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きみが影響を受けているであろうその人は、君が死ぬことを望んでいる

鮮明な思いに身を置き、淀んだ空気を目一杯に吸うと、いつかの空気が冴えて見える。感情は、言ってしまえばぼくの大差ない憧れをその手に抱いて離さないものだ。いっぱしの写真家の僕を、あなたは認めてくれたけれどそのぎこちなさ、感慨、思いに耽るいくつかの明白な事象は、時折内密な僕の事案を世間に露わにする。

 

美大を卒業してからはフリーターを始めた。ラブホテルのバイトが丁度いいと思い、応募したらなぜか駐車場の監視役にされた。それでもまあ、実際のホテルのバイトというのは肉体労働だから、身体が細い僕にとってはさして必要がない、というよりはしなくていい労働のようにも思えて、だからこそ監視役というのは僕にふさわしかった。何もしなくてよくて、仕事中は常に空想をした。

 

大学時代にしたいくつかの失敗のこと、僕はそれをよく覚えているけれど、今思い出しても恥ずかしくて、忘れられない出来事で、できれば封印したいはずのことで、でも僕はそれを思い出してしまっては、苦しい気持ちを抑えるために呼吸器をつけるみたいにしてスマホを触る。調べる。数多の情報の中に、点と線で結ばれる様々な模様があり、それは辿々しい僕の気持ちを摘まんで消してしまう程度の柔い炎で、いや、火程度の燻りが、『木村伊兵衛賞』という賞を知った後も生生しく続いた。

 

憧れの世界だった。世界を瑞々しく切り取る瞼は、その意識と寸前で連動し、微かな写真を、レンズごしのそのままの世界を慎重に切り取る。瞬間のことだから、僕には彼がなにをしているのかわからなかった。ただ唐突に、カメラを構えていることすらも予感させない予備動作なしのその動きは、僕が何者でもないことを示すのには充分な力を持っていて、僕は圧倒されて言葉が出ずに、上手いこと話せない自分が情けなくて仕方なかった。

 

写真新世紀や、若手のフォトグラファーが寄稿しているZINE、JAGDA新人賞なんかの煌びやかな世界に憧れて、でも自分の中から出てくるものはそういったさっぱりとした鮮やかさではなく、どうしてかどろどろとした緊張感を持った見る人を倦厭させるようななにかだと気付いて、僕は憧れの人の前で、相応しくない態度をとった。

 

別に自分なんて、と小物ぶる僕を、ああ大学生のよくある姿だな、程度にその人は思っていたのだと思う。けれど、僕には大丈夫ななにかが、みんなが元々持って生まれたものが当時欠落していて、いや当時ではなく今もなのだけれど、その欠落した部分をパテで補修して、なんとなく見栄えよく見せているのが僕の精いっぱいの実情で、それはほとんど『ハリボテ』だった。ガワだけで、中身がないもの。偽物なもの。

 

とは言っても僕にはそれが精いっぱいだったし、かなり緊張してしまっていた僕に対してその人は優しかった。動く度にきらきらとした光の破片が軌跡を描くようなその人の風貌は、僕を虜にし、ただ内実に纏う僕の自信のなさは、その人の前で怯える子犬みたく映ったに違いない。なんどか「かわいい」とその人が呟くのを聴いた。それがぼくに対してなのか、はたまた違うなにかに向かって言っていたのか、よく思い出せない。

 

写真に憧れたのは、言葉に出来ない気持ちがたくさん詰まっていると思ったから。少しだけ青みがかった色調に補正された、暗部がしっかりと濃い写真が好きで、嘘が付けない世界なことも僕にはたまらなく魅力的で、表現の最小単位は詩だと思っているけれど、視覚芸術の最小単位は絵ではなく写真と思えた。嘘が付けない世界というのは、すなわち天使の世界であり、浮世離れしたその風景には、印象だけで成り立っている吹けば消えそうなほどの熱い思いが、これほどまでに詰まっていて、これって言っても、言葉にするしか僕にはできないから、この感動を他者に、とりわけ自分自身の中で言語化することに酷く苦労をした。

 

意味のある光景とない光景があり、それが図と地の関係になっている、というのが普通の写真なのだとすると、芸術に昇華された写真というのは、およそ全てのモチーフが連動している。同期しているとでもいうのか、一緒くたに動いている。躍動している。その鼓動を間近で見た途端、今まで僕がやってきたことなどなんの価値も無いことなのだと思えたし、しかしそう思うことをよしとは誰も思わなそうだった。なぜならきれいだから。きれいな世界には、きれいな人がいるものだから。

 

僕はその人と色々な話をした。仔細は思い出せないけれど、どんな料理を普段食べているかとか、実家のこととか、今学んでいるグラフィックデザインのこととか、微かな記憶だと、そんな感じのぼんやりとしたことを質問された気もする。けれど僕は、あまりよくわからなくなってしまい、きっと言わなくてもいいであろうことまで口走ったのだと思う。けれど、今思えばそれは純粋な若者にありがちなごくごく普通の仕草であり、僕はその人にそれを見破られてしまっていることを薄っすらと勘づいて、それが一層恥ずかしい思いを助長させた。

 

昔から、憧れの人に会うことを基本的に避けていた。会ってなにかが壊れることが嫌だったし、壊れると言うことが僕の錯覚だとして、僕にはなにが壊れるのかも上手く言えず、でもそうやって黙って過ごしていると、自分の中でアーティストが神格化されていくのがわかり、信じていれば、そうしてさえいれば、救われる、報われる。そんな思いにすらも耽り、つまらなかった学校でも独りで絵を描き続けた。誰になにも言われなくても、ずっと描いた。他の奴等なんてどうでもよかった。僕にはこの素晴らしい世界を見せてくれたアーティストがいるのだから、他のなんにも要らなかった。

 

僕はある日から、よく夢精をするようになった。それは科学的にはなにかのストレスとか、欲求不満とかで表される事象なのだと思うけれど、僕にはなんらかの予兆に思え、常に思索にふけった。実際に手を動かすことはほとんどできず、できないというか、やり方がわからなかった。手って、どうやって動かすんだっけと言った具合に僕は自分自身の呼吸の仕方を忘れていた。けれど情報だけはよく摂取していた。きれいなもの、きたないもの、それらを全て飲み込んで、糧にしようとしていた。糧にすれば、なにかが報われるものだと勘違いをしていた。

 

僕が飲んでいたものは、きっと世界のごく当たり前の情報で、さして特別ではない世間の有象無象の知識の、正確性なんてどこにもない仄かに汚れた情報ばかりだったのだけど、僕はそれを好んで食べた。食べて、時折虚しくなって全部吐くようにして絵を描いた。描いても発散できない気持ちは歌にした。一人でカラオケで、憧れのアーティストの音楽を歌い続けた。

 

大学卒業時点で特に行くあてのなかった僕は、そもそもで何者かになりたくてみんな東京にわざわざ来るものだと思っていたのだけど、そういうのも案外なくて、うっすらと居場所なるものを探して、逃げて来た感覚に近かった。僕は東京でないと、呼吸することすらままならない気がしていた。

 

ある日、その人から連絡があった。僕はどうして?と一瞬思って、それからその人の好意にまずは感謝した。その人の書いた手紙の一文一文を舐めまわすように読んだし、筆跡も真似できるくらいによく味わってから大事にしまったし、時折それを思い出しては、甘酸っぱいような記憶に浸り、だけれども僕には、その人の前で自分が犯してしまった失態を、恥ずかしい仕草を、未だに何度も後悔している。その人がきっと僕のことなんてどうでもいいと思っているのだとしても、してもだ。僕は勝手に、自分が特別なのだと思い込んでいた。

 

僕はその人に会って、お世辞にもきれいとは言えない家に招待した。僕は上着を脱いで、ポートレートを撮って貰った。「今だけだからね」とその人が笑って言ったのは、今しか人前で裸になれる時期はないって意味で、僕はそれを冗談と捉えたが、本当だったのかもしれないと気付いたのは最近になってからだった。

 

誰も興味がないと思える、なにもない駅。初めて降りた時は本当に東京か?と思うくらい、背の低い建物しかなく、喫茶店も、本屋も、なにもなかった。あるのは生活のためのスーパーと、コンビニと、薬局くらい。そんな街のごく最底辺の家賃の家に僕は独り暮らしをしていた。誰かを家に招くのは、ほとんど初めてだった。

 

「パリっぽいね」とその人はよく僕に伝えた。フランスのパリの空気が流れている、と言う風に僕の家や、僕の撮った写真を例えてくれたのだけど、肝心の僕は本当に気持ちの置き場がなくて、なくて、二人で並んでニトリで買った安いマットレスの上に座った。

 

大学時代から使っているぼろぼろのiMacで、二人で映像を見た。僕は好きなアーティストを見せた。孤独を歌う、新宿が大好きな僕だけの歌姫を。

 

それから僕の卒業制作も見せた。その人はそれをじっと見つめて、色々と僕に質問してくれた。主線がないのがいいね、とか。僕はそんなところを褒められるとは思っていなかったから少し照れた。

 

それで、なんか思わず「泣いちゃったんですよね」と言葉が一人でに漏れ、

 

「泣いちゃったんです。この人の歌、僕すごく共感して、つらくて、切実で、歌自体に魂が宿っているその感覚が、なんかすごい伝わってきて、言葉にならなくて、あっすいません僕よく一人で泣くんですよね」

 

急に泣くんですよね、と伝えた僕の気持ちを、その人が受け取ったかどうかはわからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは今思えば、僕がその人と会った最後の時だった。いや、性格に言えばその後も何度かやり取りはした気がするけれど、それはやり取りと言うには淡すぎる、地平をあてもなくさまよう中での意識くらい朦朧としたもので、僕はそれをやり取りにカウントはしなかった。だから実質、僕とその人が会ったのはそれが最後になる。

 

失敗だった、と今でも思う。僕の気持ちはその人にほとんど伝わらなかったんじゃないか、届かなかったんじゃないか、涙ぐんでしまったことを、その人は気持ち悪いと思ったんじゃないか、色々と考えを重ねたものの、僕にはいつまでたってもその人が忘れられず、その後に何度か出会いアプリでやんちゃをした。憧れの人でなければ、僕は結構乱雑に扱えるのだ。

 

「あーあの人ね。なんかまあ、噂あるよね」

 

そんな風に、その人のことを知ってる人は語ったけれど、僕にはそれがなんのことかわからず、いや本当のところは理解していたけれど、理解することよりもまず、信じたい気持ちを優先した。僕はその人の前で自分がただ何者でもないということを知るためだけに、その人は現れたのだと思った。何故なら僕は、その人を神格化していたから。

 

ある日、手紙が届いた。そこには一冊の本と、小さな手紙が挟まっていて、僕はそれを読んで、読んで、また読んだ。それから、あまり見たくないものだと思い心にしまった。その人の送ってくれた写真集の中に僕の写真はなく、でもそれは、その人がプロの仕事として当然のことをしたのだという、白々しい事実が感じ取れるだけだった。

 

甘い、と思った。感動は甘いのだ。酸いも、甘いも、最後は甘くなる。僕はこの吐きそうになるほどの甘ったるさを、自分のせいだと思い込んだ。けれどそれは事実ではなく、僕は自分のことよりもまず、その人と僕に何の因果もなかった可能性について考えた。

 

あの日、地元の本屋さんでその人の本を手に取った時、導かれたような気がした。その人の講演会に行ったとき、僕は高揚していた。それでつい、目立つようなことをしてしまった。それで連絡が来て、僕はそのことをまるで僥倖であるかのように勘違いをしていた。

 

全て行き違いで、でも僕には自らの不貞が、その人に対してだけは向けられないようにと思った。全ての慈しみが、いつか途絶えて消えるその日まで後生大事に抱えておこうと思った。僕はその人が、本当に尊敬していて憧れの人だから、だからこそその人に殺された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後はいくつかの職を転々として、僕は自分の居場所を見つけられないでいる。いつも隣には孤独が居り、それはふと合図をした瞬間僕の前に現れて、全てを台無しにする勢いで食い尽くす。なにもかも。僕自身も飲み込んで、僕の孤独は増幅して、周りの人まで食べちゃうんじゃないかと思う。そんな不安を書くことで消している。書くことで、嫌なことからの現実逃避を図っている。

 

でもそれも無意味かもしれない。だって僕は写真でもなかったから。絵でも、アニメでも、漫画でも、実写映像でも、詩でも、短歌でも、小説でも。もしかするとなんでもなかったのかもしれない。ただなんとなくの一人語りが好きで、そこに意味を求めだした僕は大層欲張りで、わがままなのだと自罰的感情に浸ることも多い。

 

それだってなにかのパフォーマンスで、僕はこうして気持ちを綴ることに、なんらかの感慨を見出している。呼吸する程に等しくなった指の運動は、もはや僕自身を超えて、なにかを描き出そうとしている。それは憧れとか、現実とか、そういうものですらもはやなく、普遍であろう真実を、およそ身の毛もよだつ誰も見たくないであろうものを一人でに暴き出してしまう。そこに僕元来の繊細さが加わって、とある化け物が誕生する。

 

誰にも迷惑を掛けずに死ねるには、死のうと思わないことが最重要で、死にたいと誰かに伝える時、そこにははっきりとした迷惑が浮かぶ。僕は全部台無しで、全部虚しくて、全部憧れで、それを正しいと思っている。こんな僕でも生きていていいんだって、最後に誰かがくれた言葉だけが僕を括り付けている。

 

それってなんだろう。郷愁……もっと贅沢なものの予感もする。なんというか、世の中にはもっと不幸な人たちが大勢いて、でもその人たちは僕のことを知らない。知らないのに、思うってこと自体失礼なんじゃないか。僕は僕のことだけに集中すれば、初めからそれでよかったんじゃないか。

 

後悔して、つんのめって、大層な一人語りを繰り返して、大丈夫じゃなくなって。誰も求めてないことをやり続けて、反応されないことに僻んで、でも結局書くのが楽しくて、今も書いている。これって生きることそのものだよなとも思う。

 

そんな風に達観することは本意じゃなくて、私は私の務めを果たしている、ということを壁ごし伝えたいわけではなく、むしろその逆の、世界は地続きであるという真理を、明確なものにするべく、指先から出る偶然の軌跡を信じて、今日もなにかをしたためているのだと思う。

 

それを、孤独と呼ぶのか。別の言葉であったとしても、僕は孤独に響く。一人は居心地がよくて、でも一人で完結出来ない人間の弱さに、その脆さに、憧れてしまっている。運命って一つの線のようなもので、それが触れたり、震えたりすることで、変な模様を描くのだ。人生ってそういうことの繰り返しなんじゃないかとも思う。

 

その人は今も写真を撮っている。とても素敵な写真で、今日も僕はそれに見惚れた。けれど、その人を追うことはもうなくて、僕はその人に殺された亡霊だから、夢に見たとしても、現実に現れることはしないだろう。僕とその人の接点は、記憶のと言う名の重箱に今も大事にしまってある。