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純真

あの瞳の奥に辛い現実が一層差し迫ってくる現実が、これ以上のないくらいに絶望的で、甘美な現実が、一切合切かなぐり捨てて襲い掛かってくる現実、そんなもの甘い蜜にしちゃって繊細なバージョンアップ決めれば軽快インドネシアに旅行をしたいな貨物船に乗ってフェリーから手を振ってばいばいってみんなの首取れればいいのに。でも怪物はどこにもいなくて、あたしたちは優雅なひと時をバカンスだと思って味わって食べたりするんだけど、それが幻想的な思いを超感覚的に示唆するオーバーゲート、トロイの木馬もびっくりだよ、ふわついた皮膚にパリッとチョコアイスみたいにヘドロが染みついたらあたしミント味って苦手なんだよね……味わって食べるのも蒙昧気持ち悪いのももーまんたい。苦しかった案外途中経過をもう一回くらいは赤裸々に醸し出してもいいかもねつまりは大変船上員が落っこちちゃったラッキー百円玉みっけ。愉快なはずの後悔でなんであたしこんなに後悔してんの外したら外したで別にいいのにクーリッシュのバニラ味食べたいだけど監獄には一人しかいなくて、その化け物はあたしたちに必死に目を向ける。食べられることだけを危惧する兎は食べようとする狼のことを何も理解していない。その狼はずっと空腹で、家族を養うために食べ物を分け与えて、それでようやくあなたに出会えたかもしれないのに、兎ったら全然関係のない顔して、ぴょこんと逃げようとするんだもん。逃げてもいいけど、その先には田んぼ、田園、電信柱は当時にはなかったのかもしれないけど、面白おかしいものが溢れてる。だから食べたい、食べられたいがセックスの比喩になったのって結構請け合い。面白いとか油断したって破滅への道は五角形の互換性にあるいつも面白いものを探して魂だけがすり減っていくのはどうしようもない《感性》がへりくだりつつある《歓声》に絆されているわけで、そんなのドーピングしようがない、間違えたどうしようもない味わいで、味わった矢先にコングラッチュレイション、ミクロのパズルがおいでまし、ようこそ別の次元へホーリーワープゲームって適当だよね。ゲームってなんかもう適当だよね。なんでもありになっているし、売れたら全員真似するし、なんかもうなんでもありだし資本が全てだしソーシャルゲームで楽したがるのもよくわかるよね。だって結局報酬系でしょ?どれだけの崇高な理屈を込めようが、結局報酬系のスイッチが押されるかどうかでしかないんじゃない?ゲームってだからつまらないし、あたしはソシャゲのガチャだけが好き。インディーズゲームも、たまにやる。鬱血した雛鳥がいる。生易しくて、可哀想で、今にも蛇に食べられそうで、あたしが代わりに食べて上げてもいいのかな?《いいよ》よくないからそっと掌で掬って逃がす。道路の側溝。そこなら温かいと思うよ。臭いけど。こういう自然に手を出すことを蛇蝎の如く嫌う人っているじゃない。あれってなんでなんだろう。別にあなたたちの嫌う人間の姿だって自然の一部なのに、なんでそれが嫌なんだろう。鏡見せてあげようか?すごくきれいなそばかすだらけのあなたが映っているから。呼吸も少し扁桃腺が腫れているみたいで苦しそう。背中摩ってあげようか?ほらヒッヒッフー《ヒッヒッフー》感謝してもしきれないよ汚れた人生の呪いのような日々もすごく美しい美女を見て、きれいの前にかちんと来るあの感情、あれが性別ってやつの呪いであたしたちは理屈じゃない世界に生きている。理屈じゃないから例えば『男性』が自分よりも賢くて若くて仕事の出来る顔の整った『男』が現れた時に、無意識で「おれは仕事の能力だけを褒めてるから」みたいに自己防衛するの、あれって絶対に気に入ってないよね?だって気に入ってる社員は全員脂ぎとぎとで太ってシャツの第一ボタン締められないような腹ぱつんぱつんの豚もどきばっかりだもん。あれ凄く面白くて、建前では一応褒めるんだよね。でも絶対にその嫉妬を表には出さないの。外見に嫉妬するのは『女』だけだとか平気で口走る癖に自分が面白いくらい嫉妬してるんだもの。最悪で、だからオヤジって嫌いなんだけど、でもあたしは『男性』性を降りた『女性』が必ず通過するミサンドリーはもう過ぎたんだ。過ぎて、過ぎた上でやっぱり嫌いなの。これって理屈じゃなくて、繊細。正解。生活感の余剰で、歌声足んねーよ《コーラス》ゆっくり吐き出されるのは血潮の因果で掻い摘めるのはお腹の肉で、太もも太いから削りたい。パパママ好きだから掃除機買って。あ、パパいないんだったけれど、でもいなくてもあたしは平気。君がいるから。君のために今も生きてるから。今を生きてるから明日を生きているのと同じで、明日死ぬかもしれないけれど、そんなことは今考えることじゃなくて、正解がたくさんある世界で、今日も花びらが落ちたよ。正解は一つじゃなくて《二つ》でもなくて《三つ》それ延々やるつもり?そうじゃなくて大正解になるためには人の心なんてどうでもいいって思わなきゃいけないの。自分か、他人かの領域に自らを持って行かなきゃいけないの。それってすごく寂しいし《苦しいし》世知辛いし《尊いし》無限にも等しい時間の中で牢獄に一人閉じ込められるくらいには悲劇的だし憂鬱だし忍びないし困惑するしだけど明日があると信じているのは死刑囚もおんなじで、呼吸は苦しいよ。いつ当たり前になんてなったの。日光にさらされても肌が灼けないのは当たり前じゃないよ。日サロに行く人は全員暴力的だと思うし一切タンクトップ着れなくても夏を楽しむには部屋でアイス食べていればよくて冬はどのみち関東は乾いているからいいよね。着込んで出かければいいくらい、いいくらいだから今日もよくて、明日もいいからいい体になりたいとか昔あれほど願ったことが今はどうでもいい。冬だから?それとも三十越したから?出前取ろうとウーバーしようと面白いことは山のようにあって、それらがいつ正解を取りに来るのかあたしには全然わからないしわかりたくもないけれど、急な発言で失踪しがちな若者、ディストロジー悪寒ばっかりで大困惑っていうかこれすらも暴力的で、生きている限り罪悪感《万歳》感じるここは日本で生まれながらの勝ち組《んなわけあるかい》そうしようと送料無料になるまでチャージ、偉そうな人は好き。だって額に恥って書いてあるから。

 

偉そうな人が書いてある文字が汗で滲んで、『怒』に変形しちゃった。あたしってばいつもそういうろくでもないことを言ってしまう言わなきゃいいのに、でも言った後にまあいいかといつも思えるの(書くの楽しいから)。有言実行する派なんだけどそれに自ら苦しめられてるもっと言わなくていいことが山のようにあって、言ったり言わなかったりして世界が続いて行くことすらも今この瞬間がんじがらめの日常をテイスティングして、乙女の純情に感謝の大海原を走るよ後悔なんていくらでもあるけれど、でも後ろを見渡せば死骸、死体、遺体、遺骸、肢体にしたいよ後悔なんてしたいわけなくて、でも背中にいつも張り付いている《呼吸》さざめくディストロフィー快諾のために今を生きて、世知辛いはずのおせちを食べて、催して、今もトイレで吐いてる《吐瀉物の音》くったくたに疲れたライブも飛沫感染予防を通りこしたルッキズムのためのマスクも今も前回の社会の窓もフレンチ食べてるつもりのカレーも全部かっこいいし、油断している。油断しているから恰好よくもある。世界のはずだった全てに今の木漏れ日をなんとか指差してあと何回生きられるかを指折り数えて皮膚を切るの。ミートゥーシー……切り傷から血豆がいくつか滲んできて、それが段々膨らんで、でこぼこの線になっていくのを見るのが楽しくて、あたし爪噛む癖あるけどリスカの癖ないんだよね。全員なにかしらの異常者で、係の人は順に並べってキレてるし、あたしはもうこんな風に全員が全員のことをどうでもいいと思ってる社会構造が割と嫌でしょうがないんだよね。もっとなにかしらの思いをみんながみんなに届けばいいなって思ってるような社会じゃなぜだめなのとか思わないでもないんだけど、こうなってしまったのには理由がある。こうなってしまったのなら取り返しがつく。みんながどうでもいいと思っても、あたしはどうでもよくないから《ヒュー》価値観は人それぞれとか嘘だから《ヒューヒュー》風呂上りの指先でこんなことを書き連ねても、世界はどうしようもなく嘘ばかりを塗りたくって、その中で本当っぽい嘘にみんなが群がる世界が温かい……スープを飲みたい。お肉が少し入っている、コンソメのがいいかな。ジューサーから搾り出す血肉はほんのり色が混ざっていて、最終的にグレーになるなら色は全部グレーでいいじゃんって言われたときの後輩の顔、顔が、なんかイソギンチャクみたいで、あたしは海底に住む貝のように、開いたり時々閉じたりしながら誰かに強引に割られて中身を吸われるのを待ってるのかも。しれないけど、しれなくても底知れない、だって因果のために世界があるんでしょ?世界それそのものが世界なわけがなくて、沢山の意味がひとまとまりに見えるものを便宜上『世界』って呼んでるだけでしょ《そうだよ》だったら今世界の意味が全部なくなっても、あたしは独りで踊ってるよ。今も、今この瞬間もキーボードの上であたしの指が踊り狂ってるみたいに《無限の猿の定理》シェイクスピアは奏でられなくても、あたしだけの愉快なテレパシーはみんなに伝わる。伝わるならばこれがみんなだって解釈も人それぞれ《出た都合のいい解釈》トートロジーとしての同じ形を背負ったあたしたちの内実違わぬハートは見せしめ、愉快なセンチメンタルに造形までどっぷりつかって、肩からリンパを腕先に流すみたいに必然な、彼、彼のために明日があって、嬉しいとか悲しいとか、全部凝り固まった新世界に、あたしだけが取り残されて、それが歌だってどろどろに歌って、それでも一人でライブ会場に立っている気分で、ここにいるよって誰かの声が今も頭に響いてる。響いていて、グロテスクな愛の『純真』は瞬く間に消える命の明滅、光だったから、光でもカルチャーは掻き過ぎていたくなった太ももくらいに変な匂いがしている。しているけれど、あたしの方を見ても世界はない。世界の方を見てもあたしはいないし、それだけで全部否定されて、これって幼児性全能感なんだって《へえー》優越感に浸ることがクリエイティブなんじゃないの?それならあたしはクリエイター気取って、今から何者かになれますか?なれないよ。こんな駄文を書き散らしてるんだもの。絶対になれっこないよ。そういう言葉たちに何本かの紐を束ねて呼吸を消したい。ひっそりと、エンジン吹かして全身する巨躯に膝を打つ魂の依り代が、なんとなくここにある情景をなんとなくで済ませてる。済ませていればなんとなくの始まりで、割とダイナミックに塗り替わって行くんじゃない?って思う気持ちもスペクトラル、正解もなにもないよ。正解のはずなら世界はとっくに不正解を刻んで、今は次のステージにいるわけだから、そうでもないのは人間の面白いところでこれって真理だったりするの《しないよ》だとしたら真実はいくら探してもヤドカリってこと?《そうだよ》それならあたしは今この瞬間にビルから飛び降りても正解ってこと?《そうだよ》《でも死なないで》《死んじゃやだよ》だったら今この瞬間に靴二足揃えてばいばーい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落ちたって記憶が消えるわけじゃない。なにかしらもなにもなくても生きてるだけの人生でもろくでなしと比較してもクソリプ飛ばす人が悪いわけじゃない。世界が不完全なのが悪くて、でも不完全だから面白いとかたまに美しいとかがある景色がやっぱりどこか掛け替えがなくて、歪な空間次元絶え間なく揺れ動くテレパシーミクロの世界で正解なことがマクロでは掻き消えてしまうそんな風景があっさりと記憶され、風前に消える灯になったって、あたしのために居た全ての人が世界を憂いでも消せないように、この日差しはやっぱり正解を語るのだ。調べは、故に調べだからこそ揺れ動く因果なのだ。

 

そう思ったら皮肉にもバースデーが今日の人、誰もいなくても世界が今日で嬉しい人、誰もいないか。そんな風に早とちりした風景もあたしは喜んで受け入れられるし、受け入れられるなら生きていった世界のこともやっぱりどこかでバースデーの趣きがあって、

 

揺れ動いた不正解に末路を辿るのはそれは妖だらけの百鬼夜行がほおずきのランタンを揺らしながら励んじゃったりするみたいな缶詰の記憶で、培ったものが無意味でもテンションだけはハイになるわけ。昨日沢山寝たから肌つやつやだよ。触ってみる?

 

と思うこともやっぱり揺れ動いたりする。明日にはまたどうしようもなく治安悪いかもしれないし、今日だってたまたま元気があるけれど、明日には心が壊れているかもしれないし、壊れていても誰のためでもなく自分のせいだし、自分のせいなら放っておいてよ。勝てる思いも全然なくても楽しいは楽しい。ルールがないからね。感じるままだけが正義だから乏しい。

 

そんな風に世界を色濃く救っても、社会には取り残された人たちが大勢いるわけで、そんな人たちにもっときれいな空間を背負って投げて千切ったりしてみたいとか、思わないでもないんだけど……まずは歩みよって欲しいと思う。光の当たる方へ、それが無理なら首を回してぽきっと音が鳴るのを楽しんだら?世界の始まりって案外そういうところからでしょう?

 

この答えすらもよくわからないままにはじけ飛んでいく。面白いに還元されていく邪な気持ちは全てにインクを垂らして、あたしの世界には必要ないってどこかでぼんやりと誰かが思ってる。そのことが、拍手になるかならないかもあたしにはよくわからなくて、死ぬまでの数秒間だけ、目を閉じたり、開いたりすることを忘れて全部夢だったら儚いのに。儚くて、導もない光の中で、ほど遠いグレーだけが朝日を包んで、そんな世界で地獄を祈ったりする。「あいつら早く別れればいいのにな」って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はそんな景色を思い描いては、劈く呼吸に寄って火を消した。苛まれる孤独に共感するいくつかの悲鳴の持ち主がいたって、僕の聴こえてくる魂が消せるはずがなくて、どうしようもなく麗しい声の持ち主たちが、今日も明日も明後日もそのまた次以降も全部に現れて、コンビニ前でたむろしている《早くジュース飲みたい》それが言い訳ならまだしも、全世界のために今が呼吸の類を忘れているのなら、それは空間自体を捻じ曲げる引力を持つ手前で、一切合切がどうでもいい社会で凍り付くような繊細さが許されているってただそれだけの話で、燃ゆる火の方に情景を乾杯して、チーク塗りたくってぼうっと熱出した赤い顔になんどだって辟易する。不浄だ、不誠実だと。それは僕の一人だけの妄想で別に片付けてもよいものだし、よいものなら宵ごしにパズルを解く舞台には僕だけの悲しみがあるはずで、そんな気持ちに嘘はなくて、嘘がないなら破綻すらも美学で、嬉しかったり、悲しかったりすることを忘れていたくはないんだよなあ。別に、なんにもならなくても、書くことで救われている自分は確かにここに居るし。

 

それを言い訳にしつつも、もう便座は下がり切っている。後はヤンキーみたいにたむろして、「先生ズボンのチャック空いてます」なんてわざとらしい声で暴言吐いて、この後何十年も人生が続いて行くことをどこかで忘れてしまえるぎらついた目、思考、思想未満の思い違い、全部が華々しく散っていくことが幸せ。僕にはそれが幸せで、それはいつか私になる記憶の類に連携して、たどたどしい連鎖反応に近い記憶の分裂を指し示すものだ。いつか、思い違いなどと誤解している私自身のはるか上空に佇む落雷をその目に焼き付けるまでは、死ぬか死なないかで必死に悩む十代の背中を背負う覚悟は元よりある、あるが……いつかの不正解が今日の正解になるのなら、明日のために持って生まれた知性を全て投げ打ってでも地面を這って生きることもそれまた正解で、だとすれば私の嫌いな郷愁が忘れようとした自分の生まれの古びた棚の埃の黴の匂いを連れて戻って来たとしても、それ自体が古いものへの恐怖を打ち消すための理想には成り得ない。そうだとしても、呼吸は繊細そのもので、私の空間は今も輝いている。言葉だけで構築されたこの景色が、もっと濁流と化して、暴れ散らかして、一斉に燃えるその島を、光り輝くその舞台を、私は楽しみで仕方ないのだ。