態度に甘んじる《翻った無想》夢のために死ぬことは《いつもひとしえの快楽に》結んだ指先の甘い汁《呼吸は整うための作法の黒》藍は魂魄を装う絆に《運命を溶かして進む》火蓋《燃ゆる朝日が》嬉しいはずの飢餓を《打算する情景に》宿す《その刹那的快楽は》ただ集まった蚊に吸われるための皮膚に全能が僕を支配する感覚の閾値に往来を兼ねて持てる望みは唐突な理屈を一切に介して不乱に身体を振る魂、肉体、センチメンタルとノスタルジー、全部嫌いで、僕はそのためだけに生きて来たはずの時間を、全て費やして徒労に甘んじるのは呼吸をするための儀式だとでも、世間はそういうけれど僕は、僕だけは信じてる。このクソみたいな社会で呪いを弾いて懸命に生きることを望んでいるそのために、みんないるのだ。

 

邪魔しないでよ、と誰かの囁きが聴こえる。僕の脳裏には天使が住み着き、独自の悪さを抱えて僕をたぶらかす。ぴちぴちと音を鳴らして湿度の高い高温の物体は、それ自体が陰と陽のはずで、人は昔から気付いていた。この世の真理は相対的な姿をしていない。ただ僕らは相対的なレンズを通してしか、そのことを知覚できない。だから真理とは、徒労の果てにしか存在しえないのだと。既に手に入っているがらくたを戒めるようにして、僕は自分の性器をまさぐった。亀頭から出る汁を先端に塗りたくって、少しだけつばを混ぜて柔らかくした全体も擦る。擦ると切り傷から滲むみたいにして我慢汁が出る。僕は画面の向こうの神秘的な宇宙に心を奪われながら、誰も見ていないはずの自分の背中に向けて熱い精子を解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもこうやって、無駄に何億もの精子を吐いて、それでなにかが報われるとかも別になくて、僕は六畳の部屋の狭い隅でパソコンという名の別世界を開く窓に夢中で、その他なんてありはしなかった。世界はこんなにも色彩で溢れているのに、僕はその全てがもれなく崩れ落ちて、廃墟となってもおかしくはない、足元が崩れそうな感覚に陥る。けれど人はそのことを理解してくれない。僕の伝え方は、言語という伝達手段においては確実なものであったはずだけれど、それでも僕の意思を通すことを人は許してくれない。なぜなら僕が喋っているのは『言語』であり、みなが介しているのは『魂』だから。みんなバイブスでしか生きておらず、僕だけがその中で言葉を使って頑張ろうとしていた。全部無駄で、言葉なんて、なんの役にも立たないのだ。僕にはそれが哀しくて、でも哀しくても僕は猿みたいに画面の中の尻めがけて吐精するしかできない類人猿もどきだし、結果的に僕はなんらかの進化を己の中でやり遂げたのだけど、そんなことは世界の誰も興味がないし、僕はただ、甘くて優しい世界が自分だけのありようであればそれでよく、しかし優しい世界は、みんなのものなのだ。それが耐えがたく辛く、それならばいっそ壊れてしまえば、それこそが救済だなんてインセルが陥りやすい独特のデカダンスというか、ルサンチマンというか、そういうものに縋るしか僕にはよすががなく、なければ信仰する神も居ない僕には、ただ自分が存在するというこの仮の定義付けのみが真実でしかないのだ。それを人は救いだと呼ぶのか、僕には自信がない。

 

インターネットで過激なコンテンツを運営する人たちの本職は、高給取りが多いという噂を聞いたことがある。少し前にあった東電OL事件なんてまさにそうだけれど、俗にエリートなんて呼ばれている人たちの多くは、自分よりも強大な力に支配されたがっていると思う。そして自分たちよりも可哀想な、哀れな人物を定義付けて、その母数を増やすことによって心の安寧を得ている。けれどそれはまさに奴隷制度の構造であり、人権を軽んじた社会の底辺層の数を増やし、上位の利益を独占しようとする浅ましい考えだと、僕は思わず批判しそうになるけれど、でもそれって合理的なのだ。社会は適者生存なんて呼ばれているけれど、実際は力がなく、生まれも育ちにも恵まれなかった多くの人たちが、ごく一部の力を力として振るうやり方を教わった運がいいだけの人たちに、羨望の眼差しを向け、それがたどたどしい絆みたいな一体感を助長しつつも、オタクって結局奴隷の鎖自慢してるだけでしょ?悲しい気持ちとか、鬱屈とした気持ちの美しさなんて彼らにはわからなくて、でもきっと彼らも寂しいのだ。だからインターネットで鍛え上げた自慢の肉体を、同じように美しい身体を持った人たちにぶつける火花を僕たちに味合わせている。onlyfans、myfans、fc2adult……口では多様な世界とかほざいていながら、実際は誰とも混ざる気がない。いや、混ざる気がないのではなく、一つの形を正解だと信じている。それは多数決の名の元に可視化されたいいね数を争うくだらないゲームであり、その勝者は自分だと信じている。しかしそれは過酷な道であり、いいねが可視化されればされるほど競争は激化し、市場はレッドオーシャン化する。取り分が少なくなってきたことに気付いても、彼らはやり方を変えられない。既に得た既得権益が、大層可愛く見えるからだ。今更大勢のフォロワーを捨てて非効率に生きるなんて、彼らには絶対にできないし、結局その支配されたがっている構図が私には大名に奉公する家臣のようにも、あるいは部長に逆らえない課長以下の様子にも酷似して映る。それを皮肉として捉えていた時期もあるけれど……今はありがとうって思う。僕らに無料で極上の肉体を見せてくれて。その高給で作られた立派な身体が老いに負けるまで、一心不乱に腰振る様子を僕は見てるよ。隈なく、隙間なく、しらみつぶしに、全部見るよ。

 

だから僕たちはそういう『頑張る』人たちの光の元で自由を謳歌している。人間全部が頑張らなくなったら社会は崩壊するし、でも人はそういう役割がなぜか全体主義の名の元にプログラムされているから、いくらでも替えが効く。希少な人材!とか、たぶん表の表情はそういうのをくぴっと掲げたエリートサラリーマンなんだろうし、そんな風にぱつぱつのスーツの下にずんぐりとした一物をぶら下げているのもそれはそれでエロいけど、でも僕はそういう『二面性』が大好きだ。石の裏をめくったら、中からうじゃうじゃと虫が出てきましたって時のあのぞわっとする感覚。虫は嫌だけど、人間の生臭さでそれを見るのは至福で、居場所はここだったんだと思う。僕は誰に向かってでもない自分に、居場所を自らに作るために服を脱いでいるのだ。僕のちんぽはそのためにある。

 

エッチなバズーカ、拡散される精子精子のパラダイス、酒池肉林のジャングルに濛々と生え揃った髭やギャランドゥや尻毛。アナルをおっぴろげて、今日も猿たちは躍る。自らが猿山の頂点だと誤解しながら、本当のことに目を伏せて、一心不乱に躍る。僕らはアンダーグラウンド、世界はひらけていて、狂った果実に断片の林檎はもはやニュートンですら解明できない砕けた夢の世界で、その変態的なエトセトラに、運命なんて感違って、感じちゃって、馬鹿じゃないの?でも馬鹿でいいじゃん。踊ろうよ、おれの雄っぱい、どう?気になるなら触っていいよ。

 

 

自認レゼが流行ったみたいに、たぶんそういう煽情的な魅力的な異性、まあ僕らの場合は同性なんだけど、そう言うのってみんな好きらしい。誰しもがたまらん顔付きの肉体美に振り回されたいと思っているし、僕はそれを悲劇じゃんって笑うけれど、喜劇だ。僕らのステージは始まっている。感情は鼓舞しきれないグロテスクさをその身に宿す鏡であり、僕たちのために彼らは今日も踊ってる。アナルにちんぽを突き刺している。

 

起爆しろ、爆ぜろ。僕のリリカルブレードで、君の喉を掻っ切って殺せたら、僕も一緒に死ぬからさあ。そんな大層な一人語りが極上のエンタメだなんて馬鹿らしくて、でも僕はある意味本気で、そんな風に魅了出来るんじゃないかと思う。肉体は僕は運動嫌いだから無理だとしても、でも言葉で、魂で、なんかやれるんじゃないかってどこかで信じている。けれど僕みたいな人物を社会の頂点である彼らは見下して、こういうんだろう。

 

「フォロワー作ってから出直せよタコ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

諦めたくない。いつだって火蓋は切って落とされていて、呼吸はかじかむ指先を温めるためだけにそこに存在する。肉棒に奉仕をしても、魂だけは売ってないからって売女が叫ぶような、そんな哀れな文化的構造をどうしてこんなにも享受できてしまえるテクノロジーが好きでたまらないのだろう。いっそ全部なかったらよかったのにな。味わい深い気持ちも、宿す肉体も、全部なかったら恥だったのに。夢だったのに。生きがいはそれしかなくて、でも僕らの血肉にあたしは希望を宿すんだよ。こんな風に甲斐甲斐しくだらけた結末を迎えるなんて許さないし、あたしは絶対に気持ちだもん。強い気持ちと、強い愛なんでしょ?

 

乱交パーティ、汚らわしいし、売り専とかそんなの見せないで欲しいし、なんで身体売ってるくせにNG出すのか意味わかんないし、君売り物でしょ?なにいっちょ前に人間性醸してんだよ。人権とかねえよ。って僕がそんな風に思うこともあたしは否定するのかもしれなくて、愛で包んだパイだから。人間なんてミートソースとなにが違うの?一皮むけば真皮が露出し、個なんて全部消えちゃうのに、文化なんてもので厚着して、死ぬまで正体見せないなんて、サブカルってなんてつまらないんだろう。

 

皮肉屋でもよくて、いつまでも愛は抒情詩的で、でも言葉に魂は宿ってなくて、ただそこにあるだけの軌跡をなぞるだけの真実が、今も苦しい。いつか辿り付けるとわかっていても、僕は真実までの遠さが憎い。憎くて、あたしはそれを慰める。なんだってできるよ、みんなもそうだから。そんなファンタジーとしての人生を、最高のステージで披露して、爆散したい。

 

散りになって、全部崩れ落ちて、瓦礫の中でひたすら大爆笑すると思う。ほら言った通りじゃんって。なんにもないんだよそんな世界。僕らの大事なインターネットを粉々にしたやつら、あたしの大切な孤独を蹂躙した経済、全部死ねばいいのに。今も、これからも、死んでやり直せばいいのにさ。それができなくて、

 

可哀想な命。僕は昔ハムスターを飼っていたことがある。何を思ったか、僕は砂利にその子を沈めた。そしてその上から水を掛けた。気持ちよくなってくれると思っていたんだと思う。それを見たおばあちゃんが駆けつけて、「なにやってんの」と僕を叱った。

 

僕は叱られることがわからなくて、だってプールはみんな好きだから。僕が好きと思っているものは、みんなも好きで当然だと当時は本気で思っていて、だからだめとかない世界が幸せだった。なにをやっても僕のことを肯定してくれるおじいちゃんが好きだった。発情すらするくらいに、なんでも、甘やかしてくれる僕だけのおじいちゃんが今も好きで、

 

今日も暇になったらエロ垢を見ると思う。で、固くなったペニスに優しさなんてちょっとだけ振り撒いて、僕はSNSで王様気取ってるやつらの裸の痴態を眺めて、文章を書く。僕にはそれくらいのことしかできないし、それくらいができれば何でもできると思う。あたしはそれを寂しいと思うし、こんな風に誰にも聞かれていない場所で孤独を歌うなら、あたしだって他にやることあるよと思う。なにと僕は尋ねて、あたしは洗濯とか、掃除とか、と真剣に答えるのを僕は笑って、なんで笑うのとあたしは怒って、みんな一生懸命なその様に、独自の宇宙を見出して、今日も回る。インターネットは随分と寒々しくなってしまったけれど、オモコロがお笑いの頂点みたいになってるけど、そんなことはないと思っていて、僕はアルファだってつまらんときはつまらんと思う。つまらない部分を見せないことだけが上手くなったら、なんにも意味ないんじゃないのってほらまた一人語り。やめてよってあたしは思うけれど、読者が離れるかもしれないとか何にも考えてない今が幸せ。今が好きだから、エロ垢の人たちも、今がきっと好きなんでしょ。