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共振

ああ触れる海の繊細な余剰を噛みしめて僕は悲劇のヒロインぶる君を世界の端から眺めた殺気だったあの瞳がまだらに垂れて悠然たる表情を浮かべるのは君が絶望的な広いんだから飛び出た視覚胸板に薄い血の色が滲んでああカルト的な魅力は存外丁寧な暮らしぶりには当てはまらないニャッキ、唐突にはみ出ることは逸話だからブレンドされる疲労感足腰の疲れは音にぶっ飛ばされてなにも感じない感じないから、無いことにしちゃだめだって呼吸は、ひとしおに世界の終わりを告げるあの年に一番頑張ったヒロインを盛大に祝したおめでたさはどこか絶望的で、これを娯楽にしていいんだろうかとか思う仕上がりだったし、これをおめでたにしていいなら、子どもなんて全部産んだら可哀想なだけ。生まれてこなくてよかったねって、妊婦さんがチェッカーを持って囁いても、でも世界はどうせ産むんでしょ?産んで、幸せだったねじゃあばいばいって、なんか随分いい加減だなとか僕は思うんだけど、深く考えていないから。深く考えていないから、みんな簡単に選択できるんだよ。却下もできるし、許諾もできる。でもあたしも時折なんでみんなそんな風に簡単に決断できるんだろうと思う時はあるの。どれだけ知識を深めても、深めれば深めるほどに世の中に絶対のことってないし、それがある種の共存関係を培うための物の言いようだったとしても、だめなものはだめだし、例えば世の中で一番わからないのは他人じゃない。他人って、すぐ近くにいるのにもっとも遠くて、惑星だよねと僕は言った。そうだよ、とあたしは返して、すぐ近くにいるのにわかり合えないはずのそんな神秘的なマーブルチョコレートたちに、何故か断定とか、言い切りとか、『男』とか『女』とか、簡単に言い切れるのはなんでって思う。それは僕は思慮が浅いからだと思う。そうだよね。でも思慮が浅いと決めつけることすらも不理解の一部で、結局あたしたちって生まれちゃったから悲しんでるんだし、生まれて来なければ喜びや怒りもなかったわけだから、だから理由を考えても『生きてしまっているから』としか答えられなくて、ないから僕たちはさざめいているんだよねと僕は言った。あたしはそうとも限らない、と答えた。さざめくのは風とか、虫の息に使われる言葉だけれど、あたしは生きるってもっと痛いものだと思う。痛くて、痛くて、とてもじゃないけれど感傷に浸っている余裕なんて無いような、明日が明日でなければよかったと呪うほどには絶対的な、壁があるものだと感じる。壁って例えば僕には他者が壁に思える瞬間が時々あるんだけど、すぐ近くにあるのに、簡単にどけられないよね。あれって壁だからだと思うんだ。他者って、全然尊重するものでも、慈しむものでもなくて、どかすものだと思う。どかして、道を作って、いち早く遠くから今までの風景をロケーションすることが世界で生きるために必要な最優先事項なんじゃないの。僕はわかってるね、でも世の中の人はそんなに優先順位がはっきりしていないんだよとあたしは答えた。もし世の中の人がもっと解釈に長け、思慮深く、他者の構造をいち早く理解し、それぞれの道を模索するように出来ていたとしたら、きっと人類の進化のスピードはもの凄く早かったと思うけれど、同時に滅亡も早かったはず。優れたものというのは長持ちすると言われているけれど、でも俯瞰で観た時により長持ちするのは粗雑なものだと思う。粗雑で、淫猥で、ほとんど造形なんてあってないような他者の形がもっとも長期間その形を維持できるように人間ってなってるんだと思うんだよね。どうしてそう思うのと僕は訊いた。それは直感的に答えれば真実のように聞こえ、断定的であればあるほど嘘に聴こえる類のもので、真実ってその程度のものだから、あたしはそれを真実だとする根拠を僕には提示できないけれど、ただかじかむ指のほんの先の方に、雫が垂れるみたいな一瞬の、一瞬の共鳴は人間を他者依存から本命に立ち向かわせるためにかなり有効な手段の一つだと思うし、そうであるならば、そうでないことと同じなのが卑怯とも思うんだよね。嫌いが三回重なれば、大好きって言わせちゃうくらいに当たり前の、エピローグと言われるものが人生なんじゃないの。

 

だけど輪郭に流れるのはいつだって汗の持つきらめきで、そんな風に客観的にないがしろにしてきた生命の全ての因果が僕に宿っていると考えるのは苦しいし、生きづらいし、別に生きていても死んでいても同じだっていう風に考えが暴走する感覚も、自分の中には大きくて、それは徘徊とか、夜分に恐れの多い伝言を電話越しに伝えるようなあからさまさだったりするわけで、人はいつだって好き勝手に生きて来たツケを後になってから払うものなんだし、そのために若者はどんどん先読みするようになっている、なっているけれど、それはもはや破滅の序章を通り過ぎて、終章に向けての足を思い切り跳躍するが如く運んでいるようなもので、だとしたら世界の半分程を占める異性に、存在理由を全部押し付けたり、行き場の無い気持ちを矛先として武器のように向けたりしてしまうのは無理がないというか、そんな風に出来ていないと思うんだよ。世界って、もっと生易しくて温かいものなんじゃないの。あたしもそう思いたいし、世界をもっと広がりのある奥行きだと捉えている時期は幸せで、見えてくるもの全てが新しく感じたし、正解なんてそこにはなくて、あるのは自らが作り上げるお城と、今までの軌跡ただそれだけで、こんな風に広々と世界が地続きなことに感慨を思う気持ちは掛け替えがなくて、だからあたしたちの今語ってることはノスタルジー。運命をほろ苦いものとして扱うことは是ではないけれど、滅びでもある。あたしたちって、結局既に失われた世界の光を暖かった、とか冷たかった、と訳しているだけで、それは聖書が既に行ってきたことをなぞっているだけで、そこに出口はないんだよね。ないから、あたしはもっと先の光景を見たいと思う。千回震えたって、次に一万回の目標ができるみたいに、いつだって未完成なこの社会が、社会なんてものができたのはつい最近のことだけれど、それでも人っておかしいと思う。覆されていると思う。輪廻だと思う。味わって生きてみたいでしょ?よくない、と僕は思った。もし世界があたしの言うように観念的であるならば、僕の苦しみはもっと具体的だったはずだ。こんな風にぼんやりと不安が全身を覆うことはなかったはずだ。だからあたしの言葉には嘘が含まれているのだけど、この決めつけが僕が一番嫌な他者の不理解そのものだから、僕は黙っていた。全部の歯を噛み砕いて、剥き出しの神経に直接熱湯を注ぎ入れるみたいに激痛が、唇の奥からおいそれと侵入するのが肌でわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶句って前代未聞の言い換えでしょ?そうなのかな。僕はあまり舞台袖に立ったことがないからわからない。でも絶句ってさ、なんにも言葉が出て来なかった時に人が使うものじゃない。そうなんだけど、なにも言えない時って大体よくない言葉が続くよね。なんでそうなるの。人は大体絶句した後に、僕のことを褒めるんだよ。そうなの?そうだよ。なんで今まで気が付かなかったの。些細な物言いは時に人を傷つけるけど、きちんと躊躇ってから言われた重みのある言葉には、複数の言い表せない感情がしっかりと混ざってるから、心に届くんだよ。僕は人から温かい言葉を投げかけられたことがない。ないんじゃなくて、ないことにしてるだけでしょ?きっと覚えているよ。だって僕が生まれた時に、意識の宿主である主は、僕のことをきちんと褒めていたじゃない。どんなふうに?きれいだって。生まれたての赤ちゃんに対して、きれいってなかなか使うものじゃないけれど、でも僕のことは主はきれいだって述べていたよ。どこがきれいなのかわからない。そこがきれいなんだよ。あたしは自分のきれいさが自分でわかっているような人をきれいだとは思わないから。それはあたしが人を疑って生きているからじゃないの。そっくりそのまま返すよ、その言葉。あたしは確かに疑いやすいけれど、同時に信じやすい。僕は逆に、疑いもしないけれど、信じてもいないでしょ?距離の取り方が違うんだよ。それがどうしてきれいという感想になるの?それは根源的な質問だから素直にあたしがツーカーと喋ることは嘘を伝えることになるから避けたいけれど、でもそうだね。しいて言えば、僕の持つ言葉の繊細さが、鋭すぎて刃の断面のように見える瞬間があるとは思ってるよ。それは確かにきれいだ。でしょう?宝石を押し型に入れて、上から圧力を掛けて長方形にしたような、ナチュラルな断面を僕はもっていて、それは決して人様にお見せ出来る類のものじゃないと僕自身が気付いているからこそ、それは腐敗したり、酸化したりせずに鉱石のまんまの姿でいつまでもソーサーの上に乗っていられるんだよ。僕にはとても僕がそんな人間のようには思えない。そうだよね、あなたは愚劣だし、卑怯だし、時折性的に興奮して見境がなくなるし、すぐに喘ぐし、心が弱いし、持ちつ持たれつの常に持たれる側の方だし、そのことに自覚が一切ない感じもあたしはあなたが世界から必要とされていない原因の一つだと思うよ。だからそのみみっちい感性をまずどうにかしたら?合金のように鍛えて、露骨に乳首とか世間に晒したら?そうでもしないとあなたは一生そのままだし、持つ側になんて絶対になれないよ。あたしが保証する。だからそのままでいて、あたし以上の存在にならないでよあたしの王子様。

 

僕は泣いて、何度か悔しすぎて顔が梅干みたいに皺ができて、その皺を見られないように袖で拭ったら黄緑色の鼻水がべったりついて、心なしか発熱してきた。そこまで言われると思っていなかったから、絶望して、僕は足元がお留守のやかんみたいに上側だけ沸騰して、世界なんて滅びてしまえと思った。滅んで、僕が転ぶ段差なんて全て擦り切れてしまえと思った。僕の背後には途轍もなく神妙な表情を浮かべている彼女が居て、油膜がくっ付いたり離れたりしながらその虹色を鮮やかに保つくらいには、世界ってどこか呆然としていて、全て自分が生み出したことなのに、別に世界のせいにすることくらい容易くて、どうして僕ってこうなんだろうと思った。人の温かい言葉を貰った時点で深く考えなければ、裏の意図を読みさえしなければ、まだサンタさんからのプレゼントだって貰えていたのに。なんて打算がそこに滲んだら僕はもうだめで、だめだからだめって決めつけて、早く寝なさいって彼女の口が動いたのが見えた。なんでそんなに優しいの?酷いこと言ったくせに。僕を傷つけたくせに、なんでけろっとしてるの。なんでちょっと嬉しそうなの。酷いよ、確かに僕は自分からここを傷つけてよ、今から出すからここ、ああそこ、その部分、あっもうちょい左、あそうそうそこそこって気持ちの絶頂に行きたかっただけで、なにも痛いツボをぐりぐり押せだなんて言ってないんだよ。君の馬鹿、もう知らない。ってなんで僕はヒロインみたいなこと言ってるのかも不明だし、グレネード、全開、チャックの窓、催して、放尿すると黄色の中にヘドロみたいな赤が混ざるんだよねって職場の人に言ったら病院勧められた僕の不憫さを慰めて、ケロイドのような皮膚、脳だって腫瘍の一つでしょ?価値観の相違がたぶらかす具象をもう一つだけ残したがるのは、世界がほんの小さな断片で出来ているから。僕らはそれを全部だと思い込んでいる。けれど世界に提示された断片にはおよそ人間が理解し得ない膨大な情報が詰め込まれているから、僕はそれに触れて震えた子猫くらいにはびっくりとしてしまって、唖然として、なんでこんなに驚愕できるの?って世界が比較的新しいことにひっくり返りそうになる。実際に少し転びもした。したけれど、僕はもう荷物を全部風呂敷に入れて、後は深夜に誰にも見られないように夜逃げするだけの一家くらいにはなんというか、合わせる顔がなかった。あたしにも、私にもおれにも、誰にもだ。主にだけは、唯一合わせられるお尻があるのかもしれないけれど、主は僕のアナルを弄るから嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四角形に図式が繊細で、ええもうすっとこどっこいですよこいつらと私は微笑ましい感性は全部大人の疲れで持って返済する負債だと思っているから、こいつらの冒涜的なわがままさには本当に疲れが隠せなくて、カウントダウンライブを三日続けて行ったあとのふくらはぎくらいにはコリコリの大人の事情がここにあり、私まで絆されるわけにはいかない、もっと絶望的な状況と言うのはいくらでもあるから、か弱い魂に私まで染まってはいけない、『共振』してはいけないのだと、思うつぶさはいくらでもあるのだけれど、実際は歴史の上にこいつらは存在して、それは轢死を繰り返した人の歴史くらいにはなんというか浅くて、論理とかで駆逐できない類のゴキブリがそれなのだ、こいつらは一匹見つけたらそこは焦土と化すと思え、と本気で思うくらいには子守は面倒だ。私は自分がコントロールできないものが嫌いだし、コントロールできないなら踏みつぶしてやりたくもなる狭量な大人だ。それをやぶさかでもないとするこいつらのうんざりとするみみっちい会話は、聴くだけでアレルギーに成りそうだ。帯状疱疹が出たと思ったらジベルばら色粃糠疹だった、くらいにはあっさりと直るがゆえに私はまたこの混乱道中にはせ参じなければならない、水戸黄門だってここまでの苦労はしなかっただろうに。ゆえに、人は脆く味わい深い生き物で、思考の余地があるとすればそこなのだけれど、私は既に限界に達している。これ以上こいつらの話を聴いていたら頭がおかしくなってブレーカーごと落とす勢いでコンセントを抜いてやりたくもなる、なるが、私が暴れたりしないのは大人だから。利用価値がある間だけ、仲良くするのが大人だ、表面上に鮮やかな現象が幾多の螺旋を饒舌に描ききったとしても、俯瞰で見る限りはそれはナスカの地上絵には成り得ない。生き物だからだ、スケート靴が表情にいくら引っかき傷をつけたとて、目線が行くのは選手であることに変わりがないことと同じだ。私はそれが諦めの境地であることと共に、まだ出来る、と思うのだ。まだ揺らせる、まだ味わえる。早く出せよその矮小な逸物を、たらふく弄んで屈服させてやるよと言いたくもなる気持ちの引き出しの奥にこいつらがいることは避けようがないことであり、それは巨大な地下鉄の連結車両に乗った硬質なもののあわれでもあると、全くカロリーの低い食べ物はこれだから不味いんだ。お香を焚く男とは付き合うな、とあれほど口酸っぱく言ったのに『女』は凝りもせずに股を開くし、『男』は男のケツに夢中だ。ビッチめ。シャラップ。サノバビッチ!

 

とはいえ私はこの舞台袖の狂乱をそこそこ楽しんでいることはわざわざ説明しなくてもわかることで、私はひな壇タレントとは違い、笑うことは仕事じゃない。その私の口角をここまで深く切り込ませることに、なんらかの感慨を覚えないわけではないのだけれど、そう思えば人の振るいとはなんと目の細かいことだろう。時折大きな穴もあれば、細かすぎて布のように濾過するのを待つくらいしかできないこともある。それが一つの壮大な舞台になることを夢見て人は人に期待したり、裏切られたりするということは私も経験則としてはあるのだけど、くそくらえだ。ぶっ殺してやりたくなるよな、全員。今すぐ横に並べて全員の首を撥ねて飛び散った頭部を住宅街のフェンスに飾りたくもなるけれど、私は『絶歌』は読めなかった。くだらないと思ったし、理想主義すぎてくどかった。あれを有難がっていた当時の自分はなんと下劣だったのだろうとか今でも思わないわけではないけれど、時に人は痛々しい過去を忘れて跳躍しなければならない瞬間がある。それが今なのだと、これがもし錯覚であれば私の怒りは全部宇宙葬で鼻垂れる遺骨の痕くらいのさもしいものかもしれないが、とにかく今は腹立たしい。なぜ私がこんな目に遭わないといけない。なぜここまで徹底して思慮を極め、論理で強調し、轢死を重んじる私がここまでの屈辱を味わわされなければならないのか理解に苦しむが、理解したら負けだ、とあっさり自決するのは特段、魂というものを私が信じていないからで、あるのは経験と知識に基づいた観測と、そこから導き出されるデータだけだ。と、私は数学零点を取ったこともあるのによく言うが、そこも痛々しい過去として、ミクロの単位で宇宙に散骨することにする。