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誤飲

僕は眠りにつく頃合いに全てがふんわりとした風景を見た。それは家族がみんな暖かく、微睡んでいること。世界に色がなく、ただ優しさだけが感じられる痛みが存在しない世界。抽象のモノクロームの情景の中に、車から見える一言、男性の変な声、上ずった悲鳴にも似た空想の声、そんなものが響いたから大変に困った牢獄感のある空想の中で僕は困りに困り、困り散らかし明後日ってどの方角だっけ。過去、未来?とかそんなことすらも方向感覚を失い、右左に頓挫する機械となった。あれは僕の幼い頃の記憶で、なぜそんなに小さい頃の記憶を保っているのか、僕にはそれがわからず、誰も覚えていないことを自分だけ覚えているとしたら、それは妄想と片付けられても仕方のないことなのではないか。そんな杞憂もかつての色合いを助長するものではなく、僕はいつかのモノクロの風景に見惚れた。溺れて、ずっとその世界に居たいと強く願った。

 

ロスト、飴玉がとても大きな指よりも太い飴玉がごろりと喉の方に入り込み、僕はたまらず姿勢を前に倒したけれど、まだ舌の位置を自由にコントロールできるほどに成熟していない未発達の僕の口内は飴玉が侵入するのにうってつけの場所で、僕は段々と角度を変えて咽頭に潜り込もうとする飴玉を、必死に外に吐き出そうとしたのだけど、溶けかかった飴玉は丁度僕の喉と組み木さながらの機構で合致し、僕の気道を塞いだ。しまった、と思ったのもつかの間、僕はもう声もでなくなっていて、前方にはパパとママ、それからなんだかよくわからない走馬灯のような景色も広がっていたっけ。わからないけど、僕は慌てて助けを呼ぼうとした。けれどもその当時の僕の手足は想像以上に短く、腕を前に伸ばしてもつまようじでものを動かそうとするくらいには難しく、為すすべがなく、呼吸ができない苦しさと声を出せない圧迫感と、揺れ動く車内、車内で息にもならないかすかすの空気を洩らす風船みたいなものに成り下がってしまい、僕は抵抗虚しく窒息した。お母さんと当時まだお父さんだった人に対して、特に別れも告げられないままに僕の意識は朦朧とし、それから先の記憶は定かではない。

 

ふいに僕は逆さになっていることに気付いた。両足を誰かに掴まれ、何度も上下させられているのだと気付いた瞬間には僕の喉から極太の飴玉がごろりと舌を割って這い出てきて、口からあっさりと落ちた。紅色の、きらきらした透明な飴玉。いちごの甘酸っぱいフレーバーと、外側に塗されていた僅かに残る砂糖のざらついた感じが名残惜しくも思えたけれど、きっとあの飴玉は僕の組織の一部に成ろうとしていたんじゃないかと思う。僕の身体に組み込まれ、生命維持装置として存在やその他の淡い生命チックななにかを必死に守ろうと、ただ運動していただけなのかもしれない。そう思うと飴玉との別れは寂しかったのだけど、僕はまるで生まれたての赤ちゃんみたいに呼吸し、呼吸を何度もし、ぜえぜえとげえげえが入り混じったような濁音混じりの呼吸を深く、何度も深くした。それでふと上を見上げると、逆光で顔は見えなかったけれど、お父さんらしき人の姿が見えた。

 

その顔は黒く塗りつぶされ、せっかくの顔のパーツや、表情などは全然読み取れない。昔のポケモンのアニメ映画にセットになって付いてきていたおまけ映画には、大人らしき人物の顔が一切描かれないといった特徴がある。声と、足元だけが映り、世界を小さなポケモンたちだけの視点に固定する演出がなされていて、当時僕にはそれが心地よく、人の顔ってグロテスクだと思っていたから、あんまり見えないくらいの方が丁度よかった。僕は当時お父さんだった人の物陰の中に、自分が大層大事に抱えて来たなにかが思い切り踏みにじられるような思いがして、だから記憶からその人の顔を取り除いていただけで、実際は顔はちゃんと見えていたのかもしれない。そんなこともつぶさに思うくらいには僕にとってお父さんとは遠い存在なのだけれど、それでもあの時に観た黒い影は、しつこく脳裏に焼き付いていて、心なしかへらへらしていたと思う。いや、我が子を命の危機から救ったのにへらへらしているなんてどうかしていると思う人が大半だと思うけど、当時辺境の田舎で若者二人が偶然こしらえた子供に対する情念とは、案外その程度のもので、『小さな人間』くらいにしか思われていなかったのかもしれない。僕は泣いて暴れるタイプの子供だったし、それにうんざりして最低限の塩対応だけされるようになった結果なのかもしれないし、元々は凄く優しく接して貰えていたのかもしれないけれど、僕が記憶の中だけでそれを黒く塗りつぶしてしまったのかもしれないし、その辺はわからないにしても、僕は当時お父さんだった人との僅かな記憶の一つとして存在するその記憶の中で、唯一お父さんに人間性を感じたのは、『へらへらしていること』だけだった。

 

思えば昔から可哀想な扱いを受けることが多かった。叱られてばかりという印象しかなく、僕はただ生きて、生きて、生きているから生きていたというそれだけのことなのに、その生きているという唯一絶対の行動に対して、大人は残酷な反応を示した。優しい、とか全然思わなくて、僕は愛情よりも当時に受けた屈辱であったり、大人の酷い仕草ばかりを記憶しており、家族の暖かみとかまるで共感できないと常々思っている。なかったわけではないにしろ、ハイライトがそこではないのだ。もっと暗くて、湿っぽくて、どっかで乾ききったドライな人間のゾッとするほどの冷たさに触れた時に、僕はそれを記憶するように視野が動いた、という他なく僕には大人というものは無意識に暴力を振るうものだと思っていたし、子供を叱り付ければコントロールできるものと考えているようだったし、無抵抗なことをいいことに自分の欲求のはけ口に良いように使われることも珍しくはなかった。だから僕は車のトランクに閉じ込められたりしたときも、なんだかよくわからないままに自分のせいにした。自分がいけないことをするから、酷い目に遭うんだと神様を呪った。

 

思えばよく閉じ込められる人だった。僕は元々狭い場所が好きだったのだけど、狭くて、物の影で隠れていて、光が届かない場所。でも完全な真っ暗は怖かったから、まだ陽の明るいうちにそう言った場所に忍び込むのが好きだった。よく覚えているのは引っ越しの日。僕たちはアパート暮らしからおじいちゃんが建てた一軒家に移り住むことになったのだけど、引っ越し前夜はいつもと部屋の風景がガラリと変わっていた。段ボールが所せましと並び、普段はカジュアルな部屋の情景も、無機的な倉庫のような趣に変わり、寂しいとか思わないでもないはずなんだけど、当時の僕はそれに何故かドキドキした。甘い高揚のようなものを感じて、隅っこに居座った。周りは物高く積みあがった段ボール箱でいっぱいだった。僕はそこで、物陰から見える僅かな外の景色を眺めながら本を読んだことを覚えている。なにを読んだかは覚えていないけれど、とにかく居心地がよくて、あんまり世界のこととかどうでもよく思えて、僕は僕しかいない親密な時間をそれきりにしたまま、眠りについた。眠って、普段と違うところでしかも壁にもたれかかって変な姿勢で眠ったのにも関わらず、至福だった。僕は一生ああいった場所で過ごせと言われても案外すっと馴染んでしまえるかもしれないと思った。

 

僕はよく歯医者に行った。お母さんは僕の将来を自分のことのように案じてくれる人だったから、勉強とかは全然しなくてもよかったんだけど、身体のメンテナンスだけは欠かさずに連れて行かれた。僕はお風呂場で性器の皮を剥かれたし、お母さんはそれを僕のためだと強く言って、なぜか嬉しそうにしていて、僕はなんのことだかよくわからないままにそれを受け入れ、大人になってから当時の意味を知った時に、自分の母親ながら凄く変な人のように思えた。放っておけばいいのに、そんなの。

 

歯医者と目医者と内科と保健室は僕の共同スペースだった。いつもそこにいたし、なんなら歯医者はその匂いが嫌すぎて、何度泣いたかわからない。僕は医者というものは本当にグロテスクな存在で、人を人と思わない、なにかの実験体にされたくらいの気持ちでいつも触診されていたし、それが心地いいはずもなく、僕は心も身体もレイプされたのと同じ気持ちだった。けれどやっていることはただの『治療』なので、僕がそのことで泣きわめいたりしても、誰も同情してくれなかった。悪い子は僕だった。僕は聞かん子で、物分かりが悪く、常にずる賢いことを考えている悪い子。そんな風に周りには映っていたに違いない。僕は歯医者を代わる代わるに何度も通ったのだけど、一度よく人が飛び降りると噂のスカイマンションと名付けられた建物にある歯医者に行った。

 

酷かった。僕はお母さんと離れ離れにされた瞬間に怖くて大泣きして、でも医者はなんとその泣きわめく僕をクローゼットに閉じ込めて、外側からカギを掛けた。僕は暗闇に閉じ込められた恐怖からずっと涙が止まらず、出してと何度も懇願したのに医者はその言葉を無視し続けた。「言うこと聞くまでそこにいなさい」そんな言葉が聞こえた気もするくらいに、医者は僕のことを虫けらかなにかくらいに思っていたらしく、体感一時間くらいそこに閉じ込められたまま、僕は泣き疲れて静かになったタイミングで外に出して貰えた。

 

あの時の医者の表情は忘れられない。丁度『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造のように、にたにたと口が裂けるかと思うくらいににんまりとだらしなく口角を上げたでかい黒子とだぶだぶの垂れた瞼が特徴的なおじさん。おじさんに、僕は拷問された。一生忘れない。あの時のおじさんの顔、僕はよく覚えている。今も、こうして書き記すくらいに僕は怖くて、あのマンションで飛び降りが多発することとおじさんの悪意とを勝手に結び付けていた。

 

他にも強烈に覚えているのは、僕は給食をなかなか食べない子供だった。というよりは苦手な食べ物は絶対に口に入れないようにしていたから、先生が食べろというまでは断固として食べなかったし、それが無言の抵抗に捉えられて先生も食べるまでとことん僕に付き合うと言った感じで、休み時間を全部使うくらいまで給食の前に座らせられたこともある。それ自体はよくある小学校のワンシーン、くらいに些細なものなんだと思うけれど

 

僕がトラウマになったのは、保育園での出来事だ。僕はその時も出された食事を食べなかったか、課題をちゃんとやらなかったか、友達と喧嘩したか、その辺りのいきさつは全然覚えていないのだけれど、された仕打ちだけは今も覚えている。僕は先生にこっぴどく叱られ、何度反省しても許してもらえなかった。もしかすると僕が反省しなかったから先生も態度を変えたのか、その辺はわからないけど、先生は僕の持ちものに目を付けた。当時教室ではカタツムリを飼っていて、中には何匹ものスネイルがうぞうぞとケースの中を這いずり回っていたし、僕がそれを怖がっていたことも先生は知っていた。

 

先生は僕の鞄をひったくって、空高く持ち上げた後にカタツムリのケースに差し込んだ。僕は仰天して、泣きわめいた。しかしカタツムリのケースは僕の手の届かないところにあったし、先生はそれを見てこう言った。「言うこと聞かない子はこうだよ」

 

カタツムリはケースをよじ登り、段々と僕の開きっぱなしの鞄に向けて上昇していく。僕は嫌な予感を感じ取った。このままだとカタツムリは僕の鞄に入るのではないか。あのべとついた粘液まみれの得体のしれない生き物が、その病原菌だらけの身体で僕の神聖な鞄に入り込むこと、それは悪夢を現実で見ているのと同じ光景だったし、夕暮れ時、窓サッシから入り込む灼けた陽の光は橙と黒のシルエットを作って、僕の眼球に強烈なインパクトを残した。何故トラウマと言うのは常に逆光なのだろう?僕は先生の肩笑いすらも聴こえてくるような変なトリップが三半規管を刺激し、めまいを覚えた。その間にもカタツムリはどんどん僕の鞄に近づいて行く。

 

泣き声が遠くに響いた。僕の鞄の中に何匹ものカタツムリが入り込んだのを見て先生はそれを取り出した。「返そうか?」先生はそんなこと言ってなかったと思うけれど、そう聞こえたくらいには笑っていた。先生は、恐怖して立ち尽くす僕の姿を見てとても嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はそんな感じで、大人に酷い目に遭わされることが多い子供だったから、もっと自尊心が低く育ってもなにもおかしくはなかったはずなのに、案外僕は丈夫に育った。丈夫っていうか、不出来の間違いだったのかもしれないけれど、僕は本来もっと適当に過ごせるはずだった幼少期が一番の苦悩として色濃く残っていることが多く、物心が付いた後からも僕の覚えている記憶は全てトラウマで、というよりは嫌な思い出しかなく、嫌だから嫌と言っているのに、嫌と伝えると人が嬉しそうにしてくることが本当に耐えられなかった。

 

全然笑えない出来事なのに、大人になってからその話をすると笑われる。可愛い子供のエピソードのように捉えられるのだけど、僕はあの当時、豆腐よりも繊細な心を持った純度百パーセントで透明だったあの頃の煌めきに、ポケモン以外のコンテンツが侵入することが耐えられなかった。何度も夢に出てきて、僕はその度にうなされたし、今も、大人ってグロいとずっと思い続けているからそれに比例して僕の精神はずっと子供のままで居るし、見た目だけおじさんになってしまったけれど、僕の魂は本当に五歳とか、三歳とかそれくらいのままで止まっている。信じていたものたちに裏切られ続けてきた僕の儚い魂が、僕に現実を『誤飲』させまいと理屈を必死にこねているのだと、そう感じられるくらいの強烈な記憶が多い。

 

そうはいっても僕には大した力はなく、いや力はあるのだけど、それは経済の名の元でほとんど轟くことがない霞程度のものにしかならず、ならないから僕はいつだって僕自身の心を守るための防御をしているのにも関わらず、その反応を『攻撃的』とか、『わがまま』という風に捉えられるのが理解できなかった。視野狭すぎだろ、もっと大らかに生きろよ。

 

と、思う挙動も内実に混ざって僕はかろうじて生きている。傷だらけのつもりなんだけれど、他人は僕のことをあまり傷物とは扱わない。僕はカタツムリにレイプされたことがあるくらいの人間なのに、それを周りの人は心配するどころか、『かわいい』と言う。かわいくないだろ。絶対に、僕は悪くなかった。悪いのは先生や、医者や、お母さんや、かつてお父さんだった人たちだけだ。子供に悪い部分など一滴もない。

 

なんて言葉が、ほんのり嘘だとも段々と気付き始めている。教師の話でゾッとしたのが、子供の中には生まれつき『邪悪』な子供がいるのだということ。しかも教師に慣れていくと、その邪悪な子供はすぐに見分けられるようになるということ。

 

邪悪、という言葉にどういう意味が含まれているのか、辞書を引いたり、想像してみることはできるけれど、それをしようと試みた瞬間に、僕は結界が張られているみたいにその場から動けなくなる。邪悪な心を持って生まれた子供、という存在にある種の『畏怖』を感じて覗き見ることを拒んでしまう自分が居る。

 

もし自分がそんな心を持って生まれていたら?きっともっと世界の見え方は違っていただろう。僕は自分の心がきれいだとか、そんなことは全く思わないのだけど、ただ人間の道理として、やっちゃいけないことがあることは深く理解している。そしてそれをはみ出せばどうなるかも。人の道を外して生きるものに与えられるおよそ想像に耐えがたい辛苦を、僕は想像して参ってしまうのだ。

 

すぐ隣にはホームレスが居る。僕はあの人たちのように外を自由に歩けない。会社に縛られ、規則に縛られ、学歴や年齢や服装に縛られ、がちがちに固定された人生を歩んでいる。あの人たちはきっときれいだ。心がずっと純粋だった人たちだ。それが『無垢』という言葉で包まれた『善』や『悪』、あるいはその両方を持ち合わせたようなわかりにくいものだったとしても、僕にはそれらの心があるとき、ぷつんと壊れた瞬間を想像する。

 

それはきっと僕の鞄にカタツムリが侵入した時のような些細なものだったに違いない。けれどその些細な悲劇は、あの人たちの心を深く傷つけたに違いなくて、僕はあの人たちを街で見かける度に、苦い思いが背中を走るのが伝わるけれど、最近は無視している。無視と言っても、視野では見ている。視野で見て、焦点に決して入れることはないけれど、あの人たちが生きていることの理由は必ず考えるようにしている。外は寒いだろうに、とかそんな同情心はまるでなくて、汚いから近寄ってこないでほしいと最近は率直に思うのだけど、でも理由だけは真剣に考えるようにしている。なぜあの人たちがああなのか。そして僕はなぜこんなにも過去にトラウマを抱えて生きているのか。その答えではない浅ましいなにかを、深く胸に刻んで今日も東京の街を歩いている。