wowシグナルに見つかって、明け方もオールで騒いで脳天萎んじゃって、グロい瞼に血が滲んで目貰いが凄いよ……いくらか煽情的な事案を束ねて論じる軽んじる系の人うんざりで、甲斐甲斐しくするなよな?見えているものだけが全てだと気取って、邪な運命論者に蒙昧して、さよならはここだけの話なんだけど、もう辛い意味とかなくて希望。気道の確保、最優先にAEDで除細動器、掛ける破裂音と半濁音の行進するパレードを見るに、僕はだらしない生の拠り所をもう少しだけマッシュアップさせてもいいと思ったし、させるならばこの不愉快な踊りは《落雷!》ヘッドショットかまして、油圧機で全身が押しつぶされるのも悪かないね。悪いけどさ、でも生きているだけで当たり前な全ての生きとし生けるものにエールとか送りたい?送りたくなくない?だってエールをとかって、なんかそういうことを言い始めた強い人の言葉にみんなそれっぽさを感じているだけで、エールとか別に送りたくないじゃん。じーんってなるとか言うけどさ、エールってなに?エールを送っても人は線路に飛び込むんだよ?
そういう例外を作ることが僕には許せないと思うシンパシーなんて感じないで秩序を逸脱し得ない卑怯者だけが得する論理、嫌いだね。嫌いだけど、好き。嫌いが三回重なったら、人は初めて「大好き」って言えんの。つんくもいってたじゃない。なんで今回ばっかりそうなの、いつも踊り散らかしてるのに、なんで今回みたいな『見つかった』時だけそうなの?感じちゃうよ僕。魂から脂が取れそうだよ。でも美味い類の脂じゃなくて、どろどろのタールみたいな脂がさあ。今にも樹液みたいに垂れてくんの。人って絞ると悲鳴が出る雑巾みたいな生物って、ヒットラーだって知ってたでしょ?馬鹿にしないで欲しいな。今も生きてるだけのくせに、馬鹿にしないで欲しいな。ねえ絶対、今僕のこと馬鹿にしてたでしょ。
してない。私は僕の思うことが正しいと感じているよ。嘘つき、何も知らないくせに調子に乗るなよカス。うるさくない。必要な言葉なんだ。必要か必要じゃないかを第三者が語るの?それは理にかなってないんじゃないの。それは違う。私は前提として僕と同じ存在だ。目論見は正義の生贄で、辛いときはだれでもカロリーメイトを頬張る。理性がぎりぎりのところで海に行くのを黙ってみていろと言うのか。言わないけど、僕私みたいな人間って信用できないんだよね。プールに連れて行ってくれるならまだしも。行こうか、じゃあプール。え、とかここで台詞っぽいことを書いたらもうそういう話になってしまうから僕は遠慮するけどさあ、なんでここに私がいるの。なぜ僕らはプールに居るの。僕が望んだからだよ。『僕らがプールに行く』ということを私に望んだからだ。
そんなのって、ミラクル超絶破綻の美学サイコパスが作る至上の私情僕は精神的に参っちゃって、魂のあばずれで、股関節が崩壊してんだよね。苦しいよ、完全にアジの開きになった僕の両足からはとんでもなく醜いものがぶら下がっているわけで、それを布記事一枚で隠していても、僕って存外だらしなくって、だって正解は一つじゃないから。模範的な味わいは一つに収まらないから。私だってそれくらいのことがわかるでしょうに。わからない。私には僕の見えている世界を肯定するという結論だけがあるんだよ。でもそれはこの場所には関係ない。なぜなら?ここはプール《プールだから》だから。
緑の奥まったゾーン、青の行き届いたゾーン、赤の萎んだゾーン、黄色の休憩ゾーンに僕らはそれぞれ立っていて、淡い期待を胸に抱いて、色鳥どりって作品、先輩が作ってたなあとかぼんやり思って、そんな懐かしさもいつものように悲しみを連れてくることはなく、僕は結局その場その場で反応する虫みたいな感性の《抒情詩!》歌が聴こえて喉から悪魔がこんにちはするくらいに非道な繊細さという名の暴力を《噛みしめて!》かみしめ……カニカマ食べて、ロンリーボーイは今日も行くってあの小説成瀬が美人じゃなかったら成立しないよね?しない?しない?しないよ。あの小説は成瀬が美人じゃなかったら誰も物語として読まない。
だから暴力的なのに、面白さって結局絆されるから怖いんだもん。僕は真夜中のビルの屋上に開放されたナイトプールの一角で皓々とした光に照らされた水をかき集めて、空に放りやった。プールサイドには私がいる。私は服を着ている。しかしなにも着ていない。来てすら、いない。私が纏っているのは湯につけた蛇腹の道具だけで、それはアンモナイトの異常巻きに近い独自の進化を遂げたなにかで、視覚としての私は服を着ていたし、それもかなりフォーマルな、プレジデントの装いではあったものの、僕にはこの光景が不可視に思えているはずだし、想像で同期していくのが僕の持つ言葉の力であって、私は今はただ子供の見守りをする親程度の存在としてここに居る。いるけれど、私はそれを楽しくは思わない。
プールの水深は百二十センチ。小学生でも入れる子は入れる深さで、屈むとすんなり泳ぐこともできる仕草が、僕は思い切り水を掻ききって、両足を深みに連れ込んでいる。他の客は誰もいない。現すために必要な条件は『心に澱みがないこと』『音楽的でいること』。もう一つあるとすれば……これは説明になってしまうから辞めよう。メタフィクションを語るには隣の夫婦に切れ込みを入れなければならない。
夫婦は談笑していた。プールサイドに併設されたカフェテラスのオープン席で、二人で話していた。その挙動はなんだか内実が混ざり、具象と抽象が混じったようなぎこちない動きだったものの、僕はそれを悲しいとは思わないはずで、これは風景だから。モブの動きになにが入ろうと、決まった枠の中での演出として切り取られれば世界は成立するように、かけがえのない気持ちも、結局のところ独りよがりの独善的感情に他ならず、それゆえに私はこの夫婦を殺すことにする。
「今何時ですか」
軽やかな紳士風の装いで、私は夫婦に話掛ける。歳はおよそ四、五十程度。目算でも顔の染みやうっすらと白髪が生え始めた頭髪、肉体の垂れ落ち方、腹の出方、腰の曲がり方などでこの夫婦が人生の下り坂を急こう配で降りてきたことは私にもわかり、けれどこの夫婦はにこやかに笑って「年寄ですか?」と聞いた。
「ええ、歳はいくつですかと聞いたんです」
「今日の天気は見えないですねえ。雨だし、暗いから」
「雨でもなければ晴れでもなく、曇りですよ」
「ええ、昨日の料理はポークソテーにしました。何分家内が好きなもので」
この条件が整った時、私は夫婦を殺す算段を立てるつもりだった。皮肉にも夫婦はそこに存在しない『グリッチ』の一種であり、私はそこに儚い打算を享受していた。
「しかしながら、ポークソテーとは品がいいですね。ビーフでもチキンでもない」
「ええ子供は夢を良く語るんですよ。プロ野球選手や、ユーチューバーになるなんて言いましてね」
「そうですか。お子さんはいくつですか」
「腹周りのことは止してください。もう歳なので、出るところは出てしまいますよ」
僕はプールデッキの中のボールを見ていた。スイカ模様の、大きさも小ぶりのスイカサイズの、こんな風に僕が見ている世界がいつかボールみたいに萎んでしまうことを今日の僕は想像していて、なんにでも悲しみや破滅を思い描いてしまうことに僕は情けない気持ちにもなるのだ。まるで『ナインストーリーズ』の『テディ』が描いた坊やの語る畏怖そのもののように、憑りつかれた事象は案外幸せとも不幸とも取れないもので、活動そのものが火山的であり、耽美であり、抽象そのものなのだから、僕がそこに心配をする必要なんてないのだけど……面白さはただのドライブだって聞いている。美しさは掛け合わせ。足し算の関係と、掛け算の関係、そんな風に世界をまるごと再解釈をすると、見える景色がずれてくる。
ずれ。僕は昔おじいちゃんとよくプールに行っていた。太閤山ランドのだだっ広い屋外プール。そこにはあらゆる遊具と、広大な敷地と、遊べないところがないほどのユニークさに飛んだプールがあった。僕は車を降りて三十分くらい歩いて、真夏の日差しを手で受けながら、子どもってなんで歩幅小さいのにあんなに元気なんだろうね?親戚のおじさんやおばさんに連れられて、僕は太閤山ランドのプールに向かった。
一撃で人を倒せるくらいには知性に富んだおじいちゃんはよく休憩をしていた。僕がずっと泳ぎっぱなしで、全体休憩の十五分の間にこの世が逆転して小泉総理が鳩山総理に変化してもそれくらいは許容できるというか、大したことないのだ。『グリッチ』なんて。秩序がカオスにずれていくことくらい、別に普通のことで日常で気を失うことってあるでしょ?瞬間的にぼうっとして、我を忘れて、あもう五分も経ってたってやつ。僕にはあれが常時置き続けているだけで、別にこれすらも説明というよりは観念って説明しなければどうにもならないやつで、観たいのはドラマでしょ?はいはい。なけなしの味覚に孤独の妄想。インスタレーションがどうのこうのって僕にはそんなことはどうでもよくて、よくってさ。ノスタルジーに愛されたかったなあ。悲劇を繰り返していたかったなあ。そんな当たり前のことが、なんで僕には許されていないんだろう。
私は夫婦に近寄る。隣で顔の位置を下げて、貼り付けた笑顔に一片の迷いも映さない完璧さをそこに演出し、過剰に振舞った。
「お子さんは可愛らしいですね。何歳ですか」
「止してくださいよ、腹周りのことばかり気にするのは失礼ですよ」
「お子さんは腹周りなんでしょうか」
「皮肉にももめることは不本意ではないのですよ」
「お子さんのことを隠したがっていますか」
「下劣さというのは時に美しい抒情詩を刻むものです」
「なぜお子さんに対して触れられたくないのですか」
「結論は嫌いですね。あたしゃもう死ぬまでそこまで長くない」
「まだ若く見えますけどね」
「止してくださいよ。腹周りのことなんて、初対面でずけずけ言うと嫌われますよ」
私の繊細なグローブが血肉を掠めた瞬間、夫婦の両の頬は削がれ、歯ぐきがそのまま露出した。繊細な、とは言いつつも実際は微振動であり、意味でできた世界に言葉はそのままを削り取る掘削機にもなれ、夫婦は喋られないはずなのに口をぱくぱくさせ、死んだチョウチンアンコウの死骸くらいに強烈な口臭を私の顔面に放った。私は切り取った頬の肉を食べ、それがストロベリージャムになる瞬間に魂のほつれを自覚した。こんな懐疑に意味はない。ないとわかっていても私は常々鮮やかな綻びを意識的に作ることがしたいだけだと己の弱さを痛感する。かつて教わったやり方で、夫婦のみぞおちに蹴りを、それぞれ丁寧に一発ずつ入れ、倒れた身体を両脇で抱えて、ああこの瞬間にも大層可哀想な観客たちがドームの外で私たちを見ているのだと知っていたとしても、混濁するわけではなく、破裂するだけの自我に、もうさよならをしたいのだ。私も、子守は嫌いだ。早く僕がこの世界を壊してくれることそれだけを祈っているのに。
僕は哀しみに暮れていて、悲壮感で喉が焼けていて、何も喋れないのは僕の方だった。削り取られた血肉に僕自身のずれが共鳴しているようで、その不埒な感情に些末な態度を滲ませて、僕は露出した奥歯にそのまま触れた。いくつかの穴が開いており、そこから苦い味が滲み出るのを、僕はいつも嬉しく思って、だから歯医者には行っていない。嫌いとか、そういうんじゃなくて、歯が腐る過程が楽しいのだ。痛みも途中から死んだ神経によって感じなくなり、ただあの瞬間、激烈に痛む自らの歯に屈する瞬間に、あることを思った。僕の身体は僕の精神状態と密接につながっている。だから僕は精神が健康そのものなら、歯は全然痛まないのだ。これってすごい気付きで、僕はだからといって私がした行動それが僕の悲しみを誘発させるためのものであったことに対してなんの悲しみも持たないわけではない。どうせ僕はこの身から出る言葉にだけ価値があって、『僕』そのものにはなんの目的も見いだせない。僕は依り代として集合的無意識からみながよいと思えるものを取り出して生きているだけで、そこには大して目論見がない。破滅もない。ただ銀色の明後日からくる急角度の繋がりがない言葉にとてもリラックスでき、全体重を乗せられて、それが案外心地いいってだけなのだ。ちょっとしたスリルもあって。
ただグロい夢は、明け方のプールに血のインクを大量に垂らし、僕の視界は真っ赤に染まった。朝の光が唐突に年を照らして、神様がこんにちはしてるみたいにはいきり立った性器がパンツからぼろんと出てくるみたいには破廉恥なお日様が、「まだだった?」とこちらの様子を伺っていることに僕はやぶさかでもない気持ちになる。私はいつの間にか居なくなっていて、僕のこの銀色から続く言葉が出てきたらもう役割は終わりかもしれなくて、そんなことも思う余裕がないくらいに僕は今、この光景に不可思議な気持ちを抱く。虚構と現実が混ざったような、悲劇と喜劇、ノスタルジーとファンタジーがそれぞれ入り乱れているような、この空想の模様をまさにパラレルワールドとか思って、これも伏線。やるせないはずの思いは繊細な僕のハートを壊しに来る。だから僕はこの景色に負けたくないと思った。いつか思いが全精神を超越したとしても、希望だけは、絶望と混ぜたくないと思った。生きてるだけならば、それが味わいとする情けの掛ける所業がナンセンスであるというだけの話なのに。
私は今日起きた出来事を突き詰めて、記録して、打開して、燃える火のような日のことを考えた。陽だったかもしれなくて、非でも成立するところが怖く、それは私の中にか細い言葉の煌めきが今も存在していることを示唆する感情論理の逸脱精神世界の枠越え面白さと美しさの両端に橋渡しをすることにいつか炎の如く悪魔の揶揄と神の怒りが混在して、全生物よりも人間が偉いなど、言葉では絶対に言わない全てが私にとって屈辱であり、猿から進化したのではなく、人間は猿から脱落したのだろうとしか思わない。美学とはそういうもので、逆説的に真実を照らすことは、例えば美大デッサンでモチーフそのものを描かずに周りの景色だけを描写することで、必然的に空いた空白が『ウィルキンソンの瓶』であることがすんなりとわかる、という風に解釈できることが素晴らしい。けれど、私はもう私の思うような自分がここに居ないことはなんだか人生の折り返しを随分と進んでしまったような懐かしさに襲われるのだけど、懐かしさって哀しさだ。否定してはいけない、と思いつつも私は僕から生まれる言葉が楽しみで仕方ない。苦しんで欲しい、もっと。もっと仰天するような語りを生み出して欲しい。そう思って、そう言えば話しは動詞で名詞にすると話なのに、語りという動詞は名詞にしても語とはならないのはなぜなのだろう、と思案する。それは恐らく話というものはただの記録に過ぎず、語りになるまでにはそれなりのドラマがそこに必要になるのだという、そこを掻い摘んでみれば一つなのだけど……この推測すらも、当たっているかはわからない。私には既に私の思いを制御する装置が外れているようだ。だから平気で酷いことができる。それは行き過ぎた科学者が命の重みを軽んじる実験に手を染めるのと同じで、私は言葉という実験体に、非道な試みを試すことが好きな人なのだ。それを僕に行うことで、私はこれ以上ないなにかを確立することが楽しみで仕方ない。絶対に、それは実現可能だ。だからこそ私はもっと作らなければいけない。あの子が悲しんだりするなにかを。想像を絶する、言葉にならない内蔵全てが口から吐き出される人間ナマコのようにごく当たり前な、世界の情報を削ぎ落したりしないで。そのままで伝えてくれ、私のかわいいフィアンセ。
僕は寝ていた。水面に広がる波紋が僕だけを真実めいた嘘に仕立て上げ、これが水であろうが血であろうが装いは全部新しくて、意味を脱ぎ捨てて音だけになった破裂音、抒情が感謝を虐げて、明るい未来を歌おう。希望の種を燃やそう。全部灰にして、ハイになっちゃったらそこからが『物語』の始まりなんだって。煌めきに私情を挟んで、僕は恋敗れたシンガーソングライターくらいに感情たっぷりに、トーストに塗って、それを食べた。剥き出しの頬の断面が、痛みを痛みと認識しないくらいには遠くの雷鳴のように僕に突き刺さり、僕はそれをハレンチだと思った。