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狂乱

欲求が凄い。連続する大暴露の本質的な感情移入つじつまが合わない物事の多くは有言実行に思えるらりるれろ、ポストが続く果てのシラバスの海、地平の境界線。いつもどこかで夢に見ている空間、秩序、荒れ果てた荒野の先に居るのは、いつもくたびれた顔した中年男性か、物々しい顔の浮浪者か、邪な主婦か、専門医。みんなしらばっくれている、くれて、目に見えるものだけを尊いと感じて、生き永らえている。呼吸程に残酷なことはない。人はみな亡者だから。金と愛に飢えた悲壮の亡者だから。

 

その日も電話は鳴りっぱなしだった。急に来るものだからと驚かないのが慣れの怖さで、慣性の法則が働く。行き過ぎると、人は戻れなくなるし戻れなくなることも承知の上で暴れ出す。小さなボタンの掛け違いが生む悲劇がいつも僕らの空間には蔓延って居て、それはとてつもない声で怒り散らす男性や、ねたねたと我慢汁を拭いた後のティッシュみたいにしつこい女性、あと話のわからない若者という形で顕現する。

 

僕は態度に表す。「ですけどね、できることとできないことっていうものはあるんですよ」と。あなたは解釈する。「できることしかやらないのが納得できないって言ってるんですよ」

 

電話越しでの癇癪は、そのまま聞き手の耳に破裂音として聞こえる。さ行の方がま行よりも男性らしく聴こえるという話と同じで、別にそう聞いていなくても例えば語尾の「よねえ?」とか、わざとらしい溜息、「あのね」この一言ですら僕には鋭く電話越しの相手がどういう感情を抱いているのかすぐにわかる。わかるから、それを無いことにして振舞おうとするのだけど、逃がしてくれないどころか、そういった『安く買われている』という態度そのものが向こうにとって許しがたいもので、浅はかな言動は許されない。友達感覚で無理とか言おうものなら一触即発、大撃破!大日本帝国万歳!となるのが目に見えているからだ。猫を被る。

 

にゃあん。なんて言葉で出せたら話は早いのだけど、現実ってそうもいかない。だって許さないと思ってこちらに刃を向けている人間に猫かぶりが今更通用するか?……いや案外通用するかもしれないから、意外とありかもしれないから今度やってみようかなって、そんなわけがなくてにゃあんと言った瞬間はしのげても、その後の通録データ、社内規則に則り、相手方の反応はきっとこうだ。「お前ふざけてんのか?」

 

ふざけてないです。至って真剣な時に人はごまかし笑いをしようとしてにゃあんとか言うんですよ。当たり前がこちらでそちら方は狂っています。狂っていてなお、正しいことを主張する輩は不遜です。刑罰です。告訴します、とはならないのが普通で、社会に生きるものの当然の術というもので、ここはどうか一つ、お塩と胡椒を少々々々……

 

こんな通説がまかり通っているのがナンセンスだと思うしふんぞり返る自分の気持ちを肯定して行く方が普通だと思うのに、この普通は世の中では普通ではない。「それはがみにゃんの基準値だから、他のみんなはこうだよ」なんて言われた日には、魔法の猫ちゃんポーズかまして「そうだね」って言うのがやっとなのだ。僕は猫かぶり魔、世界を終焉せし者。

 

だから殺すしかないと思っていて、破壊には破壊をぶつけて対消滅を狙うしかないと思っていて、破壊をさらに大きい破壊で上塗りするのは本当は止めておいた方がいいし、僕はそれをなんというか普通にやりそうになるから本当の意味で抑えているし、抑えなければ六年も会社員生活続いていないし、いないからこそ私は猫かぶり。にゃん、ぶっ殺すぞほんまによお。

 

だからと言って、殺しちゃいけない。こんなやつにも人権はある。人の話しを聞けない耳、言葉の理解が浅い脳、思慮のない心、盲目の目、噛んで口内炎ができた舌の内側、見えないけれどそこにあるであろうどでかいほくろ、全部不幸だと思うし、そんな不幸な人間に生まれてハッピーでしたねラッキーでしたねこれからもどうぞよろしくねって、そんな歌もあったけれど、忘れて、人は怒られ過ぎると怒っている行動自体が面白くなる。

 

「消費者センターに行きますから!」

 

勝ったと思った。すかさずに「お客様のご判断にお任せします」と返す。これは定型文、おはようと言われたらおはようと返す。無視したら失礼だし、違う言葉で帰ってきたらなんだ?となるから面白い。ならないのが普通である。古でもある。

 

「あなたお名前は?」

 

苗字だけで返す。当然下の名前を聞かれるも、「社内の規則にてフルネームは開示できません」ご了承くださいの部分を言う前にあなたは噛みつく。あたしが許しても世間は許さないわよ。これ録音されているわよね。お宅の商品の欠陥よりもそちらの態度がむかつくのよ。もういい、上司に変わって。代わる代わる言葉を頂く。

 

「お断りいたします」

 

私は猫かぶりの天才、許し難し怪盗キッド

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特に何事もなくその件は終わり、別の件、別の件と対応を重ねていく内に、『お客様』というものの正体がなんとなく見えてくる。別にお客様って神様じゃないんだけれど、神様だと思っている人も中にはいらっしゃり、そんな方には人間の焼き印を押してやりたくなるし、あまつさえ押されても首輪を引き千切って主人に物申そうとする輩も居て、そんな人には鉄槌を下す。正義だから。会社って、基本的に正義で動いているから。

 

その正義がいかに汚れた金で培われたものであろうとも、ガワがきれいならみんな買う。買うから、騙される方が悪いはある意味真実で、世の中でいじめっ子って絶対に居なくならないけれど、それは虐めるという行為が本質的に楽しいものだからで、意義も意味もなくて、ただ人は歪んだ正義を他人に押し付けるのがとてつもなく好きな生き物なのだ。だから殺しも、盗みも、よくないと世の中で決まっていることは全てやるととてつもなく気持ちがいいものだ。その快楽が社会に混乱を招くから、いずれ表現も禁止されると思う。

 

だから今の内、浅い論理を無視してハートで情熱を紡ぐ僕は気狂い寸前の思いで今日も明日もそれから先も、まあその内辞めるだろうけど、辞めるまではこんなことをやる。こんなことをやって、電話越しの相手に感情を移入しない方が良い対応って褒められることも自然に受け入れて、別に僕ばっかりがひねくれているわけじゃなくて、みんなもそうでしょ?みんな、心のアナルに指突っ込んでもらいたくてたまんないんでしょ?だから性器とか、心とかが存在しているんでしょ?って僕は思うのだけど、こんな論理は通じない。ごみ殺界!劣情遮断!空前誤爆は独りでいる若者の背中を中央線の上で卒なくこなす営業代理店の猛攻。だめだっつってんのに、僕は言う。「お客様、あまり度が過ぎた発言はお控えいただけませんか」と。

 

「なんでよ」「カスタマーハラスメントに該当しますので」ぼわん、ぼかん、ぼつーん。

 

魔法の言葉は人を救うためにあるのではなく、抑えるためにあるのだと思う。社会の鬱屈さは今音楽が浄化している風に見えるけど、でも好きな音楽聴いて肯定されても現実って何一つ変わんなくない?気持ちはエモいし泣けるけど何一つ具体的ななにかは変わらなくない?変わるのはクリエイティブをやることとして生まれて来た一部の不幸な人間だけで、慰めって本質じゃなくない?慰めていいことがあるように見せることも本当のところ、もうみんなうんざりなんじゃないの?劇薬飲もうよ、一緒に飛べるよ。

 

中央線にどーん。ぼかーん。ばらばらばら。解釈、飛び降りだ、飛び込みだあとか些細な違い、別に死ぬってそんなに面白いことでもなく、ただ異様に他人の死の話しは魅力的だし、身内の死の話しは怖い。プログラムで一喜一憂するのに矛盾があることには耐えられない。秩序が統制だと思っているけれど、違うよ。秩序とは虚栄だよ。幻をみんな見ている。僕は派手に培った情けの無い能力で、それらを諫める術を持っているけれど、こんな武器を振りかざしても皮肉にも明日は来る。今までの歴史として続いてきた明日を、堰き止めることはできない。

 

だからといって、麻酔だけでいいのかとはよく思うけれど、でも僕もライブ会場に行ったら音楽の奴隷になりたくなるし、どうぞブタめですお踏みくださいましなんてつい肛門から臭い息が出そうになるけれど、それでも僕は豚箱なんてごめんだ。絶対に品行方正で居たい。けれど僕はあなたの、その不遜な態度がやっぱり許しがたくて、出直してこいって思う。思ったとしても、日常は変わらない。僕の言葉はノイズだし、あなたはあなたを信じる。私の言葉は届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドロリッチって昔流行った飲み物のことをたまに思い出す。きっと相当なお金を掛けて新しい飲料のジャンルを開拓しようとしたその飲み物は当然にぽしゃり、落下し、切ない思いだけを残し「なんかそんなんあったな」と人々の記憶にだけ残るハートの埃になるけれど、僕もそれに案外なりたくて、みんなが一度は記憶し、忘れた人ってつまり世の中の全ての人のことだから。完全に知らないってありえなくて、知らないんじゃなくて知ろうとしなかったっていう経緯が覗けるだけだから。だから目の前のあなたが怒っても、はにかんでも、難しい対応だったな、簡単な対応だったな、としか人には思われず、なぜならデータだから。僕らの世界は可能世界を再現したホログラムだから。なんてとち狂ったことを言うつもりはないけれど、でもそうだ。僕らは全てが嘘であり、真実でもある社会で生きている。なぜならそれは言葉によるものだから。言葉で作られた人間の周囲の全ては、言葉が通用しない風や、熱や、雷や、波を退けたけれど、でも本質はそれらだ。だからたまに来る地盤沈下とか僕には本当に恐ろしいし、自分だけは助かりたいって人が増えるのはそういう社会の基本システムの安全神話が崩れた時だ。もっとなんか、頑張ってよって思う。システムさん、ちょっとこっち来て。これシュレッダーに掛けてくれる?

 

見くびられている感覚もあって、そこはかとない欺瞞も感じて、だけど嬉しいって人それぞれで、解釈は不一致でも顔面にめり込む拳の感覚だけは一生忘れないじゃん?そんな痛みを、普遍的なありようを、無いことにすんなよ。怒られるのが怖いとか言うなよと思う。

 

僕も怖いけど、あなたも怖いし、怖いって言って遠ざけないでよ。人に理解を求めるのは自然な欲求でしょう?と僕はぼんやりと思うけれど、人に強い理解を求める人って基本的に嫌われているし、別に理解なんて求めてないですよってスタンスで覗き見て来た人の襟元を掴んでみぞおちに膝を入れられる人がやっぱり生き残ると思うし、熱っぽくさあ。喋っても届かねえから。もっとちゃんと筋道立てて襟首立てて……と脅す上司、いつか殺したい。でも僕には力がない。だから蓄える、そういったことは準備には入らないんでしょうかね。

 

いつも隣に妹が居て、僕には実際に妹がいるのだけどそうではないなんか架空の存在が居て、泣いてる。姪なのか、子供なのかその辺はわからないのだけど、でも面白いテリトリーに豊かなシンパシーって絶対にあって、同調していく己の声に、鳴り響く感情に僕は囚われていて、その子は今も泣いている。秩序の名の元で声を奪われた深海のリトルクライ、アリエルが両手を空に伸ばす。

 

僕は本当に些細なことに囚われ、悩み、疑う連中の意味がいつもわからないけれど、でも僕も些細なことで囚われたり、悩んだり、つい疑ってしまう。そんなの救いようがないことなのかもしれないけれど、人には裏側がある。無いと言ってもある。僕にはそれが表とされているものと見分けがつかないってだけの話しなんだけど。

 

でも可能性はある。いつだってなにかしたくてたまらない。僕にはできるって思うし、僕にはなんにもできやしないとさえ思う。これって悲劇?パラレルワールドなのかな。なのかにゃんって、こんな風に価値観を再解釈することも是非はなく、ただ美しいと面白いに埋没したくて、明後日の方を見てる。

 

それは光のある方向で、咆哮は耳元で劈く。「ママ聴こえてるよ。いちいち喋らないでよ大声で」グロテスクな感情に引っ張られる。僕には匙加減がわかる。救いで、救いの果てに釈迦の手を見る。イエスかもしれない。それとももっとわけのわからない、海底からの名伏しがたいものなのかもしれないし、そんなことわからないけれど歌える。アリエルだって歌ってる。みんなが好きなものは僕も好きだ、気狂いでも露出魔でも、魂の位置はずっとずっと変わらない。変えないできた。だけど今たまに、それに戸惑うことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

迷惑条例防止センター。そんなもの実在しないけれど、なんとなくの音のリズム、それがいかにもダンスをしていて、颯爽で、愉快で、一通りの作法を身に着けているのであれば僕にはこれ以上幸せなことってなくって、いつだって人は鏡を求める。本質的な映し鏡に、きれいな自分が映ることを夢見ている。

 

それがアイドルという偶像であっても、世間という名の不理解であっても、向き合うことができるのならば救われる。救われる社会にしてきた、ということがなんの力もない書き手の独唱だったとしても、それはいつかどうしてもの場合に、なんだか壮大な話を紡げるんじゃないかって、具体性はないけれど、具体性がないからこそ言える全てであり、虚無感なんて古臭くて、味がするまではウケたネタを擦り続けて、また変えて、統制の効かないレジェンダリーボックス。開封すると中から生首、肺魚、踏み絵!いかにも!嬉しいって素敵なことだ。価値を知るって困難さのことだ。僕にはそんな辺り前がわざわざ接着しないと側に居られないことに、この世の真理があるんじゃないかって疑ってしまう。人を疑うことをあまりしない僕だけれど、人に疑われることをどうしてか、たまにだけど望んでしまう自分が好きで。

 

怒られてみたい。この人のこの、紅潮する激しく痙攣するぴりぴりとした皮膚の張った部分、押したらどうなるかなって思って押して、実際に爆発するのを見るのが楽しい。楽しいけれど、報復は怖い。せっかくボーナス貰えてるのに今会社を辞めたくない。その内はわかんないけれど、今は、この自由を守らなければならなくて。書く時間を守っていなければならなくて。

 

グロテスクなママの声は差別用語を言わないおばあちゃんみたいに凛として、ちょっと弱々しいものだったけれど、それは我が家のリテラシーが存外出来上がっていたことに起因するのかもしれないし、そう考えると可哀想。人に死ねって絶対に言っちゃいけないんだよ?

 

いけなくても目の前のこいつはむかつく。もっと怒らせてやりたいし、怒ってる姿を見るのも不快だ。だから声だけで繋がるネットみたいな関係でも、僕はあなたにこういうよ。

 

「これ以上は社内規定に基づき対応を終了させていただきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思うことがテレパシーになっているって気付いたのはいつだったんだろう。僕は僕の愉快さに囚われてしまって、そのことをうっかりと忘れていたのだけど、思うことと出力することは本来くっ付いていないものだ。もっと距離のあるもの。段階があるもの。でも住むクラスタが違っても、お互いに介しているのは言葉だから。断絶は寂しいし、でも甘ったるい共感なんて別に欲しくない。欲しいのはいつだって中間で、イエスと言われたらノーと返すし、でもこれって私だけじゃなくてみんなが普通に思うことだ。生きてるだけで、僕らは思ったことを実行してしまっているし、それは態度とか、張り付いた笑顔とか、あらゆる形で顕現するけれど、僕にはこの獰猛なみなさんの生存戦略が、やっぱり愉快なものに思えて仕方ない。

 

狂おう。呼吸をして、全ての指の爪を噛んで、告訴しよう。社会に、不必要な異議立てをして、それで人工知能に頼って、好きな音楽でも流そう。晴れた空はかつての色あせた孤独を思わせるから嫌いだ。悩んだふりしてなにもしない人たちのことも。だけれども、ここで書く分になら平気だ。ここは六千五百字目の文章の辺境。だれも来ないし、落ち着きだけがあるからいい。