MENU

惰性

惰性で絵を描き始めてから幾億、いや実際には数十程度の絵を描いては消し、描いてはなんか違うと冷め閲覧数やブックマークの伸びを気にして数字の虜になって、いつの間にか私は絵を描かなくなった。なって、なっても別にいいやと大して気にしていない自分がいる。グリッチ、呼吸はさざめくインストールされた抽象理論ハートじゃないからなんなのエンゲージメントだって立派なおにぎりの一部で焼き付くロンリー事象、清潔なファンファーレ意味不明の論理で、齧って、齧って、センセーショナルを巻き起こして、僕は世界の正解を正確に静謐するためだけにここにいるのに、世界はどうしようもなく不完全で、だから知りたいって、あの人も言ってた。言ってたから、僕は爆発しそうな自らの自我を乗り越えて世界の果てに飛んで行ってしまいそうで、あの時にみなが手を振ったあのブルーライトの光景、光景が今も目に焼き付いて離れないんだ。僕は完璧に負けた。それがこんなにも鮮やかで泣けるなんて、知らなかったんだ。

 

惰性の日々は世界を鈍色に蹂躙して、私は世界とは見えているものが全てなのかもしれないと思っていた。私のように、見えないものに思いを寄せる力が強い人などそんなにいないのではないか、なんて皮肉を言えるくらいにはまだ元気で、どうしようもなく張り付く背裏を青虫が這って皮の塩分を啜るくらいには不気味な、ああもうどうしようもないのだと、皮肉が冗談の枠を飛び越えて真実になり始めるくらいには、私の身体はなにもする元気が出ず、目論見はただの一過性で終わり、真実の追求なんて誰かが言った香ばしい論理でしょ?ってあたしは冷たい態度を私に取りそうになるけれど、でも今の私はなんだか悲しそうで、元気がなくて、途方に暮れていて、行く先がないホームレスの人みたいに背中が曲がっていて、自分の足元だけを見ていて、あたしはそんな私が原点に立ち戻ろうとする姿は、別に心底どうでもいいっていうか独りで勝手にやれば?としか思わないわけではないんだけど、でも同じ身体を共有する身としては、隣でダウナーな空気を散乱させてくる変な人がいたら嫌じゃん。だからあたしはなんとなく、この人の孤独に寄り添うふりをする。聴いてる。ライブ中に観客が違うことを考えていてもそれを決して口にしないように、秘密を守る。口唇裂口蓋裂。

 

くどうようだけれど、私はそこまで過去の感傷に浸っているわけではなくて、ただ知りたいのだ。何が私をあの時に食い止めていたのか、あらゆる経済的なチャンス、自立するきっかけ、アスファルトに咲く花が如く立派な、お利口さんな標語を並べ奉られても、あの時の私が一切動こうとしなかったのは《生きようとしなかったのは》なぜなのかを知りたいんだ。これは大人の責務であり、というよりは人が大人になるためには過去への決別が必要なのだ。それをしないままに肉体だけ大人に成っている連中がライブで全身打撲してマス掻きに一心不乱になって縦ノリしているのと同じく、儀式的なものだから、だから私は過去に執着をする。今なんざ見ない。今を生きているなんて言うやつは、背負うべき過去がなにもなかった連中だけだ。そんなやつはいさぎよく生き《死ね》ればいい。そんな風にも思う仕草は余剰で、快楽はさもしさの極みを孤独の論理に浸す預証率馬鹿みたいな経済おじさんたどたどしく腰を低くして、夜には『女』に腰振ってる。馬鹿みたいな普通のおじさん、経済を支配した気になんかなっている。僕はそれをご立派な肉棒に目を描いて鈴口が口に見えるみたいな話だと思うんだ。思うけど、思って、理解して。僕を冷めた目で見ないで、生きるだけ生きてよ《呼吸の》運命論《神話としてのアポカリプス》轟立つ《逆さまの火は》理解不能なドライブ感《でもそれだってひとえに正しい》アジアンカンフージェネレーション《昔好きだったアーティストに》意味を外した僕の気持ちは《消えるの?》消せないよ。青い火が透明に近づく最中、一瞬の理解にも似た微かな幸せは、僕を七色に包んだよ。過去よりも未来に生きることを選んだ僕に、私はなんの正解をくれるわけ?

 

知らない。私に聞くな。理解は乏しいと思っても、私の中の過去はそれだけの重みを含んでいる。マジの明るい希望だったんだ、私には絵も、漫画も、アニメも、途轍もないきらめきにあの時は思えたんだ。その光は今、何でもない文化の一つに合併されてしまい、だとしたらこんな多様性の世界、なんてくだらないんだろうと私は思うよ。何もしたくなかった、独りでいたかった。痛かったし、言いたかった、そんな言い訳もなにもなくても、私には今空っぽの自分が泣きわめいて、孤独に飢えて、希望を潰えさせて、それでも生きることを選んだのがなぜだったのかを知りたかった。インターネットにシャブ漬けにされて、脳汁をぶゆぶゆと見境なく放出するソーシャルゲーム馬鹿になっても、Tiktokだけは見下していた自分はなんだったのだろう。嘘だ、noteも見下している。noteに文章書くやつは全員終わったカスの吹き出物から滲む血と一緒に出る皮脂くらいに臭く、下劣な奴だと思っている。それでも人はnoteに駄文を乗せるし、チックタックでチクタク踊る。それを馬鹿だからだと思い込んでいた私は大層な愚か者で、みな脇役として、脇役なりの人生を謳歌しているだけだ。それが私には認められず、生きても、生きても、誰かの邪魔になっているとしか思えない自分が憎くて、殺そうとした。だから過去に縋る自分は岩のように重たく、びくともしないなにかでああ、その辺でいいし、その辺でいいならそこまでの話だったってだけで、結局私は見下したいだけでしょ?自分ができなかったことを易々とやっている周りが、憎く感じるのってただの嫉妬でしょ?ああほら、『ちがう』の形に口が動いたの、見えたけれど違ってないよ。私のやっていることってすなわち生存戦略の形がただ違っただけで、そのすれ違いに青春を感じちゃって、イキってただけでしょ?ドパガキなのは私の方じゃん。ってあたしなら思うけど、あたしはそこまで通過してないから。あたしがやっているのは幼稚園だか保育園高でみんなでビニールシートの上でやったおままごとがただ経済の名の元に実体化しただけのお遊びで、そう。あたしって常にお遊びで生きてるんだよね。ごめんあそばせって言葉あるじゃん。あれがなんで許して、なんて意味で使われているのかずっと疑問だったんだけど、でももちろんあたしは今のビニール袋が大量に浮いた汚い海の浅瀬でそんな由来とか調べようなんて一切思わないし、できないけれど、でもそういう瞳に乾杯、的な使い古されたフレーズにはやっぱりロマンスを感じちゃうじゃない、人って。そういうだらしない生き物だし、特に日本人は羽子板とか昔からやってきたわけだけれど、それがそのままTwitter《今はXだよ》わかってる、言われるの準備してた。でもわざと言ってるんだから誤認くらいしてよ。それでああ、なんだったっけ。今なんの話してたっけ。

 

子ども。僕らは子供だから、大人にまだなっていない成長が途中で止まった人格だから、歳を取っているのは私だけで、私という肉体が時間の奴隷になっているのが耐えられない、というのが今回のネタバラシだったとしても、退屈は程遠いし、過去に縋ってもそこにはただ流れる時間の中で化石みたいに自分の外側に強靭な外殻を作るためにいた全ての時間がずれて、ずれにずれて今そこにある、あったような気がするってだけで、それに意味がない。意味がなかったんだと私が気付いてくれたおかげで、僕らは自由にその外殻の中で踊れるんだし、希望はあるよ。カヲルくんも言っていた。でもその希望ってとても冷たいものなんだよね。刹那的なものなんだよね。一瞬でも通り過ぎてしまったら、もう希望は希望の形をしていないんだよね。だから私の気持ち、僕はわかるよ。わかるよだなんて、容易く口にしないでほしいな。私がどれだけの辛酸を味わってきたか、お前らならわかるだろうに、わからないふりをして誤魔化している。電車の中のつり革が、首つり用のロープに見えるくらいには私は疲弊していたんだ。そして、そこに項垂れた首で真っすぐに下を向くサラリーマン、サラリーマンが私の本来の姿だよ。憎いか?憎めよ。こんな風に炸裂する自我を宿して、それでいて経済と上手く折り合いをつけて来た私を崇めろよ、奉れよ、偉いのはおれだよ。にわか雨の、下劣な思想はお前らみたくどうしようもない私が、お前らに対して優しくするのは何故だと思う?なぜか、なぜ?わからないんだよ。私自身がこれをわからないでいてやっているんだよ。お前らは温情で生かしてもらっているだけなんだよ。それに対しての敬意を持てよ、宥めろよ、じゃないとおれが暴走するだけなんだからな。

 

でもつまんないとか嫌じゃん。嫌すぎる。ね、嫌だよね。美しいか面白いかしか認めたくないし。本当にそう。そんな風に現実を直視する大人がいるからあたしたちって自由にやれている、それは認めるけどさあ、ね。うん、だからって僕らが昭和の方を見て生きるのって理にかなっていないというか、まあ平成ですらちょっともうオワコン……この言葉は死語だったね。でもオワコンだし、終わったコンテンツだから早くどいてくれないかなあとか思わないでもないわけだし、非道だと思うでしょ?違うよ、無邪気なだけなんだよ。僕らはあなたたち大人の発狂が、結構ちゃんと面白いだけで、だから突いたらなんか出るかなって思ってるの。みんな小刻みに揺れ動いている運動会の奇妙さを見ているみたいなんだよ。

 

だってほら、《あたしは手をとる》こんなにも生きてるって感じがするじゃない《あたしは私の手をとる》揺れてるとか、臭いとか、そんなこともまあ少しは影響するけれど《暴発寸前の命にあたしは触れる》実直さって見れば伝わるし《風が吹いてくる、妙案寺の先方に》きれいごと言ったって世界は広いし《まだ終わりじゃないよと僕は言う》終わりところか、始まってすらいないよ《火蓋は切って落とされた》導火線の火が残りわずかだと私は思っているかもしれないけど《朝焼けは唐突に眩しかった》嬉しかったことや悲しかったことが悲鳴として木霊する中で《奇妙さだけが真実を物語っていて》これは大団円なんかじゃなくて、続くの《人は一切の所以をその身に宿すことはない生き物で》唐突に生きてるよ、案外みんな《あたしもだよ、とあたしは言った》だから手を取り合って、飛んで、生きて、火の中に飛び込んで、絶頂して、シンクロして、ユニティで感じちゃって、馬鹿にしたって、されたって、エクレアとかいつの食べ物だよ。今も生きてるよ、味わってるよ。そんなに好きじゃない食べ物のことだってあたし大事に思ってるから。

 

からの部分にビブラートが掛かって、私はそれが演出なのか、そうでないのかを量りかねていた。稟議は真実を白日の元に晒すための儀的行動で、そんなことがわかっていたとしても、別にそうじゃない人の気持ちがわかるわけでもなく、ただ一切の暖簾は、私にとって重労働で、鉛で出来た巨大な布を一人で捲ろうとするくらいに無駄な駆け足だったと今でも思う。過去に囚われるつもりがなく、しかしながら過ぎた過去に思いを馳せるのは、定期的な排尿と同じく、必要だから人間には備わっている行為で、これを崇高だとか、切実だとか、勘違いしちゃいけないものだとは思う。思うけれど、でも過去って甘いんだよな。めっちゃくちゃ、甘いんだよな。おれ甘いもの好きなんだよ。ギャップ萌え?そんな感じのレスラーいたな。でも本当にそうで、おれは甘いものに弱くて、甘さだけがおれを殺す唯一の武器で、いや味覚か?そんなことはどうでもいいとしても、おれが狂気が具現化した姿なのだとしたら、ビビった連中から死ぬし、狂気を手懐けろ。おれが言いたいのはそういうことだ。おれは沢山の過去を食べたから、今とても機嫌がいいんだ。許してやるよ、だから裸でそこで踊れ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

低反発枕に超安心の恋バナを乗せて、思い切り投げた。僕らはフルチンで、フルアナルで、でもどうでもいいって響きだけがここに奇妙な裸踊りを実現した。盆踊り?盆だって裸で休むよね。そうではなくて、ハッピーだよってこと。僕は今最高に、楽しくて……楽しいはずだったんだけどな。繊細な方が良い?どっちでも、いい!生きてるだけでマシだから。だから落ち込まないでよ酒でも飲んでも暴れるよ。あたしは酒もたまには悪くないけれど、たまにだからいいのであって、毎日飲む人の気はやっぱりしれなくて、だって美味しくないじゃん。酒って、ようは腐った麦やら米やらの腐敗汁を飲ませてるってことでしょ?絶対に嫌だし、まあブドウならちょっとはいいか……よくないだろ。そこで意見を変えるのがお前らが子供だって話で、お前らはそこで座って本でも大人しく読んでろ。戻って来た、という声が重なって聴こえてしまい、私は「戻ってきたとも。宴会場で暴れたやつの金を、誰が払うんだ?」と言った。「払わなくていいよ。だってここ脳内だもん」と僕は言ったけれど、私は態度を曲げなかった。「そういうものでは無い。払う払わないは人道として必要最低限持っておくものだ。招き猫の腕が中指を立てていたら意味が成立しないだろう?招き猫が手をこまねいているからこそ、招き猫が招き猫である理由がそこに成立するんだ」僕は話を聴いていなかった。宴会場にはたくさんの魚や、肉や、僕の嫌いな野菜が錚々たる顔ぶれで机に並びたてられている。「どうせ音だけでしょ。聴いているだけだもん。実直さなんてどうでもいいし、文学なんて悲壮感をただオーケストラにしただけだし、そこに沢山の歴史が垣間見えたところで、ものを知らない人間にそのことが理解できるとも思えないし、だから音楽みたいにはじけ飛んで、意味とか全部わかんなくなっちゃう方がいいんじゃんって、いいんじゃんって思うことだけがあたしたちの煌めきで、そこになんの理由もないどころかそれ自体が理由だって気付けたのが今なのであって、だからあたしたちのやっていることって特異でもなんでもなく美しいんでしょうに。坪内が、逍遥が、なんなの?」あたしは尋ねたけれど酒が入った私は饒舌になり、そのことをなんとも捉えていないようだった。意識は薄れゆく午後の日差しを明るみに微睡ませて、行き場の無い気持ちは活性炭のようによくない気を吸収し、外に出す役割で、人はうまく回っているのだ、と私は妙に感慨じみた考えが浮かんだ。脱脂粉乳みたく薄らと味が不味く残った汁みたいな甘酒を啜りながら私は「人って言うのは呼吸そのものを代謝として行う生き物だろう?作家というのは書くことが生理現象になっている生き物だ。だとしたらそこに存在の序列というものはないはずで、人間の存在が数多の霊長類と異なるのは、やはり言葉の獲得が大きかったという説を私は信じている。他の猿に比べて、ヒトは扱える語彙の数が多いんだ。もちろんそれだけではなく、指先の器用さ、二足歩行によって肥大化した脳を構造的に支えられることも進化の一端として機能していたとは思うがな。ただ私はやはり霊長類が食物連鎖の頂点に位置することは不可解で仕方ないのだ。昆虫を見てみろ、数だけなら人間を遥かに上回っている。ウスバカゲロウなんて、羽ばたきとテロメアの消費がリンクしているかのように美しいだろう。あれがほんの数日の命だなんて、奇妙だと思わないか?おい、思うだろう。なあ、そうだろう。それからレミングスで有名なペンギンの仲間は、ファーストペンギンなんて言って、敢えて仲間内での安全よりも危険とされる海にわざわざ飛び込む行動を見せるんだ。それがなんなのかはお前らが消化できる範疇を超えているかもしれないがな、でも一切、そういう事実はないとする説もあって、そもそもで生物の設計図とは本当に神が作ったのか?私はインテリジェントデザインについては懐疑的だけれども、ただ知識を深掘りする過程で深淵にも似た狂気に辿り着くことはよくある。よくあることだからと言って語るのを諦めてはいけない。そういうものだからだ、根源に触れるということは基礎科学を突き詰める学者でもなければ体力、知力、経済力ともに保つことができないほどの極限状態となるのがデフォルトの種目として備わっていると思えるが、私は競技に興味がない。洒落じゃないぞ、競技というのは完成品を競うスポーツだ。そうではなく、まだ答えのないものを、答えかもしれない微かな希望に沿って研究する方が美しいのだ。人は答えなんて手にしようものならあっという間に破滅するぞ。バベルの塔の逸話を知っているだろう。イカロスの神話はどうだ?人が神の領域に触れることはこの世の理として禁じられているんだ。だからこそ正しい知識と経験で語ることは必要で、それをしなければ神の怒りに触れた時に人はあっという間に滅亡してしまう。そうならないために光があり、そこに光速度不変の原理があり、宇宙は人間がどれだけの力を尽くしても解明できないようになっている、ということもコスモを感じないか?小宇宙だぞ。なにもお前らの母なる地球の話をしているんじゃない。ただ人はそれぞれに大なり小なりの宇宙を抱えて生きていて、そこに敬意や、質感をもって語るということを止めてはいけないという話で……」語りは朝まで続いた。僕らはそれを一切聞いていなかった。