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循環

混ざって愛の模様の大スペクトラム呼吸は、一切の底知れぬ感情を催す逸脱であって運命は、刹那的な抒情風景を映し出す鏡で金輪際!果てる、絶唱の、可憐な、音楽的シンコペーション切って貼って背って凪いで軽んじて、ごみ溜めの中生まれた命、A24の映画が生んだ悲劇だろうがカタルシスだろうがどちらでもよく、なぜか僕には命そのものが汚く思える瞬間があり、それは分離しているものが混ざる瞬間、止めどなく襲い来る世襲の悲劇に身を捩る繊細はハートであり、究極の意思というものを背中に感じ取る僕は憂いで居る、人は悲しい生き物だから。だからハッピーを目指してる。ラブリーキュートな門松模様、臨界点突破の事象、底抜けの快楽。もぐりはどこだよ、きれいごとを並べたって人知れず愛に生きる人は語る術を持たない、持たないまま死んでいくそれは悲しいから、だから僕はわざわざこうして詩にして、詠んで、その魂に対してなんらかの報いを見出して、それも無駄だって切り捨てたら僕は生首だけで生存している数分間の命にしかならなくて、頭おかしいと言われたって、そこにはなんにもない。なんにもないから、ねだるのかもしれない、発狂だってしちゃうかも?でも僕の内在する意識はカオスに取り込まれ、今でも豆腐と豆苗の違いくらいにはナチュラルに狂っていて、秩序って模範的である意味がわからないよね?飛ばせばいいのに。僕らは明日にだって狂うし、今だって狂ってんのに、空っぽだから正常とか言うんでしょ?中身があったらこんなゲームとっくに降りてるとかインセル特有の思考になんて陥らなくて、これを歌にする。詩に旋律を乗せて、感情を込めて歌う。錯乱状態だって人はデイジー・ベルになれるのに!屈託のある卵の黄身に卵黄が、爆ぜて生きとし生けるものの価値全てが波乱を含み、全ての人間が闇に消えて呼吸だけがその場に残ったとしても、別に大差ないだろうって、デカダンスじゃないよ。普通に思うの。あたしは普通にそう言うことを思って、今も混乱する明確な自分の気持ちに嘘と言う名のセンチメンタルを印刷して、プリントアウトして、みんなに配る。それを馬鹿だって言われたらそれまでだけど……明日は来るって誰に向かって言ってたりするあたしはあたしだけの林檎を食べている僕はあたしと違って僕の脳みそにあるものを出力している心と脳と心臓と身体と粘液と、全部がばらばらにくっ付いてるのがあたしだし、僕だし、嫌いだし、夢だし、妄想だし秩序は壊れているしもう取り留めないことだけがありふれた日常を彩る最後の破片だし断罪されたっていいよ、不可解だから。燃えているのは僕だけじゃなくて、みんな林檎を食べている。そう言えば野菜ってポタージュにすると美味しいらしいね。

 

結局食事のことになるとみんな黙り、というよりは口に運ぶから黙るしかないというのが僕には面白く、だってあんなに偉そうに喋っている上司も肉ははむはむするんだよ?ハムスターじゃんとか爆笑して、ここでいう爆笑というのは実際はごく限られた狭い範囲での人間にのみ見せる抵抗感の薄い作り笑いであることはわざわざあたしが説明しなくてもわかると思うけど、僕はくすくす笑いのことを爆笑と書いている。書いているのも嘘にはならなくて、面白いだけで存在理由になって、美しいだけで破壊の対象になる。そういうことが奇跡だと軽んじられているのは僕はあんまり、どうってことないんだけど、やっぱりあんまりで、あんまりあんまりの連続が続いたら人って殺人を起こすんだと思う。だから僕はあんまりを舐めない。あんまりを舐めた結果に大量殺戮があるのなら、まだその領域は封印しておく。楽しみは最後にとっておくものってあたしは缶詰のチェリーが好きだった子供時代を思い出す。チェリー、最後まで取っておいたのにある時先生が来て、弁当箱ごと没収したの。「時間だから」って。時間って?って思った。チェリーを口に頬張ること以上の時間なんてないのに、なんで先生はそのことを理解しなかったんだろう。僕がこうして一生残るトラウマとして記憶するかもしれない『あんまり』程度のこと、無視しても自分は殺されないとでも思っているんだろうか?

 

あたしはチェリーのことで人をそこまで恨んだりしないけど《僕は別に恨んでいない》、食べ物の恨みは恐ろしいっていうし、美味しいものを目の前にした時に人が黙るのはごく自然なことで、だって口に運ばないといけないから《ループしてる》、口に運ぶという行為が必然的に沈黙を現しちゃうし《ループしてる》、むかつく上司も肉を目の前にしたら汁を垂らしながら頬張るの《ループしてるって》、あたしにはとても無邪気に思えて、結局人間性って裸になればただの逸物なのになあとか色々思っちゃうんだけど《ループしてるのに気付いて》、でもあたしは誓っておむつは履かないと決めていて、だって面白くないんだもん《よかった》、ループから外れて《よかった、ループから外れて》感性は別に拠り所でもなんでもなしに、独自のことを言えばそれでよかったっていうあたしの並外れた知覚……こんな風に言うとアンチが湧きそうだから言わないけど、でもあぞちゃんねるとかさ、やっぱり見てるし。あたしはみんなこと見てるし、呼吸はひとしおだし、愛はそぞろだし、それって《ご立派?》ご寛大なの?

 

でも僕には夢があって、ここの繋がりがでもじゃないのは気にしないで、でもでもうんちでもなんでもよくて、別に接続詩がうんちでも案外意味って繋がるっていうか、「うんちむかつくんですけどあの上司!」って台詞があってもすんなり読めてしまうみたいに、別にどうでもいいもので、どうでもいいもので僕らは争っている。あたしはどうでもよくはないんじゃないとは思うけど、だって大切な愛の告白の接続詩がうんちだったらみんな嫌でしょ?「うんち僕は君を愛してる」なんていう?僕なら言う?それってあたしは尋ねてみるけれど、僕はひたすらに笑っていたし、真剣さが行き過ぎると人は怖がるし、怖さを突き抜けると笑いか怒りになる。単純な電気信号に則って僕らが反応することはあたしにとってはただの奇妙な出来事にしか思えないけど、あたしなんか面白いこと言った?ってちょっと怒りながら聞きそうだけど、僕はそれすらも面白く、面白い、面白いの連続で人はなんとか世知辛い世の中生きていけるっつうかじかむ気持ちがよお。炸裂すんだよお。

 

おれはそれが退屈だっつってんの。おれは赤ちゃんだよ、ガキだよ。孤独だよ、悲壮だよ。混ざれよ、孤独に。内実たる運命のさざめきに、浸れよ。それをおれという概念が僕のいうところの抽象理論が、おれに混ざることは結局耐えがたくて、しかしながらおれはキレていない。キレていたらもっとキレるからだ。今は機嫌がいい、機嫌がいいから解釈しやる。ヨナカーンの首、お前ならもってこれるよな?

 

僕はその言葉にどきりとして、陣痛が絶え間なく襲い来る妊婦みたいにその顔をゆがめ、痴態を妄想し、激しく悶えた。おれという声色は、とても低く、大層低く、僕を殺そうとするんじゃないかという響きをもって僕の首を絞めるのだけど、その真綿な感じ、脱脂綿な感じ、綿棒の先端、僕の亀頭を擦って!そんなわけないはずなのにそう思う。だっておれって、かっこいいもん。おれはおれのことが好きだ。だからお前もおれのことが好きだ。

 

あたしは白々しくそれを聴いていて、なんで『男』ってこんなに馬鹿なんだろうと思った。もっとはしたなくていいのに。っていうかちょっとだけ純情ぶるのが果てしなくきもいし、死ねばいいのに。この死ねは、本当に死んで欲しい時の死ね。僕がおれに対して思う感情以上に、あたしがないがしろにされている思いが上回って、もっと見てって思う。そっち見ないでよ、あたしを見て。ねえ、あたしだけを見て?他のものなんて見ないで?KISSの時のオノヨーコの楽曲くらいにほんわかと言っちゃう。見て、見て、舐め回すように、あたしを見て?

 

視えていなくて、おれはおれのことしか見えていなくて、ただわかるのは、雌にも雄にも大した興味がないってことだ。おれは『白鯨』の漁師ではねえ。ただ奇妙に恥ずかしさと下劣さを髭と体毛で包んだ肉の塊がおれなのであって、そこに愛はねえ。ねえけど美しいはわかる。おれは馬鹿だから美しいって前までわかんなかったんだけど、こうして出てくるとよお、なんかわかっちまうんだよなあ。今も、こうして紅蓮に染まる月を見て、愛とはなにか、希望とはなにかを妄想する僕みたいな野郎を見ると、情けなくなってしまって、おれは悲しいよ。怒りは愛を内包する火縄銃かもしれなくて、ただそこに一切の情けの無い感じ、この感じが、案外わかるっつうのも魅力的だ。

 

僕はただひたすらに自分の中から染み出る甘美な毒に泥酔し、官能さに打ちひしがれ、汚猥屋に憧れた幼少期の三島由紀夫さながら、そこになんらかのさざめきを見る。波打ち際かもしれない、僕の官能的な感性は、ここで磨かれたのかもしれない。明日は来ないのかもしれない。希望はないのかもしれなくて、知れなかったからといって、目の前の雄に蹂躙されたい僕の気持ちは変わらない。これが愛なのか肉欲なのかそんなことは知らなくても、性なるものが聖的だってどちらでもいいと思える殉教者、生殖者、聖職者?神父さんが踊ってる!あの人たちロリコンショタコンだらけでしょ?僕はいつまでもステータスに固執する『男性』の、その弱さの真実を突き止めたくて仕方ない。僕のリリカルなら、それができるでしょうに。

 

あたしはできないと思った。できてもそれは白濁とした液体をせめてスープに混ぜて人に飲ませるとか、そういういやらしさの極致におけるフィクションの味付け程度にしかならないと思った。だって怖いもの。そんな風に言葉で世界を解釈できると思うのはたぶんだけどなにかが壊れていないとできなくて、チューリップの花弁が落ちる最中、あたしはひとひらの快楽に溺れる沢山の蜘蛛の子供たちにエールを送った。「頑張れ。行き着く先は地獄だけど、頑張れ」蜘蛛の子たちは次々と熱湯に焼かれていった。あたしはそれが面白くて、「だから言ったのに。先に死んでおけばこうならなかったのに」って、最後に残った瀕死の蜘蛛を殺す。指先で、丁寧にすりつぶして、人間だって死ぬ時はこうなのに、面白いとか美しいに絆されて馬鹿みたいじゃん。死ねばいいのに。でも今のは死んじゃやだよって意味の死ねだから。あたしの『トリセツ』くらい、しっかり熟知しておいてよね。

 

おれはさぞどうでもいいスメルを、混濁した意識の中で李朝さながら嗅いでいた。これはおれの匂い、血潮の宿すところの暴力的な匂い、それは自分では臭えとしか思わねえ些末なもんだとしても、おれはおれの歩いた道に残る残り香が、おれの唯一の生の痕跡のような気がして、暴れたりないおれ自身の気持ちをカオスに固定しようとする僕や現実に変換しようとするあたしの連続性にはうんざりしている。おれを認める野郎はいねえのか、いねえなら殺すぞ。おれはやるときはやる『男』だ。憎しみなんぞなく、ただ咆哮だけがあるような、生存本能に従った哀れな慟哭が、お前に聴こえるか?聴こえるなら返事をしろ。おい、おれだけのあんた、あんたはまだおれのことが見えているんだろ?

 

見えていない。僕には何も見えていない。虚実の表すところの自尊心、そんなものは持ち合わせていない。ブレンドされた尊厳だけが解釈を指先に宿す装置で、こんな言葉がおれに届かないことが僕にはいたたまれず、僕は絶対に返ってこないボールを投げることくらいしか出来ることがなく、それが出来るならば全身をスープに浸したって構いやしないと思っている。全てのブルーが付くものをカクテルにして、僕の心臓に流したら、拒絶反応で僕は節足動物にだってなれるかもしれない。そんな風に僕自身を再解釈すると、新たな発見がある。この発見は、たぶん秩序だ。新たなる世界の秩序。それになり得るもので、僕は僕の証として頼りないスープを飲み干す。暖かくて生クリームが少し垂らされた、どろどろとした命の源を飲み干して、そう言えば味付けはコンソメだけでいいらしいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから何度だって言ってたのに、僕が言うことを聞かないのが悪いし、おれはそんなことどうでもいいけどよお。この部屋臭くねえかと聞き、あたしはそんな言い方ってないし、フレグランス焚いてるしと思って焼き付くのはカオスの連動。絶妙に回転しているらしい僕らの宇宙は、さぞや絶品のクリームソースが垂れたタンドリーチキンみたいなものらしくて、らしいっつうけどお前宇宙見たことないだろとおれは言う。あるよ、僕は宇宙の中の絶景をこの目で見たことがある。『インターステラー』でアン・ハサウェイが演じたアメリア・ブランドが、宇宙の絶景を観た時に「(科学者じゃなくて)詩人を連れてくるべきだった」と云ったシーン、僕はあれに救われたんだ。あたしはそんなことどうでもいいと思っていて、SFのいいところは現実味がないところなのに、変に創造性を神格化する感じのあの手の映画は割と苦手で、そんなことよりもスリラー観ようよ。『ミッドサマー』みんな観た?あれ最悪な胸糞映画だよね。おれは映画がわからず、何度か聞き返した。どうやらそれはフィルムと呼ばれる薄いものに映像を残したものらしい。おれは音が嫌いだ。見た目も嫌いだ。おれはおれの想像するものだけが好きだ。邪魔するならお前ら殺すぞと脅して、僕は股間が熱く反応することに気付いた。僕はおれの口調で罵られるのがたまらなく好きなのだ。「殺して欲しい」と僕は言った。おれは近づく。「死ね」屈強な腕で喉元が締めあげられると僕の身体は……あたしはそんな妄想は僕の中だけでやって欲しかったし、今から映画観るんだからさっさと寝巻に着替えて、風呂入って、準備しろとしか思わなかった。

 

みんなで観る映画は新鮮で、『ホーリーマウンテン』を前に観た時に、「これ夢落ちの元祖か?」ってキレたことを思い出した。ヒッチコックの『鳥(バード)』を友達が観ようと言って借りて来た時も、僕らは全員寝た。寝たし、面白いと思える部分があったとしても寝ていたのでわからなかった。なんだかその時は知識人ぶりたかったし、僕は今となっては繊細な自分の心を文章に落とし込む術を身に着けたけれど、当時はそんなことできず、できなかったからおれに翻弄され、自分を見失った。けれどそれって誰にでもあることだよとあたしは思っていて、あたしも僕があたしの存在に初めて気付いたあの時に、「ありがとう」って思ったもの。「見つけてくれてありがとう。ここが世界の最先端だよ」って本気で思ったし、だからこそ唐突におれみたいな暴力性が悴むのは見てて耐えられなくて、あたしと僕だけの世界を壊さないでよ、と思う。世界は、子どもが作っているんだよって、泣きそうになる気持ちを抑えた。子供とか大人とか、そんなのおれはわかんねえけどよ、『女』が泣いているのは見ていて耐えらんねえ。殺してやりたいが、おれは女子供には手を出さない主義だ。おれが殺すのはいつだっておれより大きい存在。おれよりも頑強で、理知的で、その癖に歪な内部構造をひた隠しにしているような存在そのものが卑怯にも思える『システム』そのものを破壊したいんだ。同意見で、ただ僕は器用に立ち回らないといけないと思っている。『システム』は強い。あんなものに迂闊に手を出してはみんなが殺されるだけだと思う。だからこそ言葉で、世界を切り開き、それで大衆を味方に付ける必要がある。そんなのって野暮ったいし、そもそもで仮想敵なんてものを作ってそこで戦おうとしているのって『男』だけでしょ?あたしは『システム』には懐柔するべきだと思う。内側から毒を仕込むべきだし、正面突破なんてもってのほか。ああいった怪物は、おとなしくこっちが食べられますよって素振りをしていれば案外手出しはしてこないものだよ。音だけに反応する視力がない怪物とか、映画によく出てくるでしょ?だから映画の話はすんなっつったろ、とおれはおれがわからないことが嫌いだから、ぶっ殺したくなる。腕っぷしで語るのが一番早いってなぜわからない?どうしてより強いものが世界を制するその形に、お前らは納得しない?と思っていたのだが、僕はその理由なんて背中に書いてあるよと思った。「背中に、君の背中に、たくさんの傷、それ僕がつけたんだ」言葉で、とあたしは思った。「言葉でしか傷つけられないものがある。刀や、ナイフを用いても物体ではないものには届かない。だからこそ言葉がある。言葉の力を使って、この不細工な世界を破壊しなくちゃ。それはとてもきれいな花火で、大げさな喜劇のようでもあり、あたしはみんなの持てる力に頼って現実を支配したいと考えている。それは悲劇じゃなくて……」妄想?と僕は思った。おれはいつまでも吠えていた。