MENU

独善

中学生の時に美術教師が『秒速五センチメートル』を教室内で流し、ほぼ一人で制作した映画であること、背景美術の美しさを真剣に語っていた時、僕はまだ十代も半ばくらいのひよっこで、ひよひよひよっこで、心も身体もぴよぴよとしていたわけなんだけど、そんな訳な坊主も美術に興味がないわけではなく、山口晃とか、イサムノグチなんかの巨匠と名高い人の作品に触れ、触れっつうか見て、見てなんか美術って美術っぽいなとふんわりした気持ちにだけさせてくれる美術の時間が好きで、今思えばもうちょっとちゃんと課題とか提出しておけばよかったし、先生とも深い思索の話とかで盛り上がればよかったし、美術高校とかも行っとけばよかったっつうそれは後の祭りでしかなく、でも僕はそんな美術の時間の断片だけでも人生について考えなくてもいい時間が心地よく、心地いいから美術の成績だけ少しよかった。

 

僕はひょんなことから美大に進学することになって、そこで色んな文化に触れたのだけど、ある時後輩の当時まだ青い鳩がアイコンだった時代のTwitterでこんな呟きを見た。それは映画『君の名は。』の感想だったのだけど、信じられないくらいの酷評で、なんなら監督の新海誠への個人的な悪口まで書かれていた。内容は全然覚えてないのだけど

 

クソ。

 

とかこんなことは書かれてはいなかったと思うんだけど、書かれていたって僕が錯覚するくらいには新海誠への憎悪に溢れていて、僕は当時その映画を観ていなかったから、あんなに世間を賑わせた超大ヒット映画をそんなに酷評する人なんているんだ、とマジに思ったし、元より僕は世間的にいいとされているものは否定してはいけないという誰もなんにもそんなこと言ってないのにそんな風に思い違いをしていた時期が長かったから、新海誠に対しても「秒速を一人で作った人でしょ?すげーな」くらいにしか考えておらず、考えていないから就活も失敗してあれよあれよと地の底を這いずり回る生活を余儀なくされたわけなんだけど、僕が『君の名は。』を観たのはあれから随分後だった。

 

ちょっとわかるって思った。観て、あの子の言ってたことちょっとわかるって思った。僕は『男』にまだ希望を持っていたから、ちょっとわかるのちょっとの部分に多大な期待を持ってしまっていたことは事実だったとしても、でもちょっとだけわかり、なぜわかったかと言うと、「ラストのシーンであの二人が巡り合うのが許せない」と言ったその子の感想だった。

 

僕はあの映画はストーリーとか細かく時系列で精査しながら観るものじゃなく、なんか高揚とする偉大な風のようなものに乗って、上空に空高く舞い上がり、絶景を観ようぜ気持ちいいぜというオレ流スタートダッシュを決めるための映画だと思っていたし、現に僕は『ブラックスワン』とか『フランシス・ハ』なんかもその流れで観る人だったから全然話わかんなかったし、わかんなくても楽しませてくれるものが好きだったし、わかんなくても楽しめるものじゃないとそもそもでダメだとも思っていた。

 

けれど、その子の放った『毒』は僕に密かに侵入し、身体を蝕んでいった。その日から、って言っても実際は遥か前から僕は他からも受けるあらゆる毒に触れ、心身ともにびたびたになり、つま先が紫に変色して血管が太々と浮き出るくらいには社会的な毒に犯されていったのだし、それは既存の『男性』的な権威主義を強制的に引きずり落そうとする、ある意味では『女性的』な運動の一端に、そのような暴力的な怒りを感じ取ったのだし、それはめちゃくちゃに面白い一環というか、働きかけというか、『君の名は。』にそんな切れるか?っていう傍から見たら極めて滑稽な主義主張の対立に軽いめまいを覚えて、立ち眩んだというだけの話なのだ。僕は別に新海誠のファンでもないしどっちでもよかったから、どっちでもいいスタンスで気軽に観たら、どっちの気持ちもわかって面白かったというだけの話だ。なんなら「もっとやれ」と思った。「もっと燃えろ、もっとバトれ。醜く争え、血を流せ。おれは新海誠なんてどうでもいいけど世間的にいいとされているものの価値観が逆転するのを観るのが好きなんだよ。もっと燃料注げ!」と野次馬精神が勃発していた。僕はプロレスとか観ると衝動的に熱くなってしまう人なのだ。祖母ちゃんも水戸黄門とか観て悪人に「カチ殺せばいいのに」とか言う人なので、我が家はたぶんそういう家系なのだ。

 

とりわけ『君の名は。』に対してはすげーなとは思いつつも、個人的にここが刺さったみたいなものはなかったので感想を書こうにも書くことがないのでどちらかというと『秒速』の方が気持ち悪くない?ということを書こうと思ったのだけど、『秒速』のキモいところを列挙することはいわゆるいじめに該当する行為であり、あれは『男性』性を降りたがっているキモいナードがうじうじと過去の初恋を引きずってひたすら情景をきれいに思い描いて人間を美化するというストーリーなので、嫌いな人はとことん嫌いというか、いや素晴らしい映画なんだけど、私もちょっとキモいなと思う部分はあったし、それはセンシティブでまだ絵とかに憧れを持っていた十代の頃の僕が観たら女性の美化とかにも気付けない生易しさが災いしてあれをすごく感動的だ、と確かに記憶していたのも伝わって、でも一度その毒が侵入してからはあれを大層『独善』的な映画だと思うようになった。あれって、まじで男側の視点だけで描かれているのが腹が立つっていう女性の気持ちは甚だわかる。わかるけど、都合がいいものと都合が悪いものって、結局人間は都合がいい部分だけを観ないとやっていられない生き物なんじゃないかとも同時に思う。

 

都合が悪い部分を観るというのは、例えば『秒速』で言うところの、「いや初恋されていた女性からしたら、たぶんお前のことなんてとうに忘れているし、そんだけ魅力的な子なら他の男が放っておかないわけがないから今頃あっさり二人目、三人目以降もできていて、でも男に好かれる女子っていうのは男の前では悪い顔を見せないから、きっと再会するあなたの前ではしおらしくいい子を今も演じてくれるとは思うけどそれを正解にすんなよ。お前だけの彼女じゃねえんだぞ、な?」という生々しい経血の香りがそれに該当するものかと思われるんだけど、じゃあこんな幻想破壊をピュアな映画監督という生き物でもある当時の新海誠が完全に食らって『秒速』を作ろうものなら

 

突然ヒョウ柄の腹が出たババアが盆踊りしながら「酒飲め!な?ちんちんちっちゃいな?」とか錯乱して四股踏んだまま等速直線運動する大パニック映画、途中からなぜかワニとかサメも出てくる。秒間五億センチメートルで突き進むババア、カインズホームに上陸!とかってタイトルで局所的にカルト的な人気を生む漫画太郎もびっくりの不条理サスペンスみたいになるのかもしれないとか、そんなこともやっぱり考えるわけで、

 

だって偶然でしょ?新海誠がピュアに生まれたのも、偶然。光沢の光の部分だけを踏んだみたいな人生をたまたま歩めた才能のある絵描きが、アニメーションと出会ってそれからたまたま女の子に幻想を抱きがちで、それがひょんなことから世間的なニーズと合致して青い空、白い雲、透明な彼女、失われた記憶……みたいなことになることって全部偶然なのであって、そこにフェミニズム的な女性のリアリスティックな生理痛をえいらこらっと塗りたくったら全部が瓦解するというか、新海誠はあれでいいんだよ。ああいうピュアで現実離れした作風が世間的にも求められている監督だから、別にいいんだよって思う気持ちは極めて浅はかで、そんなこと関係なくて売れたやつは嫌いだから。売れるなよ、おれの前で、売れたら文句つけっからな。お前、女性の気持ちもちゃんと描けないで生意気に映画撮ってんじゃねえぞ小僧。いてこますぞとなる人の気持ちがぶつかり稽古して、上映前に漫★画太郎になる未来があったとしてもそれはそれでやっぱりよくて、別に全てが偶然なのであれば偶然の結果がどうあれ偶然が必然になることはないのだ。というよりは偶然の行き着いた先には全て必然が横たわっているというそれだけの話なのであり、

 

だからどうとかは別にないけど、怒る女性の心理が途轍もなく面白く思えてきてしまい、なんだろう。真面目が行き過ぎるとやっぱりちょっと面白くなるというか、これすげえ面白いなって、どっかで茶化したくなる心理ってやっぱり人間にはあって、世間的に売れようと思うとそれらを見ないふりするか、見てみた上でカオスを作って嘲笑うかのどっちかしかないというか、自分とは真逆の意見があることを全て尊重して居たらとてもじゃないけれど物なんて作れませんわという話であり、だからクリエイターは都合のいいことだけを見ていればいい生き物なんですよって結論はたぶんそれなんだけど

 

ただ、売れんなよって話。おれより売れんなよ。おれより一歩でも売れたらあ?お前な、わかってるよな?ああ?おれより一歩でも先に売れようもんならお前校舎裏まで来いよ。おいちょっと面貸せよ。そこでジャンプしろ。シャランシャラン

 

みたいなことでもあるわけで、牽制し合ってビキビキにバランスが保たれた緊張感のある戦場が売れるという世界なわけで、一生懸命やってるやつは周りのやつのことを批判したりしないとかピュアな幻想をクリエイティブに抱いているやつも中にはいるけれど、そんなことねえから。人は一生懸命にやればやるほど排他的になる生物だから。協調性なんて信じてる時点でまだお前は本気でやれてねえんだよって、そう思うのも一つの正しい形で、

 

だとするならばなんと生きにくい社会なのだろうと僕は思うわけなんだけど、これが僕の空想とか、支離滅裂な言葉の列挙で片付けられるものならば全然話は容易かったのだけど、実際問題世の中ってこういう本音を無いことにして片付けているからキモいというか、見て観ぬふりしてるくせにすごい臭いこと喋るもんだから、うわと思う瞬間は多大にあるというか、そんなことを思っていても公共の場では絶対に言ってはいけないこととされている。されているってか、言ったやつは排除されていくから言わないやつだけが残る、みたいな状況すらも非常に滑稽で、そういう割れそうなぱつんぱつんの風船って、針で突いたらどうなるんだろうとも思うわけで、例えばこんな風にそっと、神経を直に触れるくらいにそうっと、生易しく態度と言う名の針をそうっと、

 

ぱつん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガッシャン割れた正解だらけの燃える日々、空想は元気に逸脱正解の嵐でもうまんたい、もう正解?ド根性ガエルの意地の底、不滅の論理は解釈の不一致軽快ズ軽快連投催す春のタオルにインクを滲ませ踊る、踊るコネクター、一蹴回って大正解。

 

カオスのみなしご、痙攣された瘡蓋の悲劇、剥いで爪痕はがっつり因果関係のあみだくじの裏側だけを引かされる毎日、シンドロームしんどい感情が壊れそうな予感も切実に解決しちゃう全肯定、僕のための僕に僕が内実孕んだシンジケート破って培った隕石の記憶、なんでも屋の売りは文字通りなんでもなんだから股でも開いて明日まで飛んどけ、

 

全校生徒に告ぐ。解釈をせよ、と。まかり通ることを悲劇と思うなと、センチメートルが何秒間かは至極どうでもいいつぶさで八角形が程遠いリズムを刻む、リズムのためのホーリーネイション関係性が復活している、フッ素コーティングの歯のぴかぴかのセンチネイションに、かまして僕らの感情の逸脱は氷が今溶けそうなくらいに熱く、感じて、感じて、言葉で感じて、魂を削って、見せて。

 

それ見せて。かけがえのない気持ちが秋に嘆いても、冬には冬至がやってくるし、一年で一番長い夜だよ。おひさまの光なんて来なくてさあ、ぞっとするくらいの真空の夜だよ。パッケージングに天皇の顔、アイドル気取って真っ逆さま、落ちる舞台袖のラクダ、欠伸をしている欠伸をしている空虚さが砦で末路は味わった末の道すがらで僕らは愛を失った蛙、モドキの人間の、やっぱり蛙の方に似ているなにかで、変温動物だったんでしょう?だから他人の気持ちとか平気で踏みにじれるんだし、恒温性でそんなことできるわけないじゃない。

 

ダーウィンもびっくりの進化分類学。系統線上の数多の分かれ目、たぶんだけど僕らはその末端の、隣がマツとかそんな感じの方が最早近いってくらいに原子的なあるいは未来的なバージョンアップ、遂げた、進化の果ての錯綜感、そんでもって愛は、為せる行為はダイナミズム、アクションフリーズアップ、嫌韓大好き、日本国を踏みにじって!

 

ここにこんな風にぶら下がっている愛の逸物の名付け親、そんなことを思うくらいにはどよめいたお尻たちの誘惑、僕はこれを秒速百万キロメートルだと思うし、一京とか一恒河沙くらいあっても別にいいというか、カロリーじゃないんだよ。多分だけどスケール、スケールで物事見た方が良くて、そんなだから逸脱できないんだよ。次の次元に、パラレルホールセンセーション!暴露、加熱、

 

油断。そういうものもどこかしらにあった気がする。元々持っていたものだった気もする。けれど僕には愛情の持てる全てが悲しく思えて、誰も彼も包んであげたくなる。それが上にあげてから落とすというごく単純な落下のスリルだったとしても、内蔵が持ち上がるその瞬間にはブラットピットだって恐怖する、そんなもんが可愛くて、可愛いから食べちゃいたくて、僕はでれでれになる。こんなに可哀想な世界で一抹の不安に魂削るの本当に馬鹿みたいだけれど、

 

でも楽しい。僕にはそれが楽しめて、それが楽しめるなら全部楽しいってことになるって思うと、僕は幸せ者の脳の作りをしていて、でもそれがハッピーで片付けられたら全員殺したくなるし、でも僕は虫一匹殺せない悪い子だから。悪い子を自覚している悪い子だから。だから反省したそぶりをしながら盗んだものを手のひらから出すの。「これ、落ちてたから拾った」って。血まみれの心。

 

全員全部忘れていればいいのに。価値が価値で失われてしまえばそれでいいのに。それで独善的な僕の魂が救われるかっていうとそうでもないけど、全てを内包するならば、全てを語っているのと同じだから。だから僕は悲鳴を愛する心を持って生まれたこと、それが心地よいバイアスとなり、僕に都合の悪い現実ばかりを見せてきて、僕それ黙ってみるよ。ずっと見てるよ。君がなんで臭いのかも、なんで饐えた臭いの放つ服を着てるのかも、全部考えてるよ。考えて、考えて、嫌な顔一つしないよ。僕にはそれが唯一の感謝だと思えるから。理解ができない他人のことを弔える唯一の解が『考えること』だから。不正解そのものでしょ?

 

後始末、偶然の摂理に従って春は燃える《明日の火蓋は》切って落ちる桜の枝の《不穏に達した黄金虫の憂鬱に》ナーバスを従える《神様僕を慕って》つんのめったサイの角《見くびるミクストロジスト》反社会的な精神性と《失われし四つの悲劇》混ざって《抽象的な空間次元解釈とせめぎ合いに》反芻する明日を見ては《誓って砕けてまた落ちる》唯我独尊と人が呼んだとしても《僕にはハレルヤだと思えて》風景が温かい《陽の光は心地いい》歓送迎会プランはフルコースで《飲み放題二時間制でアルコールもOK》だとしても愉快な陰鬱は《なんどだって張り裂けそうで》歌のために歌詞があり《歌詞のために歌があるのか》そんな論理はどっちでもよくて、必要なのは裂けること《真っ二つに、マンゴスチンの果肉が露出するように》豪奢なフルーツ皿に好きなだけ乗っけていいよ《首、四肢、頭、抜け落ちた眼球二つ、ゼリー状の体液》フルコースで味わおう、僕はそうやっていくつかの果物を食べて、落ちた食器を指で拾って、丁寧にナプキンで拭いて机に戻した。給仕係がそれを戻す。僕は「戻すな」と言った。給仕係は不安そうな顔で尋ねた。「いかがなさいましたか」「戻すな」僕は再度告げる。「戻すな、これは創作の火種だ、偶然がそこにあった、お前が手を付けた」給仕係は再度尋ねる。「坊ちゃま、何がそんなにお気に召しませんでしたか」僕は告げる。「戻すな、それはその位置にある定めだった。お前が手を付けた。戻すな、それはそこにあるべくして生まれた生のものだった。戻したお前は、因果に手を付けた。だから戻すな、取り返しがつかないとしても、一切の余情をそこに許すな。誓え、許すなと。そして戻した罪を贖え」給仕係は困惑した表情で、「すみませんでは片づけます」と僕に言った。