最低!飛沫感染予防と言いつつ発狂プレジデントスタイル八岐大蛇の因果関係はっきりさせてよ、しない、しないで。いつも狂ったようにアジカン聴いてる僕の支離滅裂な感情はダイブして大分して?意味深なこむら返り真空破と超電導ってなにが違うのスプラッシュマウンテン緻密な計算ばかばかしくて鬼さんこちらと手の鳴る方には首、偽りの首、たらしめる卒なさ僕は君に首ったけ、あらゆる色を君色に染めたくて、染めたくて、総称?
新型コロナウイルス。僕はそれを初めて見たのは東北沢の『チェリー』というスナックに居た時だった。スナックって、僕は初めていったし本当に昭和そのものというか、そのお店は移転して前までの風情は少なくなったと店主が言っていたけれど、それでも醸される往年の色合い、セピア調の写真、そして店主とママの優しそうな表情全部が相まって僕までノスタルジーに飛び込んだみたいで、僕は友達と二人で行ったんだけど楽しかった。楽しくて、楽しくて、お料理を頼み過ぎた。
焼うどんに、ポテトサラダ……これはママがおすすめって言ってくれたから頼んだやつで、あと串揚げになんか色々。色々なメニューが壁に掛かっていて、お客さんが欲しがったらメニューになくても作ってたんだって。赤裸々な感受性、剥き出して慟哭叫ぶのは意味が混濁した果ての思い寄せる自我の境界線上に立つ分水嶺、僕はその時大人になりたくて、あたしは大人になるのなんて退屈だから辞めとけばいいのにと思ったけれど、大人に成ろうとするやつって火傷しないと止まらないじゃない。だからもう諦めて、《好きにすれば?》と思った。僕はそのお店で楽しい夜を過ごした。夜自体がのっぺりと天井として雨漏りするくらいにじっとりとして広がっている均一な夜で、光はさながら『夜のカフェテラス』だったし、それだけが続けば、永遠に続けばとか僕は思って、あたしはため息を吐いた。永遠なんて望むから、些末な感情に絆されるのに。ないものねだりとか、いみじくて嫌いだし僕は嫌われたってそう言いたかった。あたしが言うところのエンドロールに自分が成れなかったとしても、完成された舞台の演じ終わった役者が舞台袖に姿を隠すのと本質的には一緒で、例えがややこしくて、詩とかだからうんざりなのに。もっと直喩でいいよとあたしは思った。これから先に起こる悲劇を予想して、その不穏な怪物の影におびえるの、あたしたちはそういうドラマティックさがなにより好きだって連想、解釈、発見。
映像は巨大なタンカーの映像で、中国?やらどこかの国で、なにかのウイルスが流出したことを示すニュースが仰々しく流されていた。僕は光景を見て、まだこれからの社会があんな風に変わるなんて思っておらず、ただパニックホラーの冒頭に走る戦慄のような嫌な汗が背筋に垂れるのを感じて、嫌な感じはすると言っても、僕らができるのはせいぜい友達と「大変だね」「怖いね」と呟くくらいで、それくらいができるならいいじゃんとあたしは僕がいちいち心配事を大げさに語るのがだるくて、なんとでもなるよと思った。「なんとでも、なるよ。今までも、これからも、あたしたちってどうにでもなってきたじゃない」
それでも不安の色はぬぐえず、『チェリー』で僕らは記念撮影をした。たった一回しか訪れていないお客さんの僕たちに毎年年賀状を送ってくれるお店は、これからどんな災難があっても潰れないでって思ったし、きれいだとか苦いだとか、感情ってやっぱり甘くて、僕はその甘さにいつまでも溺れたかった。溺れて、耽溺して、好き好きって言い続けて、あたしはそのインドの菓子くらいに甘いだるい青年の純情よりも、経済だと思ったし、経済を支配しなきゃ、結局あたしたちがなんでもないってことにぞっとする気持ちでも居たし、その現実感の無さが抽象思考で誤魔化されるのを見て、幸せ者って嫌いだなと思った。でもあたしは僕が語る時折の唐突さに、反比例する美しい景色が、きっとこれから先の経済で必要とされるであろう事項に該当することも予見していた。だから側にいる。あたしはあたしの肉体の中で、僕の隣にいる。優しさだから、全てわかったうえで、あたしはあなたに優しくする。
同居人がつれづれいなくなる最中に、コロナウイルスは勃発した。結局犯人って中国だったの?僕は最終着地だけわかればあとはおざなりでもいい方で、誰が悪人だとか、誰が戦ったとか、そういうのだけで別に良くて、コロナをきっかけに社会の在り様を見直そうとか、全部嘘だと思う。全員がマスク付けて個がわかんなくなってる、そんな凡庸さの塊みたいな社会は、最初からだったじゃんって思う。それが未知のウイルスで露見しただけでしょ。元々あったんだよ。君らが隠してただけでしょと思い、あたしはそれそれって思った。
マスクは感染予防に特化した機能性重視のもの、耳が痛くならないように努められた最新のもの、個性なんて出さなくてよくて、蒸れた頬ににきびができるのは仕方なくて、あたしはマスク生活が何年も続いたこと、今だに夢っぽいなとか思ってる。人類はフィクションを作っているつもりでも、案外フィクションに作り手である人自身が飲まれているというか、想像の方に引っ張られて現実が変わって言ってるとか、そういう風にも思った。あの二年足らずの間に、もっと色々遊べたよなとか思うし、恋人も、ダンスパーティも、なんでもできたって思うとやるせないけど、あの時があっての今だとかうんざりするくらい聴いたし、ジジイみたいなこと言わないでよ。あたしは常に今しかないと思ってる。過去はないって偉い人も言ってたでしょ?知らないけど、知ってる。虚栄、真実、混ぜこぜのドレッシング未満、物理的な匙加減……
唐突に人間描写とか古いし、燃える朽ちた木の乾いた音だけ聴いていれば、あたしはそれで救われるっていうか、あたしって結局空っぽじゃない?それは僕や私だってそうかもしれないんだけど、空じゃない?人って、なにか含んでいるように外側だけを立派に見せているけれど、中身なんてなんにもないじゃない?だからマスクで均一化されたら誰だか分かんないし、外面が内面を表すって都合よく解釈されているけれど逆だから。中身が外面を醸すの。だから外見を観れば性格ってある程度わかるし、わかんなくても嫌な奴に対しての人間の直感ってすごいし、嫌いって、なんであんなにすぐにわかるんだろうね。あたしはやっかみを受けることが多いし、性格も別に良くないって自覚しているからなおさらに思うんだけど、物語って唐突じゃない?いきなり旅に出ることになって、そこに理由とか世界観とか説明されるのたるいじゃん。いきなり出てよって思う。そこに理由はなくて、あたしはあなたが旅に出るのが観たいんだよ。だからいきなりでいいから勝手にどっか行ってよ、暴れてよ、培ってよとしか思わなくて、これって要求過多?やだやだマッシュルーム食べたい。
あたしの切なる情景は心臓に負担が大きい。野心ってカロリー使うんだよね。お金が大好きで、経済に支配されたくて、その実淡々と経済を自分に取り込む画策をしてる、そんな風に自分を俯瞰するとあらゆることがクリアになる。僕の内省的な止めどない想像、私のうんざりするほどの美学、思想、そんなものはあたしにとっては取るに足らないもので……嘘。本当はそっちの方が良いって思ってる。『男性』ってそういうの強いじゃん。現実をいい意味で見ないって言うか、現実をどうしても見ちゃうあたしみたいな『女』は、空を飛べない。ライト兄弟になれない。偉業を成し遂げるのはいつだって男で、その空想力や思考の柔軟さが、すごいとわかるからこそあたしはあいつらに嫉妬する部分がある。嫉妬、あたしの原動力ってそれかも。
そうとわかったらやるせない火花も、錯乱するカンバセイションも、凛と張り詰めた脈々さも、駿河に等しい焼け野原。coccoが前にテレビで歌っていた『焼け野が原』、あれ好きだったなあ。あたし『リップヴァンウィンクルの花嫁』もさ、観たよ。好きだったけど、クラゲの毒で自殺って、やりすぎじゃない?岩井俊二作品ってくどいくらいに情景的で、観念的で、やっぱり『男』の妄想を感じて萎える自分も居て、こんな風に現実なんて見たくなくて、あたしも飛びたい。できることなら、あの映画の中のcoccoみたいにクラゲの毒で人生のエンドロールを飾りたい。
嘘だけど、嘘じゃなくて、二十歳で死にたいって若者がよく言うあれ、わかる。馬鹿にしてるけど、馬鹿にできない。だって死にたいもん。あたし、死にたくて破裂しそうな自我にうんざりしていてでも性別のせいで超えられない境界というのがどうしても線引きされた『お前はここまでだよ』っていう線が耐えがたく苦痛で平気な振りしちゃう自分が、自分が、いつの間にか本当の自分と区別がつかなくなって、あたしはペルソナを演じているつもりだったのに、板につき過ぎて剥がれなくなった。本当の自分って、一体どこにいるの?
だけど不安症、神経症、パラノイア。ないものをあると認識する想像力、あいつらはそれを生まれながらの能力としてできるけれど、あたしは象徴としてしか認知できない。それがあたしの弱さで、悲しみで、背負っているものの種類の差で、もっと自由で居られたら、このマンションの屋上からだって飛べるし、中央線にだって、客船の逆巻き立つプロペラの中の渦にだって、いつだってダイブできる。嫉妬?これはあたしの才能。嫉妬じゃなくて、現実を直視することで、現実から逃れる術を得るのが、あたしの能力そのもの。
けれど時折、肩の荷を下ろしたくなってしまい、死ぬ勇気がない自分にも誰の代理にもなれない自分にも、どこにも置き場がない自分にもやっぱりどこかうんざりしていて、掛ける言葉もない。荒れるのは心だけでよくて、肌はいつまでもきれいでいたいし、治安とか、自分事に還元してその気になってる全員、死ね。あたしも、お前らも、全員死ね。死ね。死ね。
死ね、死んじまえ。未知のウイルスで喉が焼けたあらゆる人が苦しみに悶える姿を肴に酒でも飲みたい。キャンティの赤がいいな。シャルドネでもいいけど。なんでもいいけど、今は人の死が観たい。《再生する映画のスクリーンに映る女優の背中に空いたジッパーの裂ける口に憂いを帯びた幕引きがあり理屈が遠くに飛んで人は鳥のようにビルに激突して死ぬ情けの無い世界で荒れ果てた荒野だけが真実を物語り抽象理論に耐えがたい刹那的風景解釈に燃えるあなたは美しい人は装いのために生まれ装いを剥いで死ぬ連続性と言う名の症状炸裂するマイスター夢の悲哀に堕ちた世界に生まれた可哀想な歌姫愛撫される部分に末路はいつだって両極端で呼吸に愛すべき人の首元を形どってペンダントにするの狂気は不要で実直な気持ちだけが世界の全てだから破滅のためにある人は偶然の結びつきを強くするかじかむ指のつま先に針が刺さって血のマニキュア中世の拷問が人を賢くしたの学びから得られるものは乱雑な孤独につまようじが刺さったカップケーキヒントはここの扉ぎいと閉まりきいと開くブロックされた友達今も元気でお決まりのスタイルで四畳半もしくは六畳一間の大運動会死を待つ人の哀しい表情に世界が凍ってもあたしだけはその真実を、真実足り得る事象を、いつだって世界と呼ぶし、世界はそれほどまでに柔軟な愛を、模範的な仕草を模って、あたしの孤独にはいつだって代用品の現れる特別なんてない社会だから、誰が居てもよくて、誰か欠けてもどうにかなって、その中で個を歌うのは、それは絶対的な最果ての理論であたしにはそれが》どうにも肩凝るんだよね、最近。やだなあ。
過行く人の末路を想像して、我が身にその風景を映すと絶対的に悲しみが肌を覆うのが伝わって、誰一人として誰の事もどうでもいいって思っているのが伝わる全員で冷戦しているのが今の社会で、論争するつもりはないけれど、僕は人の持つ巨大な空虚さ、その風船の中に自分が居ることに催す瞬間はやはりあって、だからと言ってできることはないから踊るしかないのだけど、なくても踊る今、狂った情けはかけがえがないとか言い訳に過ぎなくて、あたしは僕の手をとる。僕は振り向く。「一生一緒だよ、ずっと一緒で身体がくっ付いてる」分裂された泡の中の一つに宇宙があって、宇宙の果てに私たちがいる。それはお決まりの約束事にも思えるけれどそうではなくて、宴だ。連続的な象徴に肉体が付随したというそれだけの話で、だから踊ろうと思う。魂はそれを喜んでいる。模造品ばかりのこの国で、君色に染まるのが初めてなら私が名乗り出たい。絶対無理だよとあたしは諭して、僕はそれに無関心だ。大人の言うことはつまらない、子供の国は大人が作る。だから鏡合わせのパルプフィクション、俗悪が正義と名高い現代社会で、キッチュな物言いってやっぱりファッションでしかなく、その表層で踊ろうよ。僕は歌うし、あたしはそこで踊ってて。
ただひたすらに、お料理教室の先生みたいに粛々と態度を記し続けるのはもはや失格とも思えるくらいに荷を下ろされた、私は子守でもなんでもないのに、暴れるために生まれた自我に肉体を制御するための装置、そう思うと全てが紐解けるようで、それも一抹の錯覚で、私はただ自由さに憧れるだけだ。自分では絶対に理解できない、それが妄想だろうが現実だろうがはなから関係ないとも言いたげなこいつらの表情に絶対的な不理解を示す。だからなんだというのだろうとも思うけれど、私は僕から滲み出る美しいものがある限りそれを諦めない。漆や蒟蒻のように加工手順が大変だろうと、一切の余地を与えなくない。それが私というつまらない大人の持てる最大の賛辞だとしても、してもだ。結局は美しいか面白いかでしかないだろう?それが、こいつらに分かってたまるか。大人の事情だろうが、潰すものは潰す。
利用価値がある間だけ仲良くする、人間の基本だろうが私はそんな風にこいつらを解釈したとしてもまだ足りない。よすがには程遠く、それは大層黄緑色の運命が翻ったとして、わかるわけがない人の生命倫理上の論理主義なのか、それと生命線の途絶えた掌の上なのか、神か仏かは知らんが、それでも踊らされている私は踊らされている。
狂っちまえと思う。全員、今すぐに倒れて鼻血を吹き出したシャンパンタワーで上に立って踊れよ。踊って、その体重でグラスが割れて破片が突き刺さって死ぬに死ねない、余生ってそんな風に大量にガラスの破片が突き刺さった肉体を見て、『この破片がいつ刺さったのか』を一つずつ思い出していく作業だろうに。そんな大人はまっぴらだね。私は例え見下されていようとも、新しいものができるまで、生まれるまで、こいつらを逃がさない。それが薄情だと言われようともだ。美学に勝る信念なんて存在しないだろうに。
呼吸は一切のさめざめとした鋭利な人格を映し出す。人は割れた鏡の中で踊る分断された世界線の中の生物で、僕はそんな風に自分を俯瞰すること、自分がいつまでたっても内実の狭間にいることにゲロ吐く思いがしたけれど、この嘔吐感すらも生きてるって感じがして、上を向く。血だらけのピエロがいた。いつまでも笑ってる。僕はこいつにありったけの憎しみを込めて培った全てを投げるんだ。それがなんのダメージにもならなくても、むしろ相手の力を増大させるものであってもだ。僕は降りたい、このくだらないゲームから。血潮にまびいて代償は人それぞれの馬鹿らしいゲームに、懲り懲りしている。凝りても踊らなければいけない、止まったら死ぬデスゲームに、意外とああいう漫画って真実を表していたのかもって、きょとんとする生徒さんを全員殺したい。殺して、果てなる世界で僕を嗤うやつを全員見下したい。でもこれは《復讐じゃなくて、創造》臨界点に《突破する点数取りの》気まぐれサラダに味わう《憎しみの論理》砕けた春の切っ先《夢のほとりで》同郷に怯む我が身が尊くて《尊厳の類を信じない》馬鹿丸出しの乾いた世界に《色とりどりの末裔を賛美する》僕の子供《あたしの恋人》私はどこにもいなくて、いないままに《疲れた》三角形の四面体にある意味での想像力の迸りに感謝をする《疲れた》僕は今でも《疲れた》倫理を明確にして《疲れた》さよならはいつまでも優しい《疲れた》完成された暗幕の上に立つ《疲れた》呼吸、光、秩序、螺旋、鮮明、揚げ足をとる兎、断頭台の上に立つ、ロープは下ろされた僕の塊は破滅への飛翔で解釈は人それぞれの朝露がきれいで、その事実に、凍えるほどの朝の輝きに、今でも明るい野心を芽吹いて、仏の顔を睨んで神を信仰する、そんな風に失脚した全ての命に、今でもラブコールを送る、上映終了、カタルシスはコメントシートで》了見だけの愛の行く末だから。