クアトロフォルマッジ、お母さんが好きだった。チーズだけのピザ、僕は初めてそれを見た時に、「どうしてそんなの頼むんだ?」と不思議に思った。ピザにはサラミや、ピーマンや、ウインナーソーセージが輪切りになって乗っているものと思っていたし、そこにたっぷりのトマトソースが掛かって初めて『ピザ』だったからだ。だからお母さんの選んだそれは邪道に思えたのだけど、食べてみると美味しかった。「蜂蜜垂らすといいよ」お母さんはそう言って付け合わせのソースをピザに垂らした。僕はそれも最初は信じられなかったのだけど、実際に垂らしてみると美味しかった。お母さんのセンスは、どこか他の子たちのお母さんのそれとは違っているように思えて、それがなんなのかはわからなかったけれど、僕はそれから友達と外食に行ったときに、クアトロフォルマッジを見つけたら意気揚々とそれを頼んだ。「蜂蜜垂らして食べると美味いぜ。なんか四種類のチーズが入ってる」僕はその四種の組み合わせの名前が一つも出て来なかった。たぶんだけど、ゴーダは入ってないよな?
一緒に行った友達、と言っても僕には当時の友達は友達に思えなかったし、きっと生涯仲がよくて僕の味方で居てくれるひとでは決してなかったのだと思うけれど、たまたま同じ学校に行っているというだけで仲良くなれたあの当時、僕は将来のことなんてなんにもわからず、わからないからぼんやりと考えないようにして生きているだけだった。僕にあるのはお母さんと、おじいちゃんが建ててくれた実家と、おばあちゃんと、小さな妹。それから他ならぬ僕は快適さの少し隣に立って、味気ない日常を摩擦する風に装いながら生きていた、ということを除いても僕は居た。僕は、自分はその中でも特別な存在だと信じて疑わなかった。
溺愛されて育った。僕は生活の余剰というものをあまり受けることがなく育ち、というよりはそれらから逐一守られながら育ったのだと思う。ダメージを受けないように、お淑やかに、慎ましく、なんて言ったら誤解されそうだけれど、実際僕は『花』や『蝶』のように育てられた。世間的な穢れの概念は僕には通用せず、通用しないのは僕の家がたまたま公立の学校には行ける財力があったのと、ランドセルや漫画やゲームなど、模範的な男子小学生なら持っていて当然のものを全て与えられて育ったこと、それから僕の周りには常に同じように将来のことをぼんやりとしか見られていない同郷が多く居たこと、これらが幸い《災い》して、僕は将来のことを考えないままに大人になった。きっと世間的な毒に染められるというのは、人生の早くの内から経済に組み込まれる必要性を人間が垣間見た時だけなのだと思う。経済なんてものは、僕らの生活を豊かにしてくれるだけで、それ自体は目的じゃないのだ。けれど可哀想なことに、僕の同級生の何人かも、早い内から人生の辛酸を味わっている人もいたようで、僕はそれらの話をずっと『よそ』のことだと思っていた。
「よそはよそ、うちはうち」
お母さんはテレビで聞きかじった台詞を言うのが好きな人で、昔からずっと、お母さんの言葉に無頓着な感じや、適当に使えばいいやと間違った知識を大っぴらに披露するところが嫌だったし、僕はその台詞がテレビでやっていたことの引用だとすぐに見抜いたけれど、見抜いたからと言ってお母さんが変わることはなかった。これは当時の僕の年齢からして、お母さんの方に力関係の比重が傾いていたことが起因する、と僕は勝手に思い込んでいたのだけど、どうやら違うみたいで、大人になった今同じようなことを口酸っぱく言っても、お母さんは可愛い子ぶるだけで、もういい年した五十路のおばさんの癖して、ぺろっと舌を出したり、下唇を噛む仕草を僕に見せるものだから、ああこの人は変わらないんだなと思った。変わらないけれど、お母さんは当時とはかなり変わってしまって、もっと経済的に困窮するようになった。僕の家にはじわじわと、貧困の影が覆われるようになるのだけれど、この話の中心である当時にはそんな気配はなく、いや気配は実際のところはあって、僕の家は傍から見たら崩壊していたのかもしれないけれど、でもそんな『外』の物差しで自分の家の状況を測る、なんて器用なことは僕にはまだできなかったから、しなかった。お母さんは妙に文化に詳しく、普段テレビしか見ていないくせに、僕の知らないカルチャーっぽい話に精通することがあった。
お母さんの部屋の化粧台の隣に、本棚があった。けれどお母さんはラックごとを布で覆い、僕には見えないようにそれらを隠していた。僕は隠されているものを暴くのが好きだったから、躊躇なくその中を覗き見た。そこには僕の知らない漫画がたくさん置いてあり、『代紋TAKE2』とか、『浦安鉄筋家族』なんてタイトルもあった。僕は当時、漫画と言えばコロコロコミックであり、とりわけカービィが好きで、デデデ大王は嫌いで、そのドタバタ感であったり、子供のままで居ていいという呼びかけの中に、一種の儚さを見出すほどには好きだったのだけど、お母さんの本棚は雰囲気が違っていて、なんだか『大人』だった。知的な、大人のエロティックなムードが全面に漂っていた。
僕は早くから別の部屋で一人で寝るようになっていたのだけど、最初の頃はおばけが怖くて、怖くなったら一階からお母さんを呼び掛けて、二階の部屋まで上がるようにしていた。そうしてお母さんの隣で寝るようにしていたのだけど、ある時、お母さんの部屋に行ったらお母さんはそそくさとなにかを本棚に隠していた。
「なにそれ」
「あんたは知らんでいい」
「知りたい、見して」
「だめだって。子供が見るもんじゃないの」
「やだ、見して」
こんなやり取りの中でお母さんは、「本当にいいんね?」と僕に最終確認をした。僕は頷き、お母さんが隠した本を見せてもらった。卑猥な本だった。あけすけにちんちんや、女性器が描かれていて、ちんちんはなぜか真っ黒く塗りつぶされていた。「ああもう知らんよ」お母さんの目の前でエロ漫画本を読み始めた僕に、お母さんは他人事の素振りを示した。僕はその漫画に描いてあったことは全くと言っていいほど理解できなかったけれど、とにかく大人の男性と女性は、そういうことをするのだといううっすらとした認識はあったから、そこがピンポイントで肯定されただけだったのだけど、それは結果だけ見ればそうという話で、僕にはそのポイントは余りにも強烈であり、未知であり、知的好奇心をくすぐられる類のものだったので、興奮した。その興奮ではなくて、知的に躍動していた。心が急角度で跳ね上がった。ソリッドすぎる表現というか、感動的な官能さに、僕の子供の心は浸食され、『混線』し始めたのだけど、当時の僕にその事態を客観視するほどの能力はなく、ないものだからないことにした。このワクワクは、いけないものだと直感で思った。
お母さんの趣味はやっぱりどこか大人じみていて、普通のものとは少しだけ違うものを好んでいた。例えばマフラーも、普通マフラーと言えば手編みであったり、比較的真っすぐな厚めの布感で例えば雪だるまに被せるようなものを想像してしまいそうだけれど、お母さんが僕に選んでくれたものは、変わっていた。生地全体が薄く、ぱりぱりとしていて、皺だらけだった。でもそれは経年劣化してそうなった類の皺ではなく、そう『デザイン』されて作られたブランドもののマフラーだった。僕にはその良さがわからず、でも高校生の僕は受験のことしか考えていなかったから、服装にかなり無頓着で、お母さんが選んでくれたものならなんでも着ていた。わからないなりに、どうやって羽織るのがおしゃれなのかを尋ねては、それを真似した。似合っていたのかはわからないけれど、当時出来た彼女には「似合ってる」と評価を受けた。その子とは半年も立たずに別れてしまうのだけど……
芋みたいな顔をした同級生に、「お前おしゃれだな」と言われたことは覚えている。その子は最終的にジュエリーの専門学校に進学していたから、きっとその手のカルチャーにある程度関心があった人なのだろう。僕は名前も覚えていないそいつに、教室でマフラーを褒められ、でも当時の僕は目立たないことが人生の最優先事項だったから、それで調子に乗ることはしなかった。ただ静かに返事をしただけで、そこにはぎこちない関係性が漂うだけだったのだけど。
そいつとは何度かカラオケに行った。そいつは止せばいいのに、大人数で集まることを好むやつで、僕はそんなに親しくもない男子生徒を何人かと、そいつが連れてきた仲間何人かでカラオケをした。しかも場所が校外の、あまり知られていない古びた雑居ビルの中のカラオケで、やけに部屋が暗く、そして広かった。逆光になったそいつはカラオケで意気揚々と『神曲』というタイトルの曲を入れた。
マイクも持たずに、六分以上もただ聴くだけだった。「これは歌う曲じゃないから。そういうやつだから」そいつはにたにたと嬉しそうにそう語っていた。
カラオケの合間に、そいつの仲間内でのエピソードを聞かされた。グループで一番下っ端のやつを全員で虐めていること、この間そいつの頭にみんなで小便を掛けたんだ、ということをそいつはまるで人生の武勇伝の如く語っていて、僕はすげえなと思った。こんなに文化的な解釈が違うやつがこの世にいるんだな、とやんわりとそいつと心の距離を置いたことを覚えている。
僕の番が来て、僕は悩んだ挙句、東京事変の『閃光少女』を入れた。
歌い終わった後に、そいつが僕のことをじっと見つめているのがわかった。なにか言いたげな、物々しい表情の中に、なんらかの知的な輝きを見つけ、僕にはそれが『シンパシー』だとわかった。こいつは、共感したのだ。けれど僕はそいつと関わりたくなかったから、やけに距離を詰めようとしてくるそいつに対して徹底的に無関心で居た。その仕草が余計に、そいつにはミステリアスに映ったのだと思う。
何度か好意的な話を貰った。けれど、全てスルーした。僕はいじめっ子が嫌いだし、人の頭に小便を掛けることの意味もわからない。トイレに行くときに連れションする意味もわからないし、なによりジュエリーの専門学校に行くと迷わず決める辺りにも、知性を感じなかった。けれどあの時、『閃光少女』を歌い終わった後、そいつと目が合った瞬間に僕らは確実に”わかりあった”。それが一体なんだったのかを解剖することはできても、その一瞬の出来事はすぐに攪拌され、消えてしまった。丁度カップの中に垂らした色水が透明に戻るみたいに、僕らの繋がりは一瞬の内に溶けてなくなってしまった。
僕は高校が嫌いだったけれど、嫌いなりにも面白いことは何度かあって、それは最初に入っていた謎の運動部で、部活帰りにみんなで『サイゼリヤ』に行ったときだった。
四人しか居なかったのに、金額が一万円を超えた。食べ過ぎだろう、と思うくらいに先輩は食べて、食べて、食べまくっていた。小島よしおに似た先輩、金田という名前のつるつる頭の先輩。それと僕ともう一人の後輩。小島よしおは大きなテーブルが溢れかえるくらいに注文し、「全部食えよ?」と僕らに伝えた。
僕らは必至になって食べた。会計も別に先輩の全奢りってわけじゃなくてしっかり割り勘だったのだけど、でも一生懸命に食べ尽くした。パスタにチキンソテー、ビーフステーキにドリア、付け合わせの小皿メニューに、いくつかのデザート。
先輩が一番といっていいくらいには食べていた。皿がどんどん片付き、それに従って先輩の腹も膨れる。僕はこの状況がなんだかものすごいことをしているようにも思えたのだけど、先輩は気付いていないらしく、なにより後輩である僕らに先輩に意見するなんてことは許されていなかったから、ただ圧倒されて、その密度と行動の狂気と話の通じない図体だけがでかい先輩に、びびりまくるしかない状況だった。
僕らは部活動のことを聞かれた。なんと返していいかもわからず、「押忍」と言うだけに留めたけれど、僕は身を捩るほどに目の前の状況が面白く、でもそれを面白いことだと消化するにはまだ文化的に育っていなかったから、ただただ困惑していた。先輩は僕らが黙っている分、喋ったし食べたし飲んだ。僕らは細いハリガネムシみたいな体格をしていたけれど、先輩には筋肉が合ったし、威厳……といってもそれは作られたものだけれど、あったし、金田先輩は卑怯だった。その人間臭さが、僕にはなんだか面白いことのようにも感じられ、先輩は僕らが指示通りに食べると嬉しそうな顔をした。
テーブルにはたくさんの皿が並べられている。その中にピザもあった。マルゲリータと、それから四種のチーズが乗ったピザ。僕はそれに蜂蜜を掛けたのかどうかをよく思い出せないけれど……確かにピザもあった。先輩は蜂蜜を掛ける良さなんてきっとわからなかっただろうから、僕だけがそうしたのか、あるいは僕も遠慮をして目立たないようにしたのか、その辺は定かではないにしろ、でも確かにピザはあった。黄金色をした濃いチーズと、淡泊なイエローのチーズ、それから真っ白なチーズに、良い焼き加減の生地。それらを口に頬張りながら、帰り道に先輩にお礼をした。
一緒に居た後輩は、電車賃の払い方がわからなかったらしく、慌てて五百円を入れ込み、逃げるようにその場から去って行った。駆け足で、いつも体から栗の花の匂いがしているその子の顔には、ありえないほどに太い眉毛がこびり付いていて、気弱なその子の性格も相まって、尚更おかしかった。僕はその子の名前も覚えていないけれど、でも確かに存在する記憶の中に、独自の人間たちのスメルは密かに漂っていた。