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無常

何事も諦めるようにしている。諦めたらそこで試合終了って安西先生は言っていたけれどでも諦めるようにしていて、諦めるという言葉には無責任さが内包している。社会という名の責任、ある意味では実直な経験による徹底した管理体制、そんなものの中で息を吸っていると、自分はなぜこんなことをしているのだろうか、と我に返る気持ちにもなる。私はなぜこんなことをして、それでこれから何をしていきたいのか、さっぱりなにもわからなくなる。

 

わからなくても別に良くて、わからないことがあることで人生に無駄が生まれ、その無駄なものが欠落した自らの隙間に入り込み、満たす。存在をハッピーにする。あっけからんとボーナスタイム、飛び出る火の玉は一つの亡霊を示していて、その限りない感じ、浅はかな感じ、ブレンドされた感じは僕を魅了したし、ゆくゆくは浜で塩焼きでも食べようかなって、そんな思いに浸されて、僕は社会という名の堅牢な檻に向けて必死に文章を書く。くだらないと知っていても、そうするのだ。

 

あたしはよくくだらないことを妄想するんだけど、瞼は開きっぱなし。見ているものは見えていなくて、視界は端の方が少しずれている。このずれが認識が相違する所以であって、人はずれた瞳に明後日の世界を観ているんだなんて、僕なら言いそうだけどあたしは全然そういったことは思わなくて、一蓮托生だから。全部つながっているから。J-POPの歌詞じゃないけれど、あたしはロマンティックな運命とやらを信じていて、それは今ここで起きている全ての実直な価値観の相違を憂いて行く末を見守るその心理が儚いと思うから。夢は幻、明日のステーキは最高。

 

私は低空飛行をすることが嫌いではなくて、低空飛行時というのは所謂これからなにかをやってやろうとする気概を鋭い牙を隠し持っている時の人の動きであり、はるか上空に佇む思いのする記憶に浸るノスタルジーのおじさんおばさんはほぼ全員がミイラだ。反復横跳びでもしていて、それはカッコーが巣を横取りするみたいに卑怯さの伴った資本主義のなせる業、なのだとしても僕にはその連続性が、あたしにはその不可解さがやっぱり理解できなくて、私はそうまとめとして分断される境界線を培う被膜に感染する予防接種がちゃんとできていない夜ほどの憎しみは朝には来ず来ないなら昼間は昼間としての機能しか果たさないものでそれは愚直と呼ぶべきものだろう。人は補いあって生きている。それなのに一つの役目だけ果たせばいいというのは、とても健全で個人主義的であり、すなわち美しい。けれど非道だ。

 

僕はあじけないものを食べて、許されざる人の行動を想像する。カウントウォッチをもって道すがらの人たちをぽち、ぽちと数えていくと、十人を超えたあたりから別の思考が流れ込み、これどっちだ?となる。今が十何人目だったか、何十人目だったか、全部忘れる。他のひとは僕みたいに流れる思考に邪魔されないらしく、邪魔されるのは僕だけ、だとしたら仏も笑っているし、喉に抽象的な鋭利さが刺さったって何の違和感もない。素描だ、ラフデッサンだ。根拠のない全ての物事はよくも悪くも悲壮感が漂い、露骨さに影響されて世迷言を言う。言ってどうなるかも別にないのに、世迷言は僕の中での世論であったりする。

 

あたしは難しいことはわからないからよく考えて、滲む思いをちゃんと振り返るようにしている。肌に付いた傷、舐めるように見つめて、どれだけシャンプーを付けても一日歩けば皮脂の匂いが付く肌の感じ、耐えがたいし、人工臓器を早く移植したい。たぶん食べなさすぎて内蔵やばいもん。ループしてるよ……もれなく一等星、ラッキーデイ、午後の反射光。もっと夢見たく焦ってじんわりとしてくる脇の匂いを嗅ぐ。あ、意外と大丈夫だった。嫌われたらどうしようとかいつも考えるもの。嫌われたくないし、愛されたいけれどあたしの求める愛じゃなきゃ嫌。どうしてそんなこというのって、そりゃ自分が可愛いからに決まってるでしょ。

 

私はそれを聞いてなんだかこいつどうしようもねえな、早くこれに入んなと棺桶を目の前に渡すところだった。夢とか愛とかそんな安い言葉で自分を彩るのも嫌いだし、私は私の信条に基づいて書いたり、消したりしたいだけであって、そこに異論はなく、ゆえにさめざめとしたバイアスの掛かった夢そのものの味わいは極めて現実に即しているとも言え、言えないか?言えても、言えなくてもロンダリングする学歴と親の金で全てをエンジョイする若者に憧れ、自分がそうなれなかったというだけのことを不可解に思うわけでもなく、純粋に味わいがあるノスタルジーであるとともに、彼らの言っていることに一貫したものを見出すのはそれは一苦労というもので、半ば諦めつつある。無抵抗の悲劇、諦観する仏の顔。

 

僕は雨にも負けるし風にも、雪にも、なんならぽかぽかのお日様の光にだって負けるし、いつ死んでもおかしくないような虚無感に襲われたときは身動きができなくなる。だっていつか死ぬから、人は、今死んでも百年先に死んでも、周りが悲しむよとか言ったところで宇宙にはほとんど影響がなくて、寒々しい思いだけが反響する宇宙のノイズの一つに取り込まれることがなんだか神秘的で、胡乱で、華々しい。首飾りを買おう、とびきり簡素なやつ。自分でも作れそうなものが五千円で売っていたって、出会ったら買ってしまおう。なぜなら出会ってしまったからには、僕らはその恩を仇で返すわけには行かなくて、ぼろぼろの財布にすっからかんの貯金口座であっても買うのだ。僕にはそれが浪費とか、そんな言葉では済まされないもっと荘厳なものであっていいと思っていて、大したことは言えないのだけど、今も身体中がむらむらしている。

 

あたしは乳首を触る。肉棒が反応する。秩序がカオスに飲み込まれる。なんだかいじらしい気分にもなってきて、発情寸前の猿みたいにわん、わんと誰かに咽び泣きつきたくなるけれど、性愛でちんぽをいくら触って貰っても、あたしの心は満足できなくて、ちんぽの慰めとは疲労感だから。疲れて、マッサージしたら回復、みたいな一過性のものだから。だから回復した後にはそいつもう要らないってなるのは普通で、あたしはもっと心が満足できる人に会いたいって思う。会って、哲学的な難儀な話をされて、それで舌を唇の間に入れ込まれて、その知性に、アイコスの煙の味がする口内に、饐えた『男』の匂いに、催したくなってしまって、これってなんでこうなんだろう。あたしにはあたしの理屈や、感情の動機があるのに、ぽっと出の男に身体を預けてしまうのはなぜだろう。《淫乱だからだよ》正義だからかな?

 

私はもっと世の中が理屈にまみれて、理屈を理解できる人の母数が増えたら他愛もない出来事が少し変わるのではないかと考え、そのために努力をすると決めてからずっと性器が苛立っている。早く種付けさせろと言っている。これは私自身がロジカルであろうと努めれば務めるほどにそうなる麻薬のような発作で、こういう時に私は若い雄の身体が欲しくなる。一心不乱に腰を突き出す、馬鹿丸出しの腑抜けた顔で、若いってだけでそれなりに食える見た目の男の子に、思いっきり直腸の奥に射精したくなってくる。けれどそれというのは一過性のもので、別にしてもしなくてもいいもので、できるから偉いとか、そういうのも別にないもので、発展場にでも行けばとか、言われたとしても行く気はなくて、私はもっと空想に耽るべきだ。愛すべき本たちに身を委ねて、呼吸を合わせて、読んで、書いて……

 

僕はその苛立ちを解消するべく深夜に都庁の下のビルに出向いた。黒い影がいくつも低い声を出していて、僕はそこでわざと挑発的な仕草を取った。携帯のライトで半裸の自分を晒しながら、気分で男の身体をまさぐった。汗で蒸れた淫猥な匂いを充分に嗅ぎながら、口いっぱいにペニスを頬張って、それで集まってきた見物人の肉棒も掴んで離さなかった。集団の熱気が高まってくる中、一人が手で射精をすると、僕はそれを身体で受け止めた。沢山の精子を浴びるほどに僕は自分がなんの異議もない生のために今を生きているのだという本当に至極どうでもいい感慨に覆われて、夢ならばよかったのにって、誰かが歌っていたみたいに、深夜の聳え立つビルの下で生臭いどろどろの生の証を受けて、受けて、受けたけれど僕はちなみにウケじゃない。

 

あたしは男性性が嫌いで、嫌いだからこそ好きで、でも一過性の性愛に身を委ねることは本意ではなくて、もっと抒情的な愛に浸りたいの。美しいものだけが壊れる姿が花の萎れ方と重なって、愛はそこにあって、悲劇はないがしろにされて、独特の夢ばかりの構図が懸命に生きているのであればそれは、誰にも否定してはいけないもので、許してしまえば呼吸は渦、渦の中に黒い目がある。真っ白の切れ込みの中に、無表情で覗いている目、これが深淵かもしれなくて、あたしは背中に走る寒いものに自分の呼吸が乱されていることを知って、ああやだなと思った。嫌だし、いやでも生きなきゃ仕方ない。あたしにはやることがあって、あって、あったっけ?なかった気もしてきて、在った気がする程度のものなら別にしなくてもいい気もしてくる。

 

私は曖昧さの濁流にのまれて自分を見失いつつある彼女の悲劇について、ある種の慈しみについて言及したい、唐突に長い手紙を送りたい、と思う私自身を俯瞰して見たけれど、それでもどこかにいつも通りの気分で人は立っていて、静寂さは本質を醸すために必要な音の繋がりで、生活音だけが奇妙な朝を支える儀式だと私は思っていて、きっとみなに理解することは難しく、果ては論理の解消で、着地で、こそばゆいスペクトラムだけ私に一切の情に絆されることを許さない。だとしても、してもだ。私はなんのためにここに居る?なにをしている?どうしたかった?全ての問いが無意味であり、人は悲しみを覆うためにわざわざ肉や、脂肪を付けた生き物だ。中身は悲しんでいるのだ。

 

僕は殺生が嫌いだし、でも人間はごみのように扱ってやりたかったし、生きていても死んでいても同じなくらいにぐっちゃぐちゃになりたかったし、全てを失って方便に生きてやりたかったし、でも僕は安心を取る。安寧を羨む。性病は怖いし生活資金がないことには耐えられない。飲み物はいつだって手元に置いておきたいし、それでもなあ、なんていうんだろうな。僕にはそれら全ての挙動が、仕草が、なんだか一つの装いを呈していると思えたし、そこに必然が伴うのであれば理想は一つであり、ここに居ること。ここだと決めて、そこに即して生きることだ。例え意味がなくとも、数字が伴わなくとも、そうすることで僕自身の魂が因果に囚われることがなくなり、一層快活になると予感している。予感が全てを決めている。決めているならば予感を元に生きることはただ一つの正解になる。摩耗していく全ての人に、手向けの花を贈るみたいに。

 

あたしは実直さや賢明さがなにかを成し遂げるとは思っていなくて、どちらかというと他愛もない、理由もない、意義もなければないない尽くしの物事がやがて世界を変えていくと思っていて、そこにはなんの異議もない独自の論理や、身勝手と人に思われかねない危うさなんかがとびきり詰まっていて、それでも微かに音で響くなにかがあたしたちの世界を彩るの、抽象理論でしょ?輝きでしょ?そんな風に歌って、他愛もない朝を彩るの、かじかんだ指先をストーブであっためて、生きていくの。生きていくしか他に生きる方法がないからそうするの。もっとこうすればって、わかるよ。でも今じゃなくて、今それをやってしまったらあたしの大事な輝きは失せてしまう。そんなことよりも諦めながらも生きるやり方探す方がよほど大切だって、あたしはなんかそういう風に思うんだよね。

 

私はいつも孤独に夢を見ていて、孤独とはすなわち人にその内面を見せないことである気がして、ある意味ではガワだけで存在しているこう、シンボルロゴのようなものが孤独の持つ曖昧な恰好の良さであるとは常々思いつつも、ひとしえに語るにはいささかランドリーキッチンは狭すぎて、ここではアイコスすらもまともに吸えない。論文も、大切な社会実験についての示唆に富む資料も、目を通せば通りは雨であり、なにもかもが、なにもかもが個々にあると思えた。ここにあると思えるならばそれはないことと同じであり、同じなのであれば正解はなく、正解がないのであれば答えはないのだ。だから、それゆえに人は寂しい生き物だ。価値観は人それぞれなんて、口が裂けても私は言えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は獰猛な檻の中にいる一匹のライオンで、見世物はたくさんの果実に釣られてやってきた哀れな奴隷たちで、あたしはうきうきしていた。僕は楽しんでいる君が好きで、私はそれらを見て狂騒する。騒ぎ立てる。全ては明日からのマジックで途方に暮れるのもとっておきのサバイバルによる情け容赦のないエンターテイメントであると私はそう思うのだけど、僕はそう思わなくてそんなスペクタクルなんてハリウッドだけがやっていればいいし、ハリウッドこそが映画だと思っている連中は漫画は少年ジャンプだけだと思っている。そんなわけないだろうに、ないからってあたしは全ての多様性については懐疑的だな。だって多様性って元から普通にそうだし、それをそうとしない社会のルールに対する警告のようなものが今叫ばれている多様性なのだとしたら、あたしは物寂しい気持ちをやっぱり隠せないし、隠さなくていいんだよと私は思う。全てあってのみななのだから、全て消しての今なのだから、愛はゆえに一匹の狼であると、形作るのはセンセーショナルな言い回しで、孤独な人の論理は共感で動く生物とは相違して、でもその刹那に、やっぱり交わる瞬間はあるよと僕は思う。いつか動悸が鳴りやんで、一切の炎を消し去っても愛はそこにあって、希望は夢に比例して、劣情はどこを刺激するの?ってあたしは思って、そんな猥雑なことは言っていないんだよと僕は怒って、私は笑っていた。全てが一人芝居だとわかっていても、諦めることは即ち死であると、結論を最短距離で出すのであればそうなるし、出さなくても直感で死だとわかる。わかるけれど、わかったからなんなんだ?と僕は噛みつくのを私は止めて、冷静に意図を説明するはずだった最中にあたしが入り込む。全部ほぐれたら一人称って何になるんだろうな。我、とか?そんなんきもいし絶対に嫌だよって僕は思うし、あたしも猛烈に大反対で私もちょっと推し難い。全員から満場一致で嫌われるのには理由があり、逆に満場一致で好かれているのにも理由はある。前者はまあ、拙いものを作ればそうなるのだけど、後者は違う。全員に好かれているものというのはつまらないものだ。最初から面白くないことが前提で成り上がっているもの。途中からこれもう失敗するなってわかっていて、それでもなお説明して完結まで終わらせたもの。そんな未来予想図が、なんとまあきれいなことか。ひとしおなことか、僕はそれを見て定かなる明日を彩る縁の完成図を心待ちにしているのだ。

 

きっと、世界は冗談抜きにきれいで、でもきれいな世界に行けるのは限られた人たちだけで、選ばれなかった世界の大勢は醜く血を這うしかなく、そんな軽佻浮薄なファンファーレ、欺いて!人は孤独を助長した先の文明の滅びをなすすべなく見守る生物で、トライ&エラーでここまできた。これから先はもっと重なるべきタイミングがあり、それは誰かを下敷きにしたり、踏み台にしたりするべきではないと、未来予想図はそれでは崩れてしまうと本気で思う道すがら、でも諦めたくなるみんなの気持ちが切にわかる。僕は悲しいよ、あたしは寂しいし、私は辛い。それでも、

 

解釈だけはそこにある。意味は論理の説明以上のなにかを醸すことができて、培った全てはだらしなく、明日の希望なんかなんにもなかったとしても、今はある。今、この瞬間、画面を見つめる君の君の君の目の奥の瞳孔のさぞ開いたこと、僕にはそれが愛すべき人の輪郭だと悟れて、君はこの佇む世界においての静寂さに他ならず、朝に読む詩が美しいのと同じで、人は疲労によって惑わされるべきではないと、私は唐突にそう思ったし、あたしはそれを退屈だなと思った。