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楽園

今日と同じくらい白い日々、明日も同じくらい黒いひび、割れた線が描線として、メイクが割れたファンデの痕みたくあたしの正体を黒く化けて出る猫の正体を広げて、広げて、あたしは漏れ出てくる自分の感性が耐えがたく苦痛で、それは世界にとって自分が正しくあるべき理想を掲げる瞬間に滞在する模範的な仕草とかそういう語りで片付けることはできても、耐えがたく苦痛で、理解できるものとできないものが丁度両隣にある雰囲気、男女みたいでかわいいよね。男女のどっちかに選んで生まれられるなら断然女。だって男って魂ないじゃん。女の方がある程度頑張らなくても生きていけるようになっているし、頑張りたくない人は女がおすすめ。頑張らなくても、ある程度周りがどうにかしてくれる世界が優しくてあたしミルクチョコレートプリン食べちゃってる。金色のスプーン、かわいい。あと欲しいものはラグと、小棚と、小棚の上に乗せるアートボードと、あとはハンガーラック。これはオーダーで作ってもらえないかなと思っているけれど、作れるのかな。たまたま運がいいタイミングで運がいい話が参り込んでくることってあるけれど、あたしの場合、あたしの方からなにかをやろうとすると大体ミスする。つまらなくなる。なんか空気が白けるっていうか、魂の出どころが行方不明になる。大晦日、元日、今日はその次の日だけれど、欲しいものはざっとそんなもの。これらを揃えたら部屋は大体整うかな。それで最後にベッドだけれど……これは凄く悩んでいる。欲しいものが未だに分からないでいる。他のものは全部これっていうものが指定できたりするんだけど、ベッドだけはなにをどう選んでいいのかわからない。わかる人いるの?あれってなんかどうにか適当に選んでいるものを適当じゃない雰囲気にしているだけで、適当がいい感じみたいな着地点に意見を持って行ってるだけで、実際は適当そのものなんじゃないの?ベッドがこれが欲しいっての、ある?そりゃ予算が数百万円使っていいとかならブランドものにするけどさあ、そうでもない時の欲しいベッドって一体なに?あとあれ欲しい、ドラム式洗濯機。なんか世界変わるらしいよ。らしいってか妄想。妄想ってか現実。だって欲しいもののことしか考えたくないし、実直に生きて周りに気を遣うとか無理だし、装い新たに感謝大セール!とか嘘に見えるし、在庫処分の言い訳でやってない?ああいうのって、ってなんか人を疑って生きてて楽しい?って聞かれる。楽しくないよ、全然、人を疑ってもいいことないよ。だからあたしはたぶん碌な死に方しないんだと思う。世界のことをぼんやりとしか見られない人は見られないでよくって、でもその生き方にいばったりとか、他人の人生に口出ししなければいいだけ。いいだけなんだけどそのいいだけって誰が決めたいいだけ?なんであたしはこういうことをさも平気で口走ってるんだろう。それが呼吸かどうかを判別するためには魚になればいいの?明後日でもいいの?魚になるの、明日?無理だよ、今?今ならまあ、時間あるかあ。みんなにひれついてぎゅぴぎゅぴ泳いだら、立派なベラになれるかなあ。病気の金魚くらいが精いっぱいか、こんなろくでなし、そうだよね。別に生きていてもいいことなかったし、だから欲しいもののことばっかり考えちゃう。生きていけるのは健康だから。でも先の不安とか別にないなあ。先の不安ばっかりの人って、楽しそうじゃないよね。楽しいの?あれって。たぶん楽しくないと思うから先のことを考えないで生きているんだけど、そうすると何を信じていいのかわからなくなるの。人なのか、AIなのかそれすらわかんなくて、わかんないから跪いて、敵意なんてさらさらないですって顔してふんわり生きるくらいしかあたしにはやることがなくて、だから思い違いの理想が時折醜く姿を変えるんだよ。感謝と言う名の、鬼の姿があたしには見えて、見えて、見えてしまうから色恋なんてしたくなくて、どうせ結婚できないのに恋愛する意味ってなに?って、あたしは先のこと別に考えてないはずなのに、恋愛になると急に考え込んじゃったりする。するから、人間臭いことがみんな好きで、狭間に生きていて、分別すらも悲壮感で、よくない響きが連鎖する。ああなりたい、こうなりたいってよくない思いで沢山作って、理解は冷めた目を遠くに追いやる金魚の餌で、だからさよならするんだって理屈も意味不明。ないがしろで適当やってるあたしは壊れつつあるハートを必死に宥めて、よくない思いもいちご削りみたいに削って、ないことにして、美味しく食べようとしたって悲しい気持ちが消えるわけじゃない。テーマがなにとか言われても、そんなの出口のないものに一貫性を持たせるしか方法がないからそうしているだけで、別に正解じゃないし、誰にも届かない深海で、金魚が生きられるわけなくて、なくて、思いが重くなってくるあたしのこと嫌いにならないで。理解して、優しく抱きしめて、青葉に腐った新芽を解いて、混濁した意識の狭間に七色の夢を見させて。理解、理解できない明るさの方角には黄色、黄色の濁流が今も美しい流れを作っている。それが清流のようにも、金色のようにも見える。今静岡のお茶飲んでいるんだけど、美味しいね。美味しい、こんな日が毎日続けば別に文句なんてなかったのに、なんで高望みなんてしちゃうんだろう。高望みなんかして、自分の実力を知って、絶望して地に堕ちちゃったりなんかするんだろう。人ってなんでこんなに傲慢なんだろう。誰もが誰にも興味がない世界を、どうして作ったりなんかしたんだろう。好きなアーティストの前で踊るやつ、みんな違うリズムでノりにくい。足腰が疲れているのに産地記載のアドレナリン買っちゃうのはどうしてなんだろう。なんかそういうものだから。大きい流れに身を任せていれば、みんな考えなくても生きていけるよ。楽しい世界だよ。『楽園』だよ。そんなの怖いし、怖いけど、アーティストが真理を歌ったって誰も聴いてない。あたしはこの世界が怖いよ。真剣に生きてるはずの傷跡がないことにされていくみたいで、みんな自分が生きていければそれでいいってこと?どうして自分さえよければいいなんてことに他人がなるのか今まで不思議だったんだけど、たぶん他人もあたしにそう思ってるんだよね。あの人常に怒っているけれど、もっと楽に生きればいいのに。苦しみなんか捨ててさ、楽に踊ったらいいのに。そう思っているに違いなくて、膝の裏が痛い。あたしだってそうできたらよかったんだけど、なぜか今こんな風に気持ちを綴ることしかあたしには許されていなくて、許されていないのであればあたしの世界となるものはもっと素敵に、後悔をし続けていたはずで、人は他人の後悔の色に自分が重なるとそれを美しいと思う生き物で、目に見えにくい感性なんかが明日を彩るのを今か今かと待っている生き物で、そんな風に気持ちが気持ちとして心の中に居座って居たら、全部嫌になってくるのが時折じゃなくてしょっちゅうで、だから吐き出すしかないんだよ。誰のこともどうでもいいけどさあ、どうでもいいんじゃなくて必要なんだよ。必要だからあたしはこうして唸ってんの。考えてんの。生きてんの。なのにそれに説明をどうして求めるんだろう、可哀想な人という理解が欲しいの?欲しいならあげるけど、あなたたちが欲しいのは理想でしょう?自分が思うような世界になっていなかったら嫌なんでしょう?ならないよ、絶対に。なるわけないし、この流動的な世界がそんな風に鎮座するあなたのために形を変えるなんてそんな馬鹿なことあるわけがないし、さっさと目を覚まして靴でも磨いていれば?って思うつもりがなくても、そう思っちゃうくらいにはみんなの我儘さがあたしには辛くて、あたしの方が我がままなのに、それを良いと言えないの。酷いよね、もっと必要とされていたかったと思うし、もっと世界とかどうでもよくて見えている範囲の出来事が破綻していなければいいって考えられていれば幸せって人で良かったし、それでいいなら全部がいいわけで、あたしみたいに遠くの世界の心配事をわざわざ家に持ち帰って消化することもしなくてよかったはずで、しなくていいんじゃないの?って、否定じゃなくて純粋な好意で言ってくるやつが嫌い。嫌いで、なのにあたしは今日夜行く初詣のことが既に楽しみになってきている。なんでだろう、神様に参拝しても、良いことなんてないはずだし、気持ちだけがあたしの正解だったはずで、それなのに気持ちを信じられなくなったらもはや論理が重要なんじゃないのって、あの時に抱いた感情も切なる思いも全部逆流して喉の奥が張り裂けそうに痛いよ、痛い。言いたいだけだから、なんでこんな風にみんな他人のことがどうでもいいんだろう。なんであたしだけが世界の業を背負い込んでいるみたいに重いんだろう。なんでみんなあたしのことを異物みたいに見るんだろう。なんでなんでって、なんでをいくら繰り返してもあたしの体内にはもう火がない。景色も、有り得なかった日常も全部ない。ないから、ないままにしてないことにしていて、神様……生きることをどうか辞めないで、世界のしんみりとした情景をそのまま愛して、悲しみだけが世界の真実だなんてそんな悲しいこと言わないで。言わないで、側にいて、優しくして、包み込んで、痛くしないで、繊細だから。あたしは繊細な心の持ち主で、だから人がどう言ったら傷つくのかなんとなくわかるの。そんなのみんなそうなんだと思うけれど、あたしはとりわけそんな気がするの。錯覚かもしれないけど、でも心って透明で、清々しい気持ちを雪に掻き消して、堂々とした論理がいつまでもそこにあることを自分のことのように尊大に祈って、わけわかんないことで嫉妬して、放っておけばいいのに突いて、その癖に都合が悪くなったら逃げるの。随分勝手なんだねあたしって。勝手すぎて、なんでこういう風に考えるのかももうよくわからなくなってきて、全て因果だから。って結論出せばそりゃそうなんだけど、そうなることが結論になるのなら、例えばケーキを切って渡して、「えっ随分端っこの方をかけらだけ?」って尋ねても、「いいじゃない。ケーキはケーキなんだから」って言われることと同じくらい、変な分類の仕方をあたしってしているんだよね。人はこんな風に言葉の意味を接着しないって、確かにそれは当てはまっているのかもしれ合いけれど、あたしには意味がわからない。繋がっていることはかろうじてわかっても、繋がりがどうすれば繋がるのか、意味がどうしたら意味になるのか、そういうことって全然わからなかったし、理解できないから理解しなくていいんだって思うことも大概匂わせておいて、いざその時が来たら百花繚乱紙吹雪って、全員どっかいなくなる。なに言ってんのとしか思われないし、なに言ってんので終わる人はこんなところに来ないし、だからあたしはこんな風に自分の気持ちを文字に固着できる場所があって幸せだったなあって、今もこれからも思うわけで、お茶飲み終わっちゃった……明日も明後日も休みだし、いいことあるかなっていいこと探しに邁進して、ズッキーニの天ぷらまた食べたいな。フリットとかわざわざ言わなくても天ぷらで良いじゃん。いいんじゃん、いんじゃん。そこの、そこの縁の方、見てるよ、よおく見えているよ。どうして悲しそうな顔をするの。どうして呼吸を整えないの。どうして理屈抜きで人が理解できるの。教えてよ、そこの君、君、君。まあでも脅かすつもりは別になくてさあ、あたしはただ理解したいだけなの。世界が未だにどうして世界なのか。隣人のことにすら興味がないのはなぜなのか。あたしたちが見る世界はモニターごしに凍ってる。世界はいつ溶けるのか、そういうことにしかやっぱり興味が持てなくて、持てないなら誰にだって優しくする男と同じでしょ?ときめきがないもの。真剣なだけで、エネルギーは無尽蔵で、でも呼吸は今でも透き通っていて、カルチャーはいつだって新鮮で、焼き直しなわけなくて、やめてよ。そんな風に解釈しないでよ。全ての言葉は焼き直しだから。でも時折、そこに意味めいたなにかが宿る瞬間は必ずあると思えるし、それはめいたものだから意味じゃないんだけど、意味っぽければそれでよくて、大事なのは他のことだと思う。右脳、これで生きようよ。右脳だけが踊ってる。右腕だけが妙に発達しちゃってる、脚、脚はまあ均等に使えばそれでいいんじゃないですか。よくなくて、もっと全体のバランスみて、退屈してるよ?一緒に踊ろうよって、そんなわけなくてもあるのが世のマジカル!錯覚!全部楽しい……楽しいはずの呼吸が楽しく感じられなくて、義務感で、退屈なはずの娯楽が必要とされているの意味わかんない。わかんないからわかんなくて、ずっと暴れていたいよ。全部壊したいし、理屈とかそこに存在しなくていいはずなのに、後悔することが今も怖い。あたしが興味を失った物事にみんなが群がっていても、独りだけ指差してそれを笑いたい。爆笑、絶対それ面白くなかったんじゃんって、妙に回収する気分にもなるよ。だけど言い訳は向こう側の島の出来事で、こちらにあるのはリズムとテーマと、あとなんか適当。適当があって、言いたいだけでしょって、そりゃそうだよ。苦しく感じない人たちに今更わかってもらおうなんて思わないし、それでもなんか、たまにあたしは自分のやっていることがよくわからなくなってくるんだよ。もしかしたら、もしかして、あたしってすごくがんじがらめの入り組んだ袋小路に迷い込んでいるんじゃないかって、そう思わないわけでもないけれど、意味ってやっぱり難しくて、覚えきれないじゃん。覚えきれないからもう少し思い切って考えたりしちゃってるだけとも思うんだけど、思えるなら既に出来ているってそれもまた数ある正解の内の一つで、ミックスしてる。ミックスジュース、飲み干して、全部バナナ味になってるそこもまたかわいくて、ああなんかひっそりと灼けたい。意味とかにじゅうじゅう蒸発させられたい。『火の鳥未来編』に出てくるなめくじ生命体みたいに、ほんのわずかな断片に生命的なエッセンスを組み込める巨匠になっても、あたしは、たぶん自分勝手なこと書いてると思う。自分が自分じゃなくなった時に、人が思う摩擦は余韻、それは縦横無人に一切の論理を許容しない、模範的な美しさ、その態度がよく甘んじても受け入れがたい人の視線になることはあたしはむずがゆく思うし、思うなら出来上がっていることも相応の論理としてある。具象は甲斐甲斐しく魂を譲るし、人は金を神にせびる悪魔だから、そんな風に自分を揶揄しても、やっぱり耐えがたい皮膚、皮膚が三十年後には垂れさがっちゃっているわけで、そう考えると今の大切さが、大切以上にかけがえなくて、お母さんと妹と食べた沖縄料理、美味しかったあって、なんかそれ以上に大切なことなんてなにもないし、ないのに、なんでこんなこと書いているのかもよくわからなくて、あたしは今も孤独だよ。肉親も姉妹も友達も恋人だって最近まで居たけれど、そうだとしても今生きているのは悲しみからじゃない。人に理解されないおばけ、おばけがかわいいものとして消化されるようになってからも今電球に殺されたおばけたちの内の一人があたしですなんてそんな光栄永遠に続くよ。それはもちろん関係がないことだけれど、妄想の始まりに愉快な思いはやっぱり空間に歪みを生むそんな気はどうしてもしているし、しているから、信じられない世界のことももう少しだけ取っ掛かりを持って、愛せるように。人が人としてのなにかを失わないように、守るように、生きているんじゃないですかって締めくくり、そんなわけなくっても、ここにある意思の塊は非道さを持ち合わせた残酷な魂の塊で、それを愛で言いくるめることは情けない魂が救われるための唯一の方法だとしても、言葉がどちらの意味も含めるのは、生涯生易しい態度を露骨に見せる君たちの、君たちの仲間にとっての最善の、論理とも言えぬ抽象の、理屈がそうであるというだけ。だけだから、だけなことを今日も愛して。